漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

コナンくん時空

 ループものというジャンルがあります。ざっくり言うと、同じ時間を何度もやり直して最良のエンディングを迎えるみたいな感じのものです。

 これは、ゲームととても相性が良いです。なぜならば、ゲームは失敗する度に何度もやり直すことでゴールを目指すものであったりするからです。特にノベルゲームでは、文中の選択肢によって話が変わるという構造なので、パラレルワールド的なものとも相性が良いですから、この手のゲームという構造を上手く使って、プレイヤーが多くの苦難や残酷なエンディングを繰り返しながらも、ようやくより良いエンディングに到達するということ自体と、ゲームの中の設定を上手く融合させる作品が沢山あるような感じです。

 

 このような物語構造と、物語の内容自体を融合させる試みみたいなのは漫画やアニメでもある感じです。前提として、「サザエさん時空」なんて呼ばれるものがあって、漫画やアニメの中の時間感覚が不自然なものを表しています。例えば、「サザエさん」や「ドラえもん」なんかでは、終わらない日常が繰り返されており、新しいエピソードがどんどん追加されても、彼らは歳を取りませんし、経験もほぼ蓄積されません。それぞれのエピソードは時系列が曖昧でも成立しますし、本来的には不自然です。でも、読者はそれを積極的に気にしないことでその世界観は成立しています。

 そして、こういったものを物語の設定に取り込んだ作品として、「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」なんかがあります。この中では、夢邪鬼という妖怪の手によって同じ一日が繰り返されることになるわけですが、アニメにおける繰り返される決して前に進まない楽しい毎日というものを風刺するような形の物語となっている感じです。

 

 さて、この辺、ざっくり分類すると、物語における時間軸は以下の3つがある気がしていています。

(1)物語世界の時間軸

 物語の中での開始から何年経ったかという時間の経過。

(2)登場人物の時間軸

 登場人物の中の経験の蓄積と成長、人間関係の変化。

(3)時代の時間軸

 背景としている時代設定の変化。携帯電話やテレビ等の小物の変化。

 

 現実ではその3つの軸は同じように進みますが、物語の中では必ずしもそれらが同期して進むとは限りません。例えばサザエさんでは、年齢も変わらなければ関係性も変わらないですけど、時代は当初よりも現代にじりじり寄ってきている感じがあります。一方、ちびまる子ちゃんでは、年齢と時代は不変ですが、話が進むにつれて登場人物たちの関係性は変わったりします。ドラえもんでは、序盤以降は基本的に何一つとして変わっていないように思います。何一つとして変わっていないドラえもんではエピソードの前後関係はシャッフル可能で、それでも辻褄が合います。時代だけが変遷するサザエさんでは、大きな時代の前後関係にさえ気をつければシャッフル可能です。そして、ちびまる子ちゃんでは、最新話から最初期の話を振り返ると、登場人物の関係性が異なる部分があるために意味不明になる可能性があります。

 このように物語の世界では時間軸が複数存在し、それぞれが進む速度が異なるために、現実の一般的な時間間隔では捉えきれない現象が発生します(登場人物が歳をとらないのに何度も正月がやってくるなど)が、それを視聴者たちが儀礼的に無視することで成り立っています。

 

 他の漫画の例で言うと、「幕張サボテンキャンパス」は大学を舞台にした四コマ漫画ですが、途中から物語世界の時間軸が静止してしまいます。こういうのは合理的な話で、漫画の中の日常というものはそれぞれの登場人物間の関係性によって成立していますから、時間が動くということは関係性の破綻を意味していて、その関係性を持続させたままに物語を描き続けるには、時間を止めることが効果的なのだと思います。しかしながら、サボキャンでは、止まった時間があるとき動きだし、関係性が変化することでエンディングに向かったりするのでした。

 

 まとめると、物語の構造上有利であるための要請(登場人物たちの関係性が変わらない)が、物語の内部に干渉(成長しない)し、大きな矛盾(時間は進むのに成長しない)を引き起こすことになる結果、読者にその点における無関心の要請が暗黙的に行われます。多くの場合、読者はたまにネタにしながらもそれを受け入れますが、ループものの物語なんかのように、読者への無関心を打破するというアプローチもある感じです。

 

 そして、この手のものに取り込まれやすいものとして、「少年探偵もの」があるように思いました。少年探偵ものは、その名の通り探偵が少年なのですが、少年である時期は人生においてそう長くはありません。しかし、人気があれば連載が継続されますから、エピソードはどんどん増えていきます。そこに矛盾があって、どう考えていても、もう十年も経っているだろうに、少年探偵は永遠の少年のままであるということに矛盾が生まれます。これが、エピソードごとに関係性が薄いものであれば、この矛盾を無視する処理をしやすく感じますが、話自体が関連していて動いている場合、どう考えてもおかしいという気持ちがどんどん蓄積されてしまいます。その代表的なものが「名探偵コナン」ではないかと思いました。

 

 名探偵コナンは高校生探偵が黒がイメージカラーの謎の組織に飲まされた毒の副作用で、小学生に戻ってしまい江戸川コナンと名乗って探偵をするというお話ですが、この物語の中には、それぞれの個別の事件のエピソードの他に、黒の組織を追うという大きな流れがあります。なので、時間の流れを意識しやすく、既に長期間に渡る黒の組織との戦いなんかが描かれているにもかかわらず、コナンくんの肉体は成長していませんし、進級もしていないようです。この辺はおかしいと思いながらも、積極的に矛盾に目をつぶるという儀礼的無関心のようなものが必要になります。しかしながら、数百話経過した後に作中で明示的に第一巻からの時間経過が「まだ半年」であると明示されたことで、むしろ読者がそれを意識してしまうようなことがありました。

 

 これはおかしな話ですが、逆にピンときたのは、実はこれらは全て伏線ではないかということです。時間がおかしくなっているということ自体が物語の中に取り込まれている可能性があるような気がしたということです(僕の雑な妄想が広がったという話です)。

 これらの矛盾を解決する方法のは、地球上の時間が基本的に全てのものにほぼ一様に流れるということや、原因があって結果があるという因果律が成立するという前提をこの物語の中で明示的にぶっ壊すことではないかと思いました。黒の組織の毒のせいで、少年探偵であるコナンくんが生まれた、その世界自体の時間と因果律が狂っているのです。そして、その世界の中にいる登場人物たちはその異常な状況に気づくことはできません。その世界の中にある物差しの目盛が狂っている以上、その物差し以外を持つことができない登場人物たちには分かりようがないからです。

 

 コナンくんこと工藤新一が飲ませられた毒薬はAPTX4869という名前で、アポトーシス(プログラム細胞死)を誘導しつつ、テロメア(細胞中の時計的な存在)に干渉することで大人の体を子供の体に変化させてしまいます。この際、同様に対象者の時間軸への干渉が行われるとするならば、この狂った時間軸の世界そのものがその毒薬によって引き起こされた特異な現象と捉えることが可能になります。時間軸と因果律が現実世界のようにまともに機能しない以上、この世界で起きている全てのことはまともでないように見えても全て矛盾がないことになってしまうのではないでしょうか??

 

 と、わけのわからないことを書き連ねてしまいましたが、読者が時間がおかしいということに気づきつつも、勝手に無視してくれているということは、実は読者にとって心の隙なんじゃないかと思ってしまったので、そこを突かれたどんでん返しとかがあったら、びっくりするんじゃないかと思ったりしてみましたという話です。

 

 この妄想に「コナンくん時空」という名前を付けてみました。