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テトリス棒的漫画名言について

 漫画には沢山の名言があります。スラムダンクやワンピースの名言を取り扱った本が色々出ていたり、最近では「寄生獣ミギー 悪魔の言葉 100の名言」なんて本も出たりしています。その中でも僕がテトリス棒的名言と読んでいる種類の名言があるので、その話をします。

 

 僕は自転車レースの漫画「弱虫ペダル」がとても好きですが、その中に登場する巻島先輩の名言が代表的なテトリス棒的名言です。その名言は以下のようなものです。

"ありがとう"

 正確に言えば、これは巻島が主将の金城に託した言葉ですが、 この五文字が大変名言です。この言葉によって、僕の頭の中のなんというかチャクラ的なものが大解放されてしまい、涙がダバダバ溢れてしまったりします。つまり、テトリス棒的名言とは何か?を図解すると以下のようなものになります。

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 このように、「ありがとう」の一言はテトリス棒として、それまで積み上げてきたテトリミノに空けてある穴に突入し、一気に消し去ることで感動に転化する言葉なのです。言葉単体では平凡な台詞かもしれませんが、物語の序盤からじっくり周囲にある積み上げてきたものがあるために、その一言で一気に感極まります。むしろ、言葉が短いことで、大量の情報が一瞬で解放され、その瞬間風速で様々な思いが脳内を駆け巡ることになります。

 この台詞をもう少し詳しく解説すると、インターハイ1日目の山岳ステージにて、転倒事故により最後尾まで落ちてしまった主人公の坂道くんが、驚愕の100人抜きをして追いついてきたときに、巻島が金城に託して伝えた言葉なのです。巻島には東堂というライバルがいて、3年生の最後の夏でクライム対決の決着をつけるという約束をしていましたが、クライマーである坂道くんがいなくては、勝負に出ることができませんでした。なぜなら、クライマーである巻島にはチームのみんなを引っ張る役割があるからです。そもそも総北高校にはクライマーが巻島一人しかおらず、自由に戦うことができなかったんです。しかし、一年生で初心者の坂道くんの登りをみた巻島はそれを見て「クライマーだ!」と興奮するわけなのです。一年生のウェルカムレースにて、それまで一番冷めた目をしていた巻島が、有望新人の今泉にくらいつき、山を登る坂道くんの姿に徐々に興奮し、身を乗り出して「いけっショォォ 小野田ぁあ!」叫ぶシーン、そして、山頂で今泉に勝った坂道くんに「スゴイっショ!ドリームっショ!」と我が事のように喜ぶシーンは感動的です。巻島は坂道くんを信じていた、求めていた、自分が戦うために、東堂との約束を守るために、同じクライマーとして、期待していたのです。そして、坂道くんはその期待に見事応えました。不慮の事故に遭いながらも、奇跡的に追いつき、チームを引っ張る役割を巻島から引き継ぎ、巻島に東堂との勝負の約束を守れるようにします。巻島は口下手な男です。本心をストレートに言ったりはなかなかできません。そんな巻島が金城に言葉を託したわけです。それは坂道くんがきっと追いついてくると信じていたからでしょう?その言葉が、一言、「ありがとう」なんです。

 

 というような長々と書いてしまう感情が、言葉にはならずとも、「ありがとう」の文字を認識した1秒ぐらいの間に自分の中を駆け巡ることになるのです。このような自分の認識速度を超えた感情の奔流が、感動という現象のひとつの構成要素なのではないでしょうか?

 これは、言葉だけを見た場合には起こりえません。言葉はただのテトリス棒、四つの正方形がくっついた棒でしかありません。それが落ちてきただけでは、何も消えないのです。なので、この僕が大変興奮し、感動したこのシーンも、見開きの言葉だけを見ただけでは理解できないかもしれません。

 

 このように漫画の名言の中には、実際に言葉単体で見た場合にはさほど感動しないものもあると思います。それらの言葉をテトリス棒として自分の中で感動に転化するには、それまで読んで積み上げてきたものが燃料として必要だからです。これは例えば、イラストレーターのあきまん氏が解説する、「絵の中の鍵」というものと同じ種類のものかもしれません。


イラストレーター・あきまん氏が語る「絵の中の鍵」とは何か?絵に込められる情報量について - Togetterまとめ

 感動するために必要な情報は、それまで長い事読んできた読者の頭の中にあります。名言は、それらを解放するためのきっかけであり、感動そのものとは別のものであるのではないか?ということです。

 

 具体例を挙げていけば山ほどあります。「エアマスター」の崎山香織が言った「おまえだけに分かってもらうために強くなったんだ!」や、「うしおととら」のとらが言った「もう…喰ったさ」、「金色のガッシュ」のコルルの「私、人を傷つけるだけじゃなく、こんな力も持ってたわ」、「ダイの大冒険」のハドラーの「人間の神よっ!魔族のオレが…初めて祈る…」ように、思い出すだけで僕は涙ぐんでしまうものが沢山ありますが、読んでない人には何のことやらさっぱり分からないかもしれません。

 

 漫画の名言のコマなんかが、抜き出されて会話に使われたりするインターネットですが、そこでは上記のような文脈が消失し、言葉だけが生きているということも多いような気がします。例えば、「少女ファイト」の「お前がそう思うんならそうなんだろう、お前ん中ではな」という台詞は、元の漫画で使われた意味とは少し違う使われ方をしていることを目にします。それは他のテトリミノが存在しないテトリス棒単体でしかないからではないかと思いました。

 言葉は言葉単体でも成立はしますが、それだけではなく、その他の様々な文脈を圧縮したり、結合したりする役割があるのです。

 

 このような認識ををもう少し一般的なところに広げると、「誰が言ったか」より「何を言ったか」が重要ではないか?とか、そうでもないか?とかそういう話にも繋がると思います。つまり、少なくとも「誰が言ったか」ということには、それまでその人が何を言ってきたかという文脈が含まれるということです。「誰が何を言ったか」ということは「何を言ったか」よりも文脈の分、より多くの情報を含んでいるはずですから、「何を言ったか」単体よりも誤解されにくく、より多くの情報が伝わるものであるのかもしれませんね。

 

まとめ

 漫画名言にはすごい良いものが沢山ありますが、漫画自体を読んでない人には上手く伝わらないものも多いかもしれません。なぜなら、それはテトリス棒的名言であるかもしれないからです。おわり。