漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

物語における犯人の、その後の人生について

 スキマでの「喰いタン」の無料読み放題も終わったところでタイミング悪く「喰いタン」の話なんですが、僕がこの漫画で好きなところのひとつに、犯罪者のその後が描かれているというところがあります。

 その犯罪者とはケーキ屋を営む女性で、殺した相手は好きな男と結婚した若い女性です。でも、犯行動機は嫉妬ではありません。人を守るためです。なぜならその若い女は、男の持病に対してあえて健康に悪い食事を作ることで早死にさせようとしていたからです。ただ、守るためとはいえ、人殺しは人殺し、喰いタン(喰いしん坊の探偵という意味だよ!)こと高野聖也によって真相は解明され、裁かれて刑務所に収監されてしまいます。

 

 この話の面白いところは、その後そのケーキ屋の女性が仮釈放されて、またケーキ屋を再開するところです。しかしながら、殺人事件の犯人であった女性は、世間から簡単には受け入れられません。人殺しが作ったケーキなんて食べたくないと、お店は閑古鳥、店の壁には刃牙の家のようなひどい落書きをされまくってしまいます。

 ケーキ屋の女性を何より悲しませたのは、溺愛している姪っ子までも自分を拒絶したことです。それは、そのケーキ屋の女性がその姪っ子の誕生ケーキを作ることが知れてしまったために、その友達の親たちが拒否感を示したからです。その結果、楽しいはずの誕生会に誰も来てくれなくなってしまったという悲しい事情があるんですよ。

 

 でも、姪っ子も本当は知っています。ケーキ屋のおばさんがとても優しい人であることを。でも、それを簡単には認められないわけですよ。「将太の寿司」の奥万倉さんもそうでした。育ての親に素直に感謝の気持ちを伝えることができませんでした。

 気持ちが一致しているからといって簡単に素直になれるなんて限りません。しかし幸いなことに、その難しいわだかまりを解消できる出来事がありました。それに何が関係しているか分かりますか?将太の寿司では「イカの寿司」でした。では喰いタンではなんでしょうか?

 

 それは「粉塵爆発」です。

 

 未読の方がいる場合、具体的なところは読んで確認してほしいですが、こんなふうに「粉塵爆発によって強くなる人と人との絆」もあるんですね、と思いました。これが漫画の粉塵爆発の中で、僕が最も好きなもののひとつです。

 話が逸れましたが、このケーキ屋の女性は、その後もたびたび登場し、弟子入りする女の子が出てきたり、お店も普通に繁盛するようになって、彼女は完全に社会復帰することに成功しました。作中で犯罪者になった人のその後がここまで描かれるケース、意外とない気がするんですよね。

 

 物語には様々なタイプの犯罪が登場します。特にミステリではそうでしょう。それらの犯罪にとって重要なことは何でしょうか?それはもちろん「トリック」ですね。しかしながら、もうひとつ存在します。それは「動機」です。

 犯罪という結果には、そこに至るまでの動機が存在することが多いはずです。原因があって結果があるなら、動機があって犯罪があります。しかし、本当に犯罪は最終的な結果でしょうか?もしかしたら中間地点の過程でしかない可能性もあります。犯罪に至るほどの動機があった人が、探偵によって暴かれ、捕まり、裁かれたとき、その犯人たちの物語はちゃんと描かれたと言っていいのでしょうか?

 

 犯罪には私利私欲のために行われるものもあれば、やむにやまれぬ理由があるもの、あるいは理不尽に何かを奪われた人々による復讐もあり得ます。その犯行が、探偵によって真相を暴かれてしまったとき、それは犯人たちにとっても納得がいく結末となったのでしょうか?

 犯行の時点で目的は遂げたのかもしれません。探偵に未然に防がれ、犯行を実行できなかったかもしれません。あるいは、動機が復讐であったとき、その喪失が本当にその犯行で埋められたかどうかという問題もあるわけです。

 何かしらの事情により犯罪者となった犯人たちの物語が、ひとりの登場人物として完結を迎えるのなら、刑に服して社会復帰する過程は、実はとても重要な部分なんじゃないでしょうか?そこにはまだ何かを描く余地があったりするんじゃないでしょうか?

 

 日本には多様な漫画が存在しますから、当然ながら、刑に服したあと、娑婆に出てきた前科者を扱う漫画も色々あります。例えば「地雷震」には、世間に居場所がない元犯罪者たちが、互助で暮らす集団が描かれました。彼らと一緒に生きようとした男は、前科者の権利を認めてもらうために選挙にも出ようとします。結果は読んでほしいですが、悲しい話でした。

 「ギャングース」は少年院を出てきた親や社会の庇護のない少年たちの物語です。彼らはもはや世間で言う真っ当に生きるためのルートを得ることができず、他の犯罪者がため込んだお金を横取りすることで、そのお金を使って世間の表を歩けるようになるために奮闘したりします。

 そういえば、まさに犯罪者の更生を手助けする「前科者」という漫画が、このまえ単行本が出ましたね。

 

 何かしらの事情を抱えて罪を犯し、その応報として刑に服し終えたとして、その後に彼らには何かしら納得のいく未来があるのでしょうか?自分が犯した罪に向き合うことはとても辛い話です。

 世の中が罪と罰で釣り合うようにできているのだとしたら、人を殺した罪を抱える人には、幸福になる権利が認められないかもしれません。

 だから、犯罪者は自分が理解できないような人間だった方が楽ですよね?それならば、彼らを社会に復帰する権利を持つべき同輩と思わなくてもいいように感じるからです。そうやって「同じ人間」というくくりの範疇から外に追いやることで、悲しいことに、納得がいってしまったりするかもしれません。

 

 でもあるじゃないですか。「人間」がうっかり「罪を犯してしまった人間」になってしまうことが。でもそこで人生が終われないことだって多いわけです。

 ヤンマガでこの前再開した「マイホームヒーロー」も、娘を守るためとはいえ、人を2人殺しています。それが見つかりそうになると、逃げきってくれ!!みたいな感情が僕に生じるんですが、倫理の話から言えば、自首して償って!!ってなるかもしれませんし難しいです。

 主観をそちらに設定されてしまえば、どんな犯罪者にも理解できる余地が生まれてしまうかもしれません。

 

 沢山の物語には、罪を犯した人たちが沢山登場しますが、その後の彼らがどうなったかについては描かれないことも多いです。

 

 そう思うと、これまでのミステリで読んできた犯人たちが、その後いったいどうなったのかな?と思うような想像力があるわけです。

 裁かれることなく自殺してしまった人もいます。獄中死した人や、脱獄して再び犯罪に手を染める人だっています。死んだと思ったら記憶を失って別人として生きていたなんでのもあります。でも、そんな目立つもの以外の、そのまま刑に服してどうにか社会にまた出てきて、どうにか社会と折り合いをつけて生きている人たちもいるんだろうな?と思うわけです。

 

 「名探偵コナン」の最初で、ジェットコースターで人を殺した女性は、結局懲役何年だったんでしょう?コナンの時空は歪んでいるので、もしかすると、その期間が数字通りでなく実質的にはすごく引き伸ばされているのかもしれません。

 ジェットコースターの上で横に流れた涙が十分渇いたあとに、彼女の心はどのような動きを見せたのか?それは語られないわけです。でも、気にはなるわけですよ。それが目の届くところにはもう出てこないと思うから、なおさらです。

 

 そういうことをぼんやり考えていて、「犯人たちの事件簿」や「犯沢さん」があるのだから、これまで出てきた沢山の犯人たちが罪を償う様子を描いたスピンオフとかも全然イケるんじゃないですか??とかちょっと思ったんですけど、軽く想像しただけで全然盛り上がる話ではないなと思いました。

 

 ないな。

 

 そういえば、「ビースターズ」では、食殺事件(肉食獣が草食獣を食い殺す事件)を独自に追うパンダの医者が、罪を犯したスナギツネの女性の精神を救う話がありました。

 彼女は結局、罪を償うことを選択しますが、彼女がその後どうなったのかを知りたい気持ちが僕にはありますね。読みたいな。