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「3×3 EYES」の鬼眼王と群集心理の話

 漫画を読むときには、その時々で思っていることを作中に勝手に見出すことがあります。今回もまた「3×3 EYES」をダシにしたそんな話です。

 (3×3 EYESのネタバレをおもくそしているのでご留意下さい

 

3×3 EYESとは?

 3×3 EYESは、三只眼吽迦羅(さんじやんうんから)という三つ目の妖怪であるパイが人間になる方法を求めて、民俗学者を父に持つ藤井八雲の元にやってくるというお話です。三只眼吽迦羅には、その三つ目から人間や妖怪の魂を取り込むことで、その人間や妖怪を不老不死の存在「无(うー)」に変えるという能力があり、魂を外部化することで死ななくなった「无」は、三只眼吽迦羅の身を守るための存在となるのです。パイは八雲を自分の「无」にしました。

 この物語の大まかな骨格は序盤に早々に提示されており、三人の三只眼吽迦羅が「ニンゲンの像」という道具を使った「人化の法」という儀式を行うことで、そのうちの二人の三つ目の能力を奪われ、残りの一人が三人分の能力を得ることになります。そうして、一人の強大な力を持つ三只眼吽迦羅と、二人の人間が生まれるという感じです。この儀式を太古の昔より繰り返し、強大な力を得てきた存在が三只眼吽迦羅の王、鬼眼王(かいやんわん)です。

 作中では、鬼眼王とパイを除いた三只眼はもう地上には存在していないのですが、儀式のためには前述のようにもう一人の三只眼が必要なのです。三人目を見つけ出すまでには長い長い物語があるのですが、色々あった結果、終盤に遂に儀式が行われ、パイは人間になり、八雲も无から人間に戻ります。それは、望んだことであったはずなのに、最悪の形で実現されてしまうのです。ただし、そこらへんは今回の話とは関係ないので割愛します。


鬼眼王とは?

 さて、前述の鬼眼王の名前はシヴァ、先代の鬼眼王の供物として捧げられるはずが、事故により鬼眼王という存在のの全てを受け継ぐことになってしまった三只眼です。シヴァは優しい心を持った三只眼でしたが、鬼眼王となってしまったシヴァは同族を皆殺しにしようとします。子供の頃に、3×3 EYESを読んだときの印象では、「シヴァは力を得て変わってしまった」と思っていましたが、大人になってから最後まで読み通すと全然違う感じだと思いました。あれは鬼眼王であり、シヴァではないのです。

 僕が鬼眼王を何と思っているかというと「集団」です。長い時間をかけて数々の三只眼の能力と人格を奪ってきた総体ということです。鬼眼王を大企業とするならば、シヴァは社長のようなものでしょう。あらゆる決定権があるように見えて、そう自由ではありません。なぜならば大企業は、大企業に属する人たちがその生活を存続するために利益を上げ続けるという目的を持っているからです。つまり、社長の判断は、その目的を達成するために行わなければいけません。例えば企業の有している不動産を現金化して、その札束に火をつけて燃やして遊ぼう!!などという判断はできないのです。それは利益を生み出す行為ではないからです。

 

 シヴァという主人格は、鬼眼王という名の無数の人格によって自由を奪われました。例えば大人数の会議で、全会一致しなければ結論が出せない場合、その結論はなかなか出ないことは容易に想像できると思います。なぜならば、人数が増えれば増えるほど参加者の利益は相反しやすくなりますし、互いの要求が要求を打ち消し合い、合意できることがどんどんなくなってくるからです。つまり、そこで出る結論というものは、その集団が持つ根源的な目的に寄り添ったものになるはずです。例えば、企業であれば「利益を上げて会社を存続すること」だと思います(余談ですが、「マネーの拳」で「会社とは何か?」と問われた主人公が「人を雇うこと」と答えたのがシンプルでいいなあと思いました)。そして、鬼眼王であれば何か?それは、彼ら知性を持つ存在の根源であった「意志の光」に回帰することなのでした。

 

 本作の設定では、この世界の始まりに神と呼べる存在「意志の光」があり、そこから生まれたのが三只眼吽迦羅です。そして、人化の法の儀式により能力を奪われた三只眼が地上に降り立ち、猿との間に子を成した末裔が人間なのでした。その結果、かつては三只眼だけのものであった「意志の光」は、全ての人間の一人一人の心の中にも細切れに分かれ、散逸してしまっていたのです。鬼眼王は再びそれらの光を集め、ひとつの大きなものに回帰しようとするという目的を持っていました。時間の経過とともに猥雑さを増す世界の中で、再び整然としたものを取り戻そうという理想に生きる選択です。これはそれこそ、エントロピー増大という自然の流れに逆らうという意味で、彼らの持つ「意志の光」の成せる業であった言えるかもしれません。

 

鬼眼王とは何であったか?

 僕は鬼眼王とは群集心理の象徴ではないかと思いました。群集心理が結託するためには、構成員の誰もが同意できるはずの理想が必要です。それが本作においては、現在の猥雑よりも、過去の清廉に回帰しようとする行動であり、それを暴力的に実行しようとしたのが、鬼眼王による意志の光の再統一、作中の呼称で言えば「大帰滅(マハープララヤ)」であったのではないでしょうか?

 しかし、その試みは失敗してしまうのです。なぜならば集めた「意志の光」は、理性的な聖なる光ではなく、欲望にまみれた邪悪な闇であったことが分かったからです。意志というものはそういうものであったのです。彼らの理想は、最初から存在しないものであったのです。しかし、同時に鬼眼王は気づきました。自分が意志の光を統一しようとした本当の目的は、その本性が闇であり、自分の中にそんな闇が存在することが許せなかったからだったということにです。理想に燃え、潔癖であるからこそ、その邪悪な本性と融合し、消し去りたいと思っていたということなのでした。

 一方、邪悪であれ正義であれ、それが人の魂であると考えたパイと八雲は、鬼眼王を倒し、再びその光(闇)を人に還すことに成功します。統一され制御できない巨大な闇であるより、人の心の中に細切れになり小さくなった闇を、個々人が自分の中で制御することを期待するという結末をこの物語は迎えます。

 

まとめ(まとまってない)

 ある程度大きな企業の偉いさんの話を聞いたりしていると、この人はそんなことを本気で言っているのか??というような綺麗事を言ったりしているのに遭遇します。昔はそれを「心にもない上っ面の話ばかりしているなあ」などと不遜にも思っていたのですが、最近は捉え方が変わっていて、そうしなければ大きな集団を統率することはできないのではないか?と思っている感じです。

 なぜなら、誰が見ても正しいと思えることを支持し、誰が見ても間違っていると思えることを批難するというのが、ある程度大きな集団の方向性を決めるために効率のよい態度だと思うからです。そうではない中途半端な態度は、意見が分かれますから、一丸となって行動するには、ハードルが上がってしまいます。一方、逆説的に言えば、誰もが正しいとは思えていないのに、集団を統率し、導くことができる人を、特殊なカリスマと呼べるのかもしれません。

 集団の仕事というものは、自分が正しいことを証明するという連続です。企画を立てるときも、未来のことなんて誰にも予測できないのに、いかに自分が正しいかということを筋道立てて説明します。過去の結果や、他の集団の結果などを参照しつつ、決裁権を持つ人間に「正しい」という判子を押してもらうことで先に進めます。しかし、その「正しい」ことが常に成功するとは限りません。ということは、その時点で「正しい」という判子が押されていたそれは、実は「正しかった」ことではなく「間違っていた」ことであることも全然あるのです。それでも、それを正しいことにしなければ、それが正しかったか間違っていたかを判定する段階に進むことすらできなかったのです。

 

 このように、集団が存在する場所では、分かりやすく正しいことと分かりやすく間違っていることがもてはやされるものだと思います。ひとりの力は集団の中では脆弱ですから、正しくでもなければ何も行動できないからです。ここで言う、分かりやすく正しいこととは、例えば、既に結果が出ていて正しかったという評価が揺るぎないことで、分かりやすく間違っているということは、例えば、科学的事実に反しているとか、同じ人の発言が矛盾しているとか、結果が出ていないとか、法律に違反しているとかそういうことです。

 人間を個別に見るのではなく、集団として捉えた場合、群集心理の結果として、そういう分かりやすい正しさを褒めそやし、分かりやすい間違いを糾弾するという行動が見えやすいのではないでしょうか?なぜならば、それらの分かりやすさは行動に直結しやすく、分かりにくさを抱えたものの迷いは行動として表れにくいと思うからです。

 

 鬼眼王の存在は、現実社会におけるそれら群集心理を象徴しているかのように読むことも可能だと思いました。彼らは理想に燃え、それゆえに、悪を許せず、一人の存在ではなし得ないことを成そうとします。3×3 EYESでは、一人一人の人間が、それらの闇を一人一人制御するという結末に向かいました。その結末が正しいか正しくないかは僕にはよくわかりません。3×3 EYESでも「人間どもはいずれ自滅の道を辿る」という台詞が最後に存在します。

 人間には、群衆となるからこそ成し遂げられることもあると思いますし、群衆であるからこそ起こる惨劇もあるのではないかと思います。何かが起こったとき、それがポジティブな結果なら良いものとして参照され、それがネガティブな結果なら悪いものとして参照されるだけなのかもしれません。

 

 さて、なんとなく思っていたことと、今読み返した漫画と適当に結び付けてみたといういつものやつということで、この話はご勘弁を願うこととして、そういえば、3×3 EYESの新作が、最近、ヤングマガジン海賊版(WEB)で連載されているという情報があるので、それを書いて今日のところは終わりです。


3×3EYES<サザンアイズ> 幻獣の森の遭難者 第1話 コミック - 無料コミック・小説投稿サイト - E★エブリスタ