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内輪ウケは世の中で最も面白いことのひとつという話

 何かの話をするときに内輪ウケの話をするっていうのは、嫌がられることが多い感じがするんですけど、僕が思うに内輪ウケは世の中で最も面白いことのひとつなので、やっちゃうことも多いです。

 

 僕の感覚として、興味を惹かれてしまうものは「ぎりぎり分かるもの」という気がしていて、明らかに分かるものや、全然分からないものはあまり夢中になれません。

 リンゴが目の前にあるときに「これはリンゴです」というのは明らかに分かるものですし、「これはバルモッサ(僕が今考えた意味不明の言葉)です」と言われても何がなんだかわからないというだけですが、「これはアダムとイブが食べたというリンゴと同じ品種なんですよ」とか言われたら、ちょっと興味を持ってしまったりしませんか?なんとなく聞いたことがあるけれど、自分はまだよく知らないぐらいのものがちょうどよく感じてしまったりします。

 

 つまり、興味を惹くためには、知り過ぎずか知らな過ぎずのギリギリの線を攻めることが重要になりますが、何を知っていて、何を知らないかというのは人それぞれなので、この辺りを攻めていくとしたら、必然的に内輪ウケに近くなっていくんじゃないでしょうか?なぜなら、ある集団に属していれば、ちょっとは聞いたことがあるぐらいのものというのを選びやすくなるからです。そのある集団とは、例えばオタクであったり、何らかの漫画やゲームなんかが好きであったり、というようなものです。

 

 内輪ウケはその内輪が狭くなればなるほど、ピンポイントでそのラインを突くことができるので、おもしろくなっていくと思います。しかしながら、内輪が小さくなれば、逆に内輪の外にいる人の割合もどんどん増えていきます。内輪の外の人が内輪ウケを見ると、ちっとも聞いたことないことなので、理解できないし、わけが分からないし、おもしろさはまるで伝わらないと思うんですよ。つまりバルモッサ(意味不明の言葉)ということです。

 

 内輪ウケがつまらないと思うのは、つまり内輪の外にいるときで、それは当たり前です。なぜなら意味が分からないのですから。意味が分からないのに、内輪の中にいる人達だけが面白がっているので、それは奇妙に思えるでしょう。こんな面白くないものを喜んでいる人たちはどこかおかしいとさえ思ってしまうかもしれません。

 

 では、そんな内輪ウケのものを楽しめるようになるとしたら、どのような方法があるかというと、これはもう内輪の中に入るしかありません。内輪の中で、その内輪の中だけで通用することを知っていけば、それまで意味不明だったものの意味が分かりますし、意味が分かれば面白くなってくるかもしれません。

 例えば、パロディにはそういう部分があると思っていて、分かる人には分かるんですけど、分からない人には分からないわけじゃないですか。それは知っているか知っていないかというだけの話なので、知っているから偉いとか、そんなものを知る必要があるのか?とかそういう話ではないと思うんですよ。ただ、たまたま知っていれば面白いし、知らなければ面白くないものだったりするというだけです。もちろん、別にそれを面白いと感じる必要もないわけですから、内輪の外にいてもいいはずです。その辺は人それぞれ好きな内輪に入ったり入らなかったりすればいいと思うんですよね。

 で、そういうことを考えると、世の中には入りたい内輪と入りたくない内輪というものがあると思います。その内輪の中にいる人たちが楽しそうで、自分も同じように楽しくなりたいと思えば入っていくでしょうし、その内輪が非常に排他的で、外から入ってくる人に冷たければ入りたくないと思ってしまうかもしれません。

 

 例えば最近では「ポプテピピック」なんかはすごく内輪ウケなものだなと思っていて、作中に登場するパロディにせよ、特に説明なくいきなり分かっているものとして出てきたりするわけじゃないですか。漫画やゲームならまだしも、インターネットで一瞬だけ流行ったもののパロディなんかは、同じ時期に同じものを見ていなければ、何年か経てば、何が元ネタであったかも分からなくなってしまうかもしれません。

 これも、内輪に入れば楽しいけれど、内輪に入らなければ意味不明、そういうものだと思っていて、それが楽しめるのは内輪にいるからだと思うわけです。なので、内輪の外にいる人たちが面白くないといってもそりゃそうだな、バルモッサだなと思う感じです。

 

 バルモッサ、適当に出した適当な言葉を繰り返し使っているものの、別に皆さんは面白くもないと思いますが、同じ文章の中で繰り返し見ていると、僕が適当な言葉に何かの意味を固着させて繰り返したら面白いと思っているんじゃないかということぐらいは伝わりますよね?これも小さな内輪です。

 そういえば、西原理恵子の「できるかな」シリーズのどれかで(鳥頭紀行の間違いでした)、「くそげろでばっこし」というギャグを漫画に入れたら、編集者から「意味不明」という校正コメントが入ったということがありましたね。でも、実際、ここだけ見たら誰にとっても意味不明ではあると思います。つまりそれは内輪の外にいるからで、内輪の中に入りさえすれば楽しかったりするんですよ。これが内輪ウケだと思います。

 

 内輪ウケの話、しちゃいけないみたいな雰囲気もあるとは思いますが、それはもちろん内輪の外から見たら明確につまらないからじゃないかなと思います。でも、一方、皆が入りたいと思える内輪を作れるなら勝利だなと思えるところもあり、どうにかコミュニケーションをとっている相手を共犯関係に持ち込んで内輪に引き込み、内輪ウケの話ばっかりしてやりたいなというような気持ちがあったりします。