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Netflixの「呪怨:呪いの家」を観た関連

 Netflixで「呪怨:呪いの家」を観たのですが、面白かったです。

 

 呪怨のシリーズは、最初のビデオ版と映画版を何作か観た覚えがあり、ただ、怖い映画は怖くて苦手なので、あんまり直視せずに見ていたような記憶があるので、どれほどこれまでのことを分かっているかというと微妙なのですが。

 

 「呪怨:呪いの家」は、呪怨のシリーズにはモデルとなった実在事件があるという語り出しから始まる物語です。このお話の中では、呪怨の元ネタとなったとされる様々な事件が描かれます。これらの事件は、本当に実在した事件をモチーフとして構成されており、フィクションである呪怨の元ネタである実在事件という、フィクションの実在事件化という内容でありながら、実際には実在事件のフィクション化という逆方向のことが行われているのがなんか面白いなと思いました。

 呪怨といえば、家に憑りついた伽耶子の霊が巻き起こす霊障がその中心にある内容でしたが、本作はその立て付けからして、伽耶子は存在しませんし、伽耶子のモデルとなったのであろう霊についても、あまり直接的には人に何かの危害を与えることがありません。

 

 僕の印象では、霊は歪みのように思えました。その家に存在する歪みを象徴するような存在です。

 

 この物語の中で起こる惨劇の多くは、霊ではなく人間が巻き起こしたものです。しかしながら、それらの人間たちが、本当に正気であったのかどうかというところに疑問が残ります。つまり、そこにあった惨劇は、人間が家の持つ歪みに影響を受けて起こしてしまった出来事のように思えたということです。

 

 「場所の呪い」というのはあると思っていて、それは物理的な場所のこともありますし、立場のこともあります。その場所にいる人が同じようなことをしてしまうということは世の中にはよくあって、その場所にいさえしなければやらなかったことをやってしまったりします。

 例えば、ある会社の経営者の人が、会長職に退いてから、それまでとは人格が変わったかのような穏やかな物腰になったことがあり、その代わりに社長になった人が、それまでは言わなかったような厳しい物言いをするようになるようなことを目にしたことがあります。

 

 このように、場所には歪みがあります。それが人間に対して、認知に干渉したり、要請をする形で、人の行動を縛ってしまいます。これは身近にもある話です。人は様々なものに影響を受けて自分の行動を制御しており、さほど自由ではありません。

 

 この呪いの家の周辺にいる人たちは、家にある歪みに捻じ曲げられているように思えました。

 これが本作の嫌なところで、狂ってしまったそれぞれの人は、それぞれある程度の正気を保ち、それぞれある程度狂っています。その歪まされた結果だけが見えて、その奥にある何にどのように歪まされているのかは上手く見ることができません。二次創作だけを見せられて、元の作品を想像させらえているような状態です。だから、分かりそうで分からず、分からなそうで分かるという状態になってしまいます。

 

 これは、これまでの呪怨シリーズと本作の関係性と似ているとも考えることができます。これまでのシリーズを見ていた人からすると、今まで観てきたものの元ネタという建てつけの事件から、類似する部分を認識することができるということです。なので、知らないのに知っている事件を見ているという不思議な感覚がありました。

 

 僕は、人間は分かりそうで分からないものを恐怖し、分からなそうで分かるものを面白く思ってしまうのではないかと思っていて、断片的な情報と錯綜する時系列によって、分からなさそうで分かるものが、本作の中には充満しており、そして最後の方に家の歪みが思いもよらない方法で繋がってある種の理解に至ります。でも、それをもってしても最後の描写が意味するものには、想像する余地が残されているだけです。

 理解はできたようでいて、そうでない可能性もあり、もやもやとした不安は残ってしまうのでした。

 

 シーズン1と表記されているので、これはクリフハンガーで次のシーズンに続くのかもしれませんし、これで終わりというなら、終わりで納得することもできて、その辺は人気次第なのかなとも思いますが、不思議な感覚でした。

 

 本作は、シリーズのアイコンと化していた伽耶子や俊雄から脱却した話なのかなと思っていて、なぜなら、伽耶子や俊雄は既に分かっているものになってしまっていますから、分からない怖いものから、分かる面白いものに変化してしまっているきらいがあります。

 

 ある場所によって人が知らずに歪んでしまうということ、その原因が誰かの人格というよりは、自然現象のようにどうしようもないものとして描かれている恐ろしさのようなものを感じたところがあって、だからどうしようもなく、そこに近づかないようにするしかないというある種の穢れのようなものを感じました。

 

 なので、これで終わりなのが怖さの源泉なのかもなと思い、これで終わった方がホラーとしてはいいのかなと思ったりします。でも、それはそれとして、続きがあるならあるで観たいなあと思いました。