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いちご狩りと人生、あと若干の漫画関連

 人生をそこそこ生きて中年男性となり、自分の欲求と自分の外にある社会を上手く軋轢ないように適合させることも割とできるようになった昨今、どうしてもいちご狩りに行きたいという内発的衝動を社会と齟齬なく解消するために、この前いちご狩りツアーに行ってきました。なぜいちご狩りに行きたかったかというと、いちごが好きなんです。いちごをもいで食べたかったんです。

 

 

 いちご狩り自体はおなか一杯いちごを食べられたのですごく満足しました。ただ、ツアーに参加する中で、はぁー、いちご狩りはビジネスなんだなーと思い、そしていちご狩りは人生なのでは??とも思ったので、それも面白かったです。

 

 いちご狩りをビジネスとして継続するためには、いちごを食べ放題にするということにかかる費用が、参加費を下回る必要があります。また、毎日のように行われているいちご狩りに対して、いちごを供給可能な状態を保ち続けるという設備的な制約もあります。これらのことについてまず感じたのは、バスの中で行われた「いちごはヘタの付け根の部分が一番おいしい」というレクチャーでした。これは不思議に思ったのですが、根元の部分は赤くなるのも遅いですし、自分の実感としては先の部分と比べてそんなにおいしいということはないと思うんですよ。

 であれば、これは嘘です。無意味な嘘をつくとは思えませんから、これはきっとヘタの付け根の部分をちゃんと食べさせようとする戦略ではないかと思いました。つまり、甘みの強いいちごの先っぽの部分だけを食べて、残りを捨てるというようなことをさせないようにするための方便です。食べ放題を謳いつつも一人当たりが食べられる量をさりげなく制限することが重要なんだなと思ったということです。

 

 僕が参加したいちご狩りツアーでは、30分の時間制限とともに、場所もビニールハウスの半分だけに区切られていました。なので、今回の参加者がどれだけ食べたとしても、その範囲にあるものがゼロになるまで食べ尽くされるだけということになります。これはリソース管理上、重要なポイントでしょう。いちごの成長速度を考え、どれだけのいちごをどれだけ食べていいかということを上手くコントロールする必要があります。とはいえ、そこを重視しすぎて、時間がまだ残っていて参加者の腹もまだ膨れていないのに、いちごがゼロになってしまえば参加者に不満が残ります。となれば今後の集客に影響があるでしょう。なので、継続するためには、参加者に満足してもらわなければいけません。つまり、いちごの量と参加者の満足につり合いが取れるように調整しなければいけません。

 

 僕が参加したツアーには、いちご狩りの前に昼食の時間があり、そこである程度お腹を膨らませてからの参加となりました。これは重要なポイントで、僕が大学生のときの先輩のFさんも同じ技の使い手でした。居酒屋で何でもおごってやる!という太っ腹な話をしたあと、いったん松屋に寄って、まず牛めしを一杯食べさせられたのです。このように、あらかじめ参加者のお腹をある程度満たすことによって、少量のいちごでも満足し、自分から食べるのをやめさせるようにするというテクニックがあります。

 

 また、僕が言ったいちごのビニールハウスでは、畝にいちごが生えており、畝と畝の隙間が通路のようになっていて、そこを移動するという作りになっていました。これはどこまで意図したことかはわかりませんが、食い気の強い人が縦横無尽に移動していちごを先に食い散らかしてしまうということを避ける効果があったように思います。移動が多少不自由な分、自分が今立っている回りで食べるしかありませんし、移動するときには他の人が動いてくれるのを待ったりする必要もあります。とはいえ、畝を跨ぐように移動する人もちらほらいましたが。

 時間は30分ありましたが、25分ぐらいの時点で、大体の食べられそうないちごは食べ尽くされ、だいたいみんな満足して外に出ていたように思います。食べられなかったまだ青いいちごは残され、成長したのちにまた別の人たちに食べられるのでしょう。

 

 時間と場所が限られ、食べなきゃ損という状態で提示されると、食べられそうないちごは食べ尽くされてしまうということが人間の業のようなものを感じてしまってよかったです。絶滅動物の情報を図鑑などで読んでいて、人間が食べ尽くすってどうよ?って思っていましたけど、目の前でいちごがあっという間に食べ尽くされるのを見て、そして、自分自身が、食べられそうないちごはないかをうろうろ探して、ちょっとでも食べられそうであったなら食べてしまっていたのを思い出し、人間、マジやべえなという気持ちになりました。

 今回食べられていたいちごの中には、店頭にあったら食べられないようないちごも含まれていたと思います。きっと出荷する際には、見栄えのよいものだけが選ばれて、他は加工品などのような別の用途に使われたりするのではないでしょうか?でも、こと食べ放題のいちご狩りということになると、そんないちごも問題なく食べられていました。だって形がよくなかろうが、おいしいし、食べられるんだものという理由ですが、じゃあ、なんで店頭では選ばれにくいかって話ですよ。

 人間の心理は難しいなと思いました。

 

 また、綺麗に赤くなっていて一見おいしそうないちごがいつまでも残っていることがあります。それを手に取って確認してみると、裏側に虫食いのような穴があったりして、ああ、なるほどと思いました。一見よさそうなので、きっと何人もの人が一度手に取ってみて、それを確認し、食べるのをやめたということが推察されます。

 あと、状態がよさそうなのに、ちぎるだけちぎってそのまま置かれているいちごがあって、全然食べられそうなのですが、なぜか食べる気になりませんでした。誰かがちぎったのに、食べなかったということが、理由は分からないが自分も食べない方がいいのではないかという想像力を喚起するからです。

 

 いちごと「食べる」「食べない」という価値判断には、色々な要素があり、環境や状態や情報によって、結構食べる食べないに差が出てくるんだなという感じがしました。これって割と人生じゃないですか??

 人間が別の人間に対して、何らかの評価を下すとき、いちご狩りっぽいことになってしまったりしてるんじゃないかと連想してしまったりします。

 

 あるいは、これは漫画だったりもしませんか?出荷され、店頭で売られているいちごを、商業誌の漫画とすれば、いちご狩りのいちごは同人誌即売会の漫画かもしれません。商業誌と同人誌を比べれば、平均的な完成度は、様々な人の目を潜り抜けて出てくる商業誌の方が高いように思いますが、商業のシーンには出てこないようなタイプの漫画が同人誌即売会にはあったりします。それは劣っているというわけではなく、商業的なルールに合致しないだけの特別な漫画かもしれません。

 店頭にならんでいるのに人の目に留まらない漫画もあるでしょうし、店頭に並ぶことはないですが、即売会ではたくさん手に取られる漫画もあるでしょう。

 

 人が何かを選ぶということには、様々な条件があり、それぞれの特性に合致する適切な条件を成立されないと選ばれないということは一般的にあるんじゃないかと思います。実際いちご狩りツアーに参加するのと同じお金で、もっと赤くて大きい、立派ないちごをスーパーで大量に買えたりもします。でも、狩りたかったんですよ。その場でもいで食べたかったんですよ。そして、おいしかったし、満足してしまったわけじゃないですか。

 

 人生ですが、食べればおいしいいちごを、何らかの条件で手に取らなかったりすることも多々あります。でも、手に取るときもあるんですよ。それはそういう状況だったということで、手に取ったものが良いもので、手に取らなかったものが悪いものとも限りません。僕はそれを縁あったと思うことにしていて、おもしろいけど買ってない漫画とか、なんとなく買ってしまった漫画とかありますが、買ったのはただ縁があっただけ、そして縁があることは素晴らしいことだなと思っていて、この世にはまだ縁がないので手にとってはいないけれど、良い漫画がたくさんあるんだろうなと思ったりします。

 

 適当にいい話っぽくまとめましたが、いちご狩り楽しかったのでまた行きたいですね。中年男性がうきうきいちご狩りに行くの、世間的にはアレかもしれませんが、僕は一度経験したので、次からはさらに気楽に行けます。

 人生というものは何をするでも2回目が楽という傾向があり、そのためにも1回目を早めに経験しておくといいよなという知見がありますね。みなさんもまだ経験してない人は一回行ってみたらいいんじゃないですか?いちご狩り。