漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

2016年、漫画関連個人的振り返り

 2016年は個人的にめちゃくちゃ忙しく、また、社会的立場にも色々な変化が発生したので、なんだか昼間っからダラダラと漫画雑誌などを読みつつ、自分の仕事を期日までに仕上げてればいいでしょ?的な、しばらく続いていた穏やかな状況が壊れつつある感じです。他人の面倒をみたり、指導をしたり、仕事の進みを管理したりしなければならず、いい加減な人だと思われると宜しくないという感じになってしまいました。

 とはいえ分量的には今まで通りに漫画雑誌を読み、単行本になっては買って再読し、気が向けば感想として文章に残しておくというようなことは習慣として継続してやってはいました。

 

 主要な漫画雑誌をは今まで通り読んでいるものの、書店の新刊棚を見てみれば、既にとっくに知らない漫画の方が多いような状況です。それは、読んでいない雑誌のものもありますが、Webの連載であったり、アプリで配信されているものであったり、はたまた、pixivやTwitterで話題になったものがリライトされて紙の単行本になったりしたもので、今までの自分の行動を継続しているだけでは知ることができない漫画が増えたのが大きな要因だと思います。

 特に、主要な漫画雑誌がWeb媒体も運営することが当たり前のようになっており、一部の連載が、途中からWeb掲載となったり、はたまたWeb連載がの漫画が紙の雑誌に出張してきたりと複雑な状況になっており、その全容を把握するのは今の僕の置かれている状況では不可能だなと思い始めています。

 僕はネットで知り合う人には、なんとなく「漫画を大量に読んでいて詳しい人」だという認識を持たれていることが多いのですが、実際、僕が知っている範囲は全体からしてどんどんごく一部のとなってきていて、とてもじゃないですがもはや「詳しい」と言い切れるような状況ではなくなってしまいました。

 ここで、大量に読むことだけを目標のようにしてしまえば、「一冊一冊をじっくり読んで、できるだけ丁寧に感想を書きながら、自分にとってどのように響いたかを整理しておきたい」というような自分の気持ちにも反してしまうので、そうするのは難しそうです。

 

 なので、「詳しい人」みたいなのは、その筋のもっと読んでいるすごい人におまかせして、僕はそういうところからは関係なく、好きな本を好きなタイミングで好きなように読んでは、その時々で感じたことを言うだけでありたいというか、「話題の本だから読んでみようと思う」とか、そういうのからも基本的に距離をとって、一人で片隅でゴキゲンに暮らしたほうがよいというような感じに思っています。

 なので、SNSにはいるのに精神的には引きこもっているような状態に拍車がかかっています(そして、それを心地よく感じてしまいます)。

 

 漫画の出版される量はすごく増えているように思えて、にもかかわらず、今までの読んだことのないようなお話がまだまだ沢山生まれているように思うので、その懐の深さにびっくりしてしまいます。

 今年一年で何度も読み返した漫画といえば、池辺葵の漫画です。「プリンセスメゾン」の中で描かれる人の生活と心のあり方も良かったですし、フィールヤングにたまにのっていた「雑草たちよ大志を抱け」(2月に単行本化されるそうです)では、なにも特別ではない子供の心が、他人と触れ合うことによって変化する微細な揺れ動きがとても心に響きました。また、エレガンスイブに載っていた母と娘をテーマにした連作(単行本化してほしい)では、人間のなんという表情を描くのか、この心の在り方はなんと言葉で表現すればいいのか、心の隙間にポテンヒットのように落ちてきて、その先で真芯に当たってしまうというような読書体験でした。

 全然知らなかった方面から人に薦められて読んだものでは梶本レイカの「コオリオニ」もすごく良かったです。自分とは関わりのないような属性の人々の、関わりのないような出来事を描いた物語の中に、ここで描かれているのは、まさに自分の抱えている問題そのものではないか?と思えるようなものがあることを発見して、その問題の扱われ方に救われたような気持ちにもなったりしました。

 歳を重ねてよかったのは、色んなことが自分自身の体験をとっかかりにして分かるようになったような気がすることでしょう。おそらく、今の方が10年20年前よりも、同じ本をより楽しく読める自信があります。本に込められた感情の上手い再生の仕方を獲得したからです。なので、今も毎日新しい漫画を読むのが楽しくてしかたないですし、昔の漫画も毎日別の何かを読み返しています。

 

 他に今年といえば、漫画を描いてコミティアに出てみたというのも刺激的な体験でした。大学時代は漫研にいたので、描こうと思えばいくらでも機会はあったはずなのですが、なんとなく描き切ることができず、色々中途半端になっていたものを、お仕事で培ったプロジェクトマネジメント力を自分に適用したら、なんとか最後まで描き上げられたので、もう何回かやってみて、自分の思いついたことを漫画という形式で思った通りに表現できるようになれたらいいなと思っています。

 来年2月のコミティアにも申し込んでみましたが、まだ何も描いていないので、どんな感じになるか分かりません。

 

 さて、この前、雑誌の売上が書籍を下回ったというニュースを目にしましたが、漫画雑誌もどんどん衰退しているというか、「読んでいる」と言っている人を目にすることが減っているように思います。漫画家さんと話しても、「この雑誌を毎号ちゃんと読んでいる人はあなた以外に見かけたことがない」というようにコメントされたことが複数回ありました。そもそも本屋が減っているとか、立ち読みができないとか、色んな理由はあるでしょうが、僕が最近は感じているのは、時間を貴重だと強く思っているような人がいることと、楽しむということが他人によっておもてなしされることと感じているような人がいることです。

 つまり、分かりやすく外れない漫画を読むことが効率がよく素晴らしいことで、面白くないと感じた漫画を読んでしまったことを時間の無駄と感じてしまうということではないかと思います。なので、雑誌(の時点で編集部というフィルタリングがありますが)ではなく、その後に、色々な人のオススメという形で残ってきたものを読むという行動になってしまうのではないでしょうか?雑誌という形態は、その時流に乗れていないのかもしれません。そして、一方僕は依然として乗ったままどんぶらこっこと流れています。ただ、どちらが正しいとかは別にないと思います。僕はこっちが合っていて、それが沈むなら一緒に沈むだけです。

 

 総括すると、今年も漫画を沢山読んで面白かったのですが、自分を取り巻く環境的に色々とやらないといけないことも増えてきたので、何かを削らないといけなくなってしまっていて、僕は「好きな漫画についてネットで他人と共有する」ということをかなりざっくり削ってしまっていて、十代の頃、地元にいたときのように、特に話題を共有できる相手もおらず、ひとりで何かを思ってはひとりで記録するという原点に帰ってきたような感じになっています。

 おかげで、好きなものについては不特定多数の他人と共有するしない方が、自分とその作品だけに集中できるので、むしろ楽しいという感覚に気づいたりもしています。

 

 インターネットは大好きですが、何でもかんでもネットというのはやめにして、要不要を考えて脱インターネットを進めたりもし始めたのが今年という感じでした。

 今年はそうでしたが、来年はどうかはまだ分かりません。来年のことを言えば鬼が笑うといいます。56億7000万年後のことを言えば弥勒菩薩も笑う(拈華微笑)と言います。いや、言いませんね。