漫画皇国

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「BLAME!」について

 先日、弐瓶勉の「BLAME!」を読み返して面白かったので、それについて書きます。

 

世界観について

 BLAME!の魅力のひとつはその世界観だと思います。地上のみならず宇宙のどこかからも持ち込まれた建材によって、もはや人間の管理を離れた「建設者」たちが延々と都市を増築し続けるその世界では、都市構造の大きさは地球自体をはるかに超え、その衛星をも飲み込み、おそらくは他の惑星すらも飲み込む形で広がり続けています。その中にいる人たちは、際限なく続く都市構造の連続の中で、空も海も知らず、ただひたすらに増築され続ける都市の中に点在して生きています。

 今日において情報流通が発展した結果、人々の頭の中にある世界は小さくなりました。地球上において人類の知らない場所は…実際はまだまだ多くありますが、それでも認識の上では少なくなっているのではないかと思います。例えば、ガリバー旅行記にあったような小人や巨人の島が世界のどこかにあるかもしれないという想像力は既になくなっています。しかし、BLAME!のこの世界観では、この世に再びそれを取り戻しました。かつて海の向こうがどうなっているかを人類が知らなかったように、壁の向こうにはどんな世界があるのか人類には分かりません。人類は物理的な階層によって分断され、分断された先でそれぞれが独自の進化を遂げています。沢山の未知が既知として綺麗に整理された世の中に、再び「カオス」を持ち込み、人間は再び冒険すべきフロンティアを手に入れました。それがこのBLAME!の世界だと思うのです。

 その世界は無限に広がっているわけではありませんし、当然のようにいつかは果てがあるのです。しかし、壁の向こうが分からない限りは有限も無限も同じことです。主人公の霧亥は、その手にもった重力子放射線射出装置で壁を壊すことができます。それゆえに彼には無限に広がる世界の有限の果てに辿り着ける可能性があるのです。

 永遠に続くかと思われる構造物の中を探索し、その先には何があるかが分からないというシチュエーション自体が本作を読んでいる僕のわくわく感の根底にある気がしていて、それはつまり冒険ということです。他の作品で、似たような感覚を想起させるものと言えば、魔界塔士SaGaなんかがあると思います。ひたすらに高い塔を登り続ける冒険者たちと、その階層ごとに点在する、それぞれに独自の文化を持った人類との出会いがあります。

 人類はかつて未踏の北極点や南極点、エベレストの登頂、新大陸、宇宙、様々な冒険を繰り広げてきたはずです。それには冒険先からの利益を得るという目的もあったでしょうが、冒険そのものが目的でもあったのではないでしょうか。彼らを突き動かしたのと同じ感覚が自分にもあるのではないかということをこの物語を読むことで思い起こさせられるのでした。

 

謎について

 BLAME!において特異なのは台詞の少なさだと思います。読者は文字ではなく絵から情報を読み解かなければいけません。それは一意には決まるとは限らないので、読んだ人によって異なる解釈が生まれる可能性があります。一方、言葉による説明は意外に要所要所でしっかり行われてもいます。最後まで読み通した後、この物語の世界の構造において不明な点は実はあまりありません。ただし、ある概念の登場と、その説明が普通の漫画では考えられないほど離れているのです。

 例えば第一話から「ネット端末遺伝子」という言葉が出てきます。そして、それが何なのかということがその時点では読者には提示されません。普通の漫画であれば、登場から遠く離れずに説明が行われますし、その後に同じ言葉が出てきたときにはそこまで遡れば意味が分かります。しかし、この漫画ではその説明はずっと先にあります。その先に辿り着くまで「ネット端末遺伝子」という言葉の意味は、よく分からないままで抱え続けなければいけませんし、再びその言葉が登場した場合でも参照すべき情報元はまだ未来にあるので、分からないままなのです。その説明があり疑問が氷解するまで、中身が空っぽの意味不明なマクガフィンとして存在し続けるのでした。

 これらの疑問は二度目に読み返すと氷解しているために、二度目は読みやすくなっているかもしれません。あるいは、解説サイトなどを読みながらでも解消されるでしょう。しかしながら、思うのは、そのワケが分からないものをワケが分からないままに読み進める体験こそがBLAME!という漫画なのではないかと思ったりもします。

 ほりのぶゆきの「てれびさん」という漫画に「おやじUFO」というエピソードがあります。ひとり乗りのUFOに乗って夜空を飛び回る親父は、息子に向かってこう言います。「UFOはただ飛行するだけではだめなんじゃ!それを見た者との関係こそUFOなんじゃあ!」(漫画の該当ページにリンクを貼れる便利な時代になりました)。

 同様に、僕が思うに、分からないものを分からないなりに考えながら読み進めるという、読者と漫画の関係と、その体験こそがBLAME!であり、それが何か分かった上で読むのとは異なる感覚があるのではないかと思いました。なので分からない場合は、分からないなあと思いながら読み進める方が良いのではないかと思います。

 例えば、作中で、霧亥は自分の視界に表示されるAR情報の意味すら忘れてしまっていましたが、セーフガードの干渉によって、再びその意味を理解できるようになるというシーンがあります。これは、読者にとっても今までは意味の分からなかった描写や言葉の意味が分かるということであり、その感覚を追体験できるというような読み方もできると思うからです。

 

虚無感について

 本作全編に渡って存在しているのは虚無感ではないかと思います。未来に対する希望がなければ、拠り所となる確かなものもないのです。登場するキャラクターたちはごみクズのように死んでいきますし、死んだキャラクターたちもコピーから再生されたりします。様々な情報が上書きされることで、個性が消失してしまったキャラクターもいますし、生物の営みのほぼ存在しない世界では、時間の流れも曖昧です。漫画内のあるコマとあるコマの間の時間が、実際には1秒であるか10年であるかを判断する根拠は何もないのです。

 何かを追い求めているキャラクターたちは、そもそも彼らが何故それを追い求めているかをも忘れているかもしれません。ルールとその再生産だけが延々と繰り返され、目的は消失し、それでも生きています。

 人類の科学の発展は一世代に閉じていない知識の継承によって育まれてきたものだと思います。自分自身がその枠組みの中で学んでくる過程で、誰しも一度も思ったのではないかということは、この技術の継承自体が一個体が生涯をかけても行えなくなった場合にどうなるのだろうということです。かつてアーサー・C・クラークは「宇宙の孤児」の中で、恒星間宇宙船の中でその知識の伝搬が途絶えた世界を描きました。

 そして、現実の世界でもそれらは起きようとしています。大学では促成栽培のように科学技術の進歩の歴史を追体験させられます。例えば、僕が学んだ計算機科学の分野では、マルチバイブレーターからフリップフロップを作り、論理回路を組み上げて計算機を作り、CPUを設計し、マイコンを組み上げ、シェルを作り、コンパイラを作り、その上で動くソフトウェアを作りました。技術の進歩が辿ってきた要点だけをかっさらい、なんとなくの歴史と構造を学ぶわけですが、最新技術に辿り着くまでにはまだまだ大きな差が存在しています。学生は過程で専攻を選び、その中の一部の技術だけを先端まで学び、働き始めて実践するということになります。これらはある種危うい橋の上に成り立っているように感じていて、なんらかの影響で数十年間の継承がストップしてしまえば、失われてしまう可能性があり得ますし、継承する人数が少なくなっても一部の技術は消失するでしょう。

 実際問題として、学問として体系化されたものについては継承する下地が作られていますが、ある企業の中にある独自の技術なんかではスペシャリストの退職と同時に失われることもざらにあります。設計者が何を意図して作ったかも分からないものを使い続けていることもあれば、それを再生産していることもあります。自分がどんな原理で動く何を使っているかも分からないという恐ろしさは、手繰って行けば実はもはやとっくに身近な問題で、ただ、詳しくない分野には詳しくないので、それに気づかないだけなのかもしれません。

 この先、人類の技術はどうなるのだろうかというものに対する絶望的な未来の提示が本作では描かれているように感じ、その希望のない未来像に、読んでいて背筋がうすら寒くなるのです。


感情について

 この漫画に登場するキャラクターたちの感性は特異に思えます。主人公をして霧亥はどんどん感情の発露のようなものが見えなくなっていきますし、何を考えているのかがさっぱり分かりません。見方によっては彼らは意味もなく戦い、意味もなく死んで行き、意味もなく再生し、また意味もなく戦っているようにも思えます。しかし、虚無的に見えこそすれ、その無表情の仮面の奥に、少ない言葉とその行動によってのみ達成されるものが見え隠れすることから、決して無感覚、無感動にそれらが行われているわけではないのだということを読み取ります。それは読者である自分が勝手に読みっているものかもしれませんが、それが勘違いであれ勘違いでないものであれ、そうなること自体が、読んでいる自分が価値を見出しているものなのかもしれません。

 

絵について

 格好良いです。荒涼とした世界の風景も、複雑に絡み合う都市構造も、立ちふさがるセーフガードや珪素生物も、それらとの戦いのシーンも、見たことのないものが見たことのない形で描かれているということそれ自体が目にご褒美という感じが大変します。

 

 最後書ききれるものではないと思ってなげやりになりましたが、今回思ったことはこんな感じです。一言でまとめると「面白かったです」です。そのうちまた読み返します。