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「神クズ☆アイドル」とオタの欲目で見てくれ見てくれ関連

 とにかく顔がいい男なので、ただかっこいいだけでお金を稼げるかも??という理由からアイドルになった仁淀くんが、実際のアイドル活動は面倒くさくてやりたくないところに、うっかりやる気マンマンのアイドルの幽霊、最上アサヒちゃんがやってきて、憑依してアイドルをやったりする漫画、神クズ☆アイドルの2巻がでました。

 

 

 アイドルって、僕は自分から一番縁遠い存在だなと思うところがあって、それは僕が人の注目を集めると、自由に動けない性質の人間だからです。三十何年生きてきていると自分が何が原因でそうなるのかという自己分析はあって、つまり、僕は自分が何かを行動したときにそれが他人の目にどう映るかということを過剰に気にしてしまっているんですよね。だからとりわけ不特定多数の人に見られていると、色んな可能性を想像をしてしまい、一歩も動けなくなってしまいます。

 どのように他人の目に映りたいかをコントロールしたいのに最適解が見当たらず、むしろ何にもできなくなるという状況です。さながら、達人を目の前にして、どう動いても負ける予想しかできず、一歩も動けないままに参りましたと言ってしまう道場破りのようなものです。

 

 なので、僕はアイドルをやりたいと思う人の気持ちはよく分からないんです。でも、だからこそ、アイドルという存在に対して自分にはできないことをやっている人だなという畏敬の念があったりもします。

 自分が立っているだけでも十分めんどうくさいのに、なぜ他人に自分の元気を分け与えようとするほどに、無限のエネルギーが湧いてくるのか?永久機関を見せつけられたような気持にもなるわけですよ。そんなものがあり得るのかって思うわけですよ。そんなもの、自分の中をいくら探してもそれが出てこないのに。

 

 めんどくさいから何にもやりたくないという仁淀くんと、死してなおありあまる元気を仁淀くんの体で表現し続ける、天性のアイドルのアサヒちゃんのコンビは、その事情を知らないファンからすると元気だったり、元気じゃなかったりの寒暖差で竜巻でも起ころうかというもので、そのガチャ具合に困惑も引き起こしてしまいます。

 ここの仁淀オタの人たちの動きがすごくいいんですよね。パフォーマンスもやる気がない仁淀くんを推すことに決めた剛の者たちじゃないですか。やる気がないのが当たり前、でも、そこにガチャ的な確率で中身がアサヒちゃんの元気いっぱい、サービス精神満タンのパフォーマンスが出てきて、自分たちが好きなものを他人にも薦める好機だと捉えて動き始めるわけですよ。

 

 オタクは自分が好きなものを皆にも好きになってもらえると嬉しい(諸説あります)。

 

 この物語は2巻に入って加速するようなところがあります。それは同じくアイドルの瀬戸内くんの登場によってのことです。しかし、トップアイドルの瀬戸内くんは何故か仁淀くんに対して怒りを覚えているのです。その理由は仁淀くんのパフォーマンスにアサヒちゃんの影響を見ることができるからなのでした。それは中身がアサヒちゃんなので当たり前のことではあるのですが。

 

 瀬戸内くんはアサヒちゃんを見て、アイドルファンになり、自分もアサヒちゃんのように沢山の人に元気を与えたいと思って、アイドルになった男です。からっぽだった自分の中に、最上アサヒのような元気の永久機関が入ってくることで、生きる力が溢れてきたわけですよ。それと同じことを自分もファンの人たちにしようというわけです。

 瀬戸内くんは仁淀くんとは全く似ていませんが、仁淀くんと似たところもあります。それはこの2人、もともとからっぽだった2人だけが、この世界から死んで消えてしまったはずの最上アサヒというアイドルを、この世に再現しようとしているからです。

 もちろん、幽霊となったアサヒちゃんに出会ったことで、自分でアイドルをやりたくないから体を貸している仁淀くんと、ファンとして、アイドルとして、自分が最上アサヒから得たものを繋いでいこうとする瀬戸内くんは真逆ですが、これ、事情を知らない瀬戸内くん側からすると、違って見えてたりもしたんじゃないですかね?

 それはつまり、自分以外にも、自分と同じものを好きで、既に失われてしまったそれを再現しようとしている人が存在するという認識です。

 

 瀬戸内くんはそれを怒りとして表現しますが、マザーテレサが愛の反対は無関心と言ったように、その怒りは、それに注目して無視できないということですよ。だって、最上アサヒは瀬戸内くんにとってとても大切な自分の一部なのだから。

 

 僕の感覚では、人間の人格は、接する相手の数だけ存在しています。例えば親と接しているときの自分と、友達と接しているときの自分と、仕事場の人たちと接しているときの自分は違う人格でしょう?(それが一緒の人もいるかもしれませんが、僕は全然違うので、全然違うんですよ)。そうなってしまうのは、それぞれの場所おける自分の立場や、目の前の相手の人格に合わせて自然に出力されているものだと思っています。だから、人によって嘘の仮面をかぶっているというわけでもないと思うんですよ。

 そしてひとりでいるときには自分だけと接する人格があります。これを「本当の自分」なんて解釈もできるんですけど、僕はそれも違うと思っていて、自分とはきっと全部です。立場や人の数だけ存在する様々な人格のバリエーションを全部足したものが自分だと思っています。

 

 だから、「この人と接しているときの自分が好き」という感覚があります。ある人と一緒にいるときに、自分から自然と出てくる人格が、自分自身にとって心地よいかどうかという話があるんです。だから、この人のことは好きだけど、この人といるときの自分の人格が嫌いとか、この人のことはそこまで好きではないけど、この人といるときの自分の人格は心地よいとかがあるんですよね。

 具体的に言えば、すごく好きな人と一緒にいるけれど、その人が別の人の話をするときに嫉妬心が出てしまうとか、その人に嫌われたくなさ過ぎてキョドってしまう自分が好きではないみたいなことで、あるいは、長い付き合いの友達に対して、もはやめちゃくちゃ好きみたいな感情は出てこないけれど、気を張らなくても間が持つので、とにかく一緒にいて楽というというのが好きみたいな話です。

 

 これは実はアイドルに対してもそうなんじゃないでしょうか?

 

 アイドルのファンは、アイドルが好きなことはもちろんですけど、好きなアイドルを応援しているときの自分が好きというのもあるのではないかと思います。僕自身はアイドルにハマったことがないんですけど、好きな漫画に相対して感想を書いているときの自分が好きだったりします(今とか)。漫画はこっちを意識して見てくれるはずがないので、完全に僕からの一方通行な孤独な応援ですよ。でも、それが好きなんです。その状態の自分が好きなんです。

 だから、アイドルが好きという感情は、一個人と一個人としてファンがアイドルと接したいというようなものには限らず、アイドルとファンが存在する空間への帰属意識というか、その場にいることでなる自分の状態が自分で好きというのもあるんじゃないでしょうか?

 だとすれば、自分のそういう側面を引き出してくれるのがアイドルという在り方で、それはアサヒちゃんのように無限のエネルギーが溢れる天性のアイドルだけでなく、瀬戸内くんのように、ファンのために、ファンが自分を鏡としてよりよいファン自身を掴んでくれる環境を作り上げるみたいな仕事って感じのことを思いました。

 

 それは同時に、ファンを目の前にするアイドルとしての自分を作り上げるという、逆の目線もあるということじゃないかと思います。アイドルという概念は「ファンとアイドルの相互作用が作り上げる、人生において心地よい時間と空間」という感じがしています。

 そのような対象はアイドルじゃなくてもいいかもしれませんけど、人生において何かは必要じゃないですか!何かしらそういうものは!!必要じゃないですか!!それの方を向いているときの自分が好きなら、そっちを向いて生きるしかないじゃないですか!!貧困と将来の不安にまみれていた頃の僕なんかは、漫画を読むことがそれに当たって、それで救われてきたわけなんですよ。

 

 天然もののアサヒちゃんは特別として、アイドルが「アイドルとして生まれる」のではなく「アイドルになる」のが普通であれば、アイドルがアイドルになっていく過程はファンにとって代え難い体験なのかもしれません。それは、自分たちとアイドルが同じ方向を向いて、心地よい場所を作っていく時間だからです。共同作業とも思えるからです。それは永遠に続くものではないかもしれませんけど、今ここにそれがあり、それがなくなったあとでも胸の中には残るでしょう?

 瀬戸内くんは「最上アサヒのファンだった」という過去形で投げかけられた言葉を、「ファンだ」と現在形に訂正するわけなんですよ。

 

 仁淀くんも仁淀くんなりに、自分を応援するファンを見て、少しずつ変化をしていきます。人間と人間の相互作用で人間が変わっていくわけですよ。そして、ここで第一部完なんですよね…。

 

 僕は、この先もめちゃくちゃ読みたいので、単行本が爆売れするなどして第二部が始まってほしいという気持ちが強く、これを読んだ人も同じ気持ちになってくれよ…という感じになっています。

 

mgkkk.hatenablog.com

 

 最後に、めちゃ好きなシーンの話なんですけど、自分は人一倍やる気がないんだから、自分やるアイドルには人一倍やる気のあるアサヒちゃんがいてくれないと困ると言う仁淀くんに、「仁淀くん!私… 私 人一億倍やる気があります!」と嬉しそうに宣言するところで、僕は最初に書いたように、生きる上での元気があんまりないので、なんかそういう無限のエネルギーが湧いている存在を見ると、なんか泣いちゃうぐらいに嬉しくなっちゃうんですよね。

 たぶん、ハンターハンターでゴンを褒め称えるシュートみたいな感じですよ。もしくは、将太の寿司の大和寿司の親方が、父の日に将太くんに貰ったネクタイを締め、「見てくれ見てくれ」と嬉しそうに見せびらかして街を練り歩く感じですよ。

 

 これは自分じゃないけど、自分が好きなもので、それを皆もわかってくれよと思うということで、それがアイドルで、ゴンで、将太くんで、漫画だなあと思います。