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映画の「進撃の巨人」について

 毎月14日はTOHOシネマズの日で、1100円で映画が観れるので、何か観ようと思った結果、「進撃の巨人」の映画を観ました。面白かったです。

 

面白かったところ(良かった違和感)

 何が面白かったかというと、巨人の映像が面白かったのです。奇形の巨人もいますが、普通のおっさんやおばはんのような巨人もいます。それらが動き回るのが面白かったです。なぜなら、普通のおっさんが暴れ回るとしたら、それは普通のおっさんが暴れ回る映像であって、巨大であるかどうかがわからないわけです。例えば普通の人や建物などを比較に置くと、「大きいんだ」ということがわかるかもしれませんが、それは実は、「大きいおっさんと普通の人や建物」か、「普通のおっさんと小さな人や建物か」が区別がつきません。

 ただ、実際は本能的な部分でなんとなく区別がつくはずです。なぜなら、身長が2倍になると、単純に考えれば体積は8倍になるので、体重を支えるために足はもっと太くないといけませんし、体型が変わってしまうはずです。このような、大きさに適した体型や動きというものをなんとなく感覚的に把握しているため、あの体型の巨人が歩き回るということに違和感があります。

 これは、原作でも「体の大きさの割りに体重が軽い」などの説明が入りますが、僕が感じる進撃の巨人のビジュアル的な面白さの部分は、この違和感がベースになっているのです。あの体型のものがあのように動くはずがないのに、動いてしまっているということです。漫画では割と脳みそが勝手に辻褄を合わせてしまいますが、実写になるとこれがすごく効いてきます。つまり、巨人が大きいのか小さいのかがカットによってよくわからなくなるのです。比較対象のあるなしや、演出によって、あるカットでは大きく、あるカットでは小さく見えたりします。その違和感が映画の画面から巨人を異質のものとして浮き立たせ、なんだか目が離せない感じになってしまうのでした。

 

 映像的な捉え方でいうと、諸星大二郎の絵に似たものを感じます。諸星大二郎の漫画には、諸星大二郎の絵で描かれなければ表現出来ないものがあると思います。少し前に、「妖怪ハンター」の「闇の客人」が井上淳哉の作画でリメイクされるということがありました。リメイク版は現代的な作画で語り直される様が大変面白かったのですが、一方、元の諸星大二郎自身の絵によるものと比較して、何かが抜け落ちているような感覚がありました。その抜け落ちた者が、画面に内在する違和感であり、進撃の巨人と同じ種類のものではないかと感じるのです。

 

 なので、このようななんだかわからないものに街が蹂躙されるという序盤の嫌な感じ、そして、終盤の立体機動装置を用いた巨人との戦いの部分が大変面白くて夢中になって見た感じでした。

 

気になったところ(良くはなかった違和感)

 また、この立体機動装置なのですが、伸縮自在のワイヤーで空間を縦横無尽に駆け巡る描写は嘘なので、というか物理的に正しく描写すると成り立つ種類のものではないと思うので、色々ぎりぎりの線を探っているなあと思いました。

 気になったのは、立体機動装置で高速移動中に、登場人物がアップになりつつ、背景がすごく動いているという映像です。これには止まっている車の中で、動いているということにして演技をしている映像のような違和感があって、こちらの違和感は、前述の巨人の違和感とは違って、撮影上の都合だろうと認識してしまったので、ただただ違和感という感じでした。実際、ワイヤーで動きながら喋るシーンなどを撮ることは不可能だと思いますし、あの状態で会話をするようなのは漫画的表現なので、実写に持って来るのは難しいと思います。

 漫画は実写と違って、場面によって時間の流れをかなり自由にコントロールしやすく(例:ピッチャーがボールを投げてからミットに収まるまでに解説をするおっさん)、また、激しい運動の中でそれを無視して会話をできたりする(例:自転車を全力でこぎながら別の人と会話をする)ので、このような漫画的描写を実写化するのは難しいところだと思う次第です。「るろうに剣心」の映画版のように、戦闘中の会話や技名の叫びを省略した方が、辻褄は合うかもしれませんが、それはそれで寂しいところもありますね。

 また、漫画で読む分には格好良い台詞も実写の人に喋らせると、漫画のときにはなかた「痛さ」が生まれてしまうキライがあると感じていて、これは意図したものなのかもしれませんが、格好良いというよりは「変な人だなあ」という認識になってしまいました。

 

 絵で描かれている漫画、特にアクションを含むものを実写にするということ自体が、そもそも無茶なことであると思っているので、この辺の違和感は気になりますが、割としょうがないところだと思って気にならない振りをする感じです。

 

ストーリーについて

 今回は前後編の前編で、しかも前編だけで一本完結する作りにはなっていないので、ストーリーとしては消化不良な感じでした。なので、後編もみないといけないなあと思いました。

 つまり、沢山の謎がまき散らされ、登場人物への試練が与えられるものの、前編だけでは謎はまるで解決しませんし、試練はあまり乗り越えられません。材料をかき混ぜてお好み焼きのタネを作ったものの、まだ焼かれていないという感じです。これが後編で解決されるのかどうかもまだわかりませんが、見てみないと何とも言えない感じでした。前編のラストは破壊のカタルシスを持ってしてひとまず区切りを付けているという感じです。

 

 ここで難しいのは、映画の中では明らかになっていない謎が沢山ありますが、原作の漫画を読んでいると既にいくつかの答えは出てしまっているということです。なので、「謎」として描写されていても、見ていて「知ってる」と思ってしまうという面倒な感じがありました。ただし、この映画は原作とは異なるオリジナルの描写が多いので、その辺が気になるところです。

 例えば、原作は登場人物名や建物描写からドイツあたりを舞台にしていることが示唆されていますが、本作では日本を舞台にしていることが示唆されます。それが、日本の公園の跡地のようなものが登場することで別の立地であることがわかるのです。また、原作では登場しない、自動車が普通に使われていたり、壁の上に朽ちたヘリコプターがあったりします。これにより、その場所は未来の日本であり、現在の壁の中の彼らが持っている文化は、何者かの手によって選別され、意図的に与えられたものである(のではないか??)ということが、原作よりも強く描写されているように感じました。

 この映画の世界は、パラレルワールドなのか、あるいは、原作と同じ世界の別の土地に同じようなものが存在していたのか、後編で明らかになる(と期待している)謎の真相は、果たして原作でそのうち描かれる真相と同じものなのか、はわかりませんが、とにかく気になってはいるので、後編が観たい感じです。

 

 進撃の巨人の映画の後編は9月19日公開のようですね。たぶん観に行きます。

 

(余談)

 映画の中で、本作のオリジナルキャラクターである、シキシマという男がリンゴを食べているのが、象徴的なシーンとして描かれているのですが、あそこが未来の日本だとすれば、僕が予想するには、これはおそらくシキシマが青森出身であるという伏線ではないでしょうか??(青森県五所川原市には敷島町という町があります)そして、僕はあの街の中心はおそらく函館の五稜郭を流用したものではないかと睨んでいます。つまり、シキシマは実は壁の外から来た男であるということです。序盤に壁の外を見たことがないアルミンが伝え聞いた海の存在を口にしますが、おそらく後編で壁の外に出て、津軽海峡を渡るシーンが出て来るのでしょうね。ヤバいですね。僕はこの予想、かなり自信がありますよ。

 

(追記)後編も観ました。

mgkkk.hatenablog.com