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「かんかん橋をわたって」と社会の摩擦の解消方法関連

 「社会」とは何か?ということを以前から考えているんですが、僕の今のところの考えでは「同じルールを共有している集団」のことです。一対一の友人関係や家族、地域社会や会社、そして国家など、数の大小はあったとしても、そこには少なくとも1つ以上の共有するルールがあるはずです。ひとりひとり違う人格をもった人間たちが、共通のルールを守ることで、同じ利害を共有する営みが社会なのではないでしょうか?

 

 つまり、異なるルールを共有する集団同士では社会を作ることができません。異なるルール持った社会と社会の間には摩擦が起きるはずです。またひとつの社会の中でも、同じルールを共有できなくなったときに複数に分裂することもあります。

 異なるルールを持つ社会がぶつかるとき、その解消方法は3つしかありません。

 つまり、

  1. 片方の社会のルールをもう片方が受け入れる
  2. ルール同士がぶつからないように距離をとる
  3. 双方の社会が受け入れられる新しいルールを制定する

 です。

 これは社会の構成員の大小に関わらず共通して起こることです。

 対象が家庭であれ国家であれ、異なるルールを持つもの同士が接する必要が生じたとき、上記3つのいずれかの手段を使ってその解消を行います。

 

 さて、「かんかん橋をわたって」という漫画(全10巻)を読みました。Twitterの僕のタイムラインでスクリーンショットとともに情報があり、心惹かれたので読み始めたのですが、これがすげえ面白かったです。どんな漫画かと言えば嫁姑ものです。そしてそれが、だんだんと地域を巻き込んだ嫁姑ものになって行きます。

 読み進めるにつれて、どんどん漫画の種類が変わっていくような新鮮な体験でしたが、その背後に存在するものは前述の意味での社会の問題であるように思っていて、それは上記の3つで説明できるものではないかと思いました。

 

 物語の冒頭は1つの家族という社会が登場します。川南という地域から、かんかん橋を渡って川東という地域に嫁いできた主人公の萌は、姑の不二子との同居のなかでそんな社会の洗礼を受けてしまいます。同じ家族という社会の中で同じルールを共有して生きてきた家族の中で、萌は異分子です。そして、その家のルールを握っているのは不二子で、家に居続けるためには不二子の意地悪(おこんじょう)に耐えて、ルールを受け入れ続けなければならないという苦悩を抱えてしまいます。

 その苦悩を方法は上述のようにまだ2つあります。離婚や別居によりその家を出ることも、不二子との間に新しいルールを制定することも選択肢です。しかし、不二子という姑は強烈な人間性を持っており、萌にはおいそれとかなう存在ではありません。そして、そこから逃げ出すこともしない萌の姿が描かれるのでした。

 

 この時点で不二子という強いキャラクターによって既に面白い漫画なんですが、ここから強烈に面白くなる部分があります。これが僕がスクリーンショットで見て心惹かれた部分でもあるのですが、萌の元に謎の女が現れ「あなた今4位よ」と告げるのです。

 何の4位か?それは「嫁姑番付」です。この地域に存在する嫁姑の関係性で、いびられ度によってひそかに番付が行われており、不二子にいびられる萌はその4位であるというのです。それを告げた謎の女の正体は嫁姑番付5位の女、自分より不幸な女を見ることで癒されるという、悲しくも人間らしい存在です。

 

 「順位」、人間はその概念に惹かれてしまうのではないでしょうか?アイドルの人気投票では、結果に人が一喜一憂します。僕が大好きな漫画エアマスターでも、深道ランキング(ストリートファイトの強さランキング)において自分が何位であるかということの名乗りや、その入れ替えが起こることでぶち上がることがありました。あと、ごっつええ感じであったコントの、世界一位の人もめちゃくちゃ良かったですね。

 「かんかん橋をわたって」に登場する嫁たちが、自分の名乗りを嫁姑番付何位の○○と言い出すところがめちゃくちゃよく、まだ見ぬ順位の女にもワクワクしてしまいます。そしてこれもまた社会だなと思いました。

 自分が嫁姑番付の何位であるかということが、それまで面識のなかった嫁たちの中に、序列による優劣や、仲間意識を芽生えさせます。それによって、個別の家庭事情でしかなかった、各家庭の嫁姑の事情が、番付を意識する人たちの中で共有される問題と化していくのです。

 

 そしてこの物語は、クライマックスに向かってより大きな嫁姑関係へと発展していきます。それは地域を牛耳る姑、ご新造さまの存在です。ご新造さまは嫁姑番付1位の姑側であると同時にもっと大きなものでもあります。地域の男児の名付け親に無理矢理なることで、彼らを産んだ嫁たちの姑となってしまうのです。川東という地域の全てのルールを牛耳る姑こそがご新造さまで、川東で暮らす人々はご新造さまのルールを受け入れる以外の選択肢がありません。

 

 ここが、この「かんかん橋をわたって」という漫画の凄みではないかと思っています。ここで起こっていることは、どれだけ奇異に見え、漫画の種類が変わったように見えても、あくまで語られていることは嫁姑問題であり、問題とされていることの根っこは全て同じことなのです。

 つまり、嫁となってしまった人々は、その姑の強いるルールを受け入れるしかないのだろうか?ということです。この問題は、漫画の中の様々な場所で繰り返され、既に場にあるルールに無理矢理従わざるを得なくなることによって、人の心に亀裂が入ったり、不幸な事故が起こったりします。

 

 ならば、去ることも選択肢のひとつです。かんかん橋をわたって、川東という地域を去ってしまえば、その支配力は弱まります。でも、第三の選択肢はないのか?という話ですよ。姑に強制されるものではなく、地域の人々が共有できる新しいルールを制定することができないのか?という話です。

 

 不二子のおこんじょうによって鍛えられた萌は、徐々に、不二子に似た部分を獲得していきます。人の心を操り、自分の思った通りに動かすような行動を始めます。それは不二子のルールを受け入れてしまったことの影響かもしれません。例えば、ある嫁姑の間のいさかいを、萌はむしろ増幅させ爆発したところに、共通の敵としての嫁の旦那を設定することで和解に持ち込んだりしました。

 そして、この物語は、ご新造さまという共通の敵を、不二子と萌の嫁姑が共通の敵と認識し、共闘することでクライマックスに向かっていきます。

 

 かんかん橋は封鎖され、そこから去るという選択肢を奪われた中で、川東の最後の戦いが始まるのです。

 

 ご新造さまは川東を支配するほどの影響力を持った姑ですが、彼女もまた嫁であった時期がありました。それはこの地域の経済に絶大な影響力を持った女傑の元に嫁いできた嫁です。女傑は、嫁に一切何も強いることがありませんでした。ありのままに自分の幸せを追求することを認めたのです。それは、嫁姑番付の中で苦しめられる人々とは真逆の姿でした。ともすれば素晴らしい試みであるとも思えるかもしれません。しかし、皮肉なことにその果てに生まれたものが稀代の嫁であり、なおかつ絶対的な姑であるご新造さまです。

 自分がルールを強いることと、相手のルールを無条件で受け入れることは、同じ選択肢の裏表でしかないのかもしれません。女傑は自分が生み出したご新造さまによって、哀れな末路を迎えました。

 それ自体が、川東にとっての呪いとして機能しているのです。嫁をあるがままにしていれば、姑は哀れに捨てられる。その恐怖が川東の嫁姑のいさかいの根底に存在しているのです。

 

 支配し、支配されるという関係性のどちらに嫁姑がなるかという権力闘争、それが一見何の変哲もない田舎で巻き起こっていた闘争です。それを根本から解消できる存在とは誰なのか?

 

 不二子は女傑の右腕と呼ばれるような存在でした。不二子の目的はご新造さまによる支配の体制を破壊することです。不二子はその名の通り、唯一無二の賢さと実行力と精神力を兼ね備えた姑でした。不二子がその気になれば、ご新造さまを失脚させることはできたはずです。でも、彼女は長い間それをすることをしませんでした。何故でしょうか?

 それは、たったひとりの孤高の強者である不二子がご新造さまに勝ったとしても、それは新しいルールの象徴が生まれるということに他ならないからです。頭がすげ代わるだけで、同じことが起こってしまうからです。誰かが与えるルールに、盲従する人々が、支配されてしまう人々が存在し続けます。

 だからこそ、不二子は求めました。第三の選択肢を作ることができる存在をです。それは、姑と戦いながら、地域の嫁たちとの絆を深め、その上の大姑大舅たちも味方につけることができる、孤高ではなく、集団をまとめ、皆で変革を起こすことができる存在です。

 だから、不二子は萌を嫁として鍛え上げることで、ついには自分に匹敵するほどの存在に仕立て上げたのです。

 

 はちゃめちゃに戦線が拡大してく様子が、めちゃくちゃ面白い「かんかん橋をわたって」ですが、その根底にあるのは、この思想ではないかと思いました。世の中には沢山の社会の間に、沢山の摩擦があります。ひとりで生きられれば、誰ともぶつからずそこから逃げられるかもしれませんが、人が効率よく生きるにはどこかの社会に所属しなければならないのもまた事実です。

 そこで生きるためには、その場に存在するルールを無条件で受け入れなければならないのか?人は結構そう思いがちなんじゃないでしょうか?苦しみに耐え、不満を噛み殺すことで、心を殺しながらしがみついてしまうことが苦しいなら、そこを去る以外にも方法はあるはずです。萌のように。

 

 だから、この漫画はすごく真っ当な漫画だと感じて、ストレートに心に響いてしまいました。でも、やっぱり順位が、順位がめっちゃ面白いんですよね。ついに分かる1位の女の謎や、最後まで不明だった9位の女の登場に、まあ興奮するわけじゃないですか。

 

 この物語の最後に至っても、不二子は別にいい人ではありません。嫁をいびっていた目的は分かりますが、それを萌が引き受けなければならない理由はありませんし、その中で取り返しのつかない事態も引き起こしてしまっているからです。

 でも、そんな、相容れない人間同士であったとしても、ご新造さまの支配を川東から取り払うという同じルールを共有している間は社会を作ることができるということが僕は希望だと思っていて、異なる人格を持った人と人とが社会を作る上では、そうであることが良いように思うんですよね。同じものに完全に染まって同化することなしに必要に応じて協力して生きられるということだからです。

 

 とにかくめちゃ良かったので、未読の皆さんも気になったら読んでみてください(めたくそネタバレ書いてしまいましたが…)。