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黙読と音読の違いについて

読んでみた

 最近あんまり声に出して本を読むみたいなことをしていないなあと思ったので、声に出して読んでみました(ドグラマグラというチョイスは「お兄様」連呼したかっただけです)。

 

  で、すごく読みにくかったというか、スムーズに全然読めずにすぐ詰まったり噛んだりしてしまいました。なぜ、書いてある文字を読み上げるだけのことが、こんなに難しく感じるかを考えてみると、思い当たったのは、自分の文字の読み方が黙読に特化しているので、いざ音読しようとするとそのギャップの修正がリアルタイムになかなかできないのかなということです。

 では、黙読と音読ではどのような差があるのでしょうか?僕の考えを図解するとこんな感じです。

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  なんのことやら分からないと思うので、以下で説明します。

黙読について

 僕は本を読む速度が比較的速いらしいのですが、読むのが遅い人と話していると、そもそも読み方が違うようだという結論になりました。誤解を恐れながらも言うならば、僕は文章をちゃんと読んでいません。ここで言うちゃんとというのは一文字一文字を順番に追い、ひとつの文章の意味を抑えつつ、次の文章を読み始めるというようなことです。大体二三行を一気に読みますし、場合によっては一ページを一目で読むこともあります。このようなことは感覚的に既に理解している人には自明なのですが、伝わらないケースもあるので、もうちょっと書いてみると、例えば以下のようなインターネットミーム(コピペ)があります。

こんちには みさなん おんげき ですか? わしたは げんき です。

この ぶんょしう は いりぎす の ケブンッリジ だがいく の けゅきんう の けっか

にんんげ は もじ を にしんき する とき その さしいょ と さいご の もさじえ あいてっれば

じばんゅん は めくちちゃゃ でも ちんゃと よめる という けゅきんう に もづいとて

わざと もじの じんばゅん を いかれえて あまりす。

どでうす? ちんゃと よゃちめう でしょ?

ちんゃと よためら はのんう よしろく 

  一文字一文字追うとおかしな文章ですが、速く読もうとすればするほどにこのおかしな文字の並びが気にならなくなるのではないかと思います。つまり、文章を読むときには文字をある程度の塊で認識し、それを自分が既に知っている現在のシチュエーションで出て来る単語と類推比較してそれらしきものを認識しているということです。速く読む時には、これを文章の単位でやっているような感覚です。

 現在の文章の意味を考えて、その後にくるであろう文章を先読みし、単語を一目で複数ピックアップして脳内で合成し、それが想定と間違っていないことを確認しつつ読み進めるというような感じです。なので、ある程度見知った分野の文章であれば内容に想像がつくので、相応に速く読めますし、全然知らない分野の文章であれば先読みができないので、速く読むことができない、あるいは、読み間違えるという感じになります。

 この速度で読んでいると「読んでいるのに読んでいない」ので、数ページめくったあとに、読んでいるはずの文の意味が急に分からなくなり、戻って読み直すようなことが起こったりします。

 ちなみに、この読み方は漫画にも適用可能で、漫画は普通台詞の書いてある「フキダシ」と「キャラの顔」を繋いだ線を結ぶように読んでいくものですが、速読の場合は順番を無視して1ページを一気に把握します。そして、次のページに目を移す間にそれらを頭の中で合成して、意味を理解するのです。この読み方をすれば雑誌連載の1話であれば二十秒もあればストーリーを把握することができます。が、作者が意図しているはずの間や余韻のようなものが全部捨てられてしまいますし、何より短時間で意味が分かっても感情の動きはその速度についてきませんから、ストーリーは分かるものの、すごくつまらなく感じでしまうので普段はやりません。雑誌を捨てる前に一回読み直すときとかに使います。

 

音読について

 では、音読はどうでしょうか?なにしろ、自分の口で発音しなければいけませんから、一文字一文字正確に把握する必要があります。また、前後の文脈によって読み方の変わる単語なんかもあるために意味も細かい単位で把握する必要がある場合があります。つまり、音読をするときに本の文字を追う上で、黙読で速読するときのような読み方をしてしまうと、声を出すための素材集めとしては非効率な方法をしていることになります。

 なぜならば、一文字一文字を正確に把握できていませんし、先を読み過ぎてもそれを全て記憶できるわけではありませんから、今何を喋ればいいのかが分からなくなります。結果として、助詞を間違えたり、文の切り方を間違えたり、少し黙ってしまったりしてしまうのです。また、文字を追っている速度で喋ろうとすると舌が回らないという問題もあります。結果として、やたらと早口で、何度も言い直したり、所々黙ってしまったりするという、他人に聞かせる上ではダメな喋りになってしまいがちになるのだと思いました。

 僕はプレゼンがあんまり得意ではないのですが、原稿がちゃんと作られていても、上記のような理由で上手いこと喋れないので、上手く伝えられないのだと思っています。これを解消する方向性は二つあると思っていて、一つは原稿を作らないことです。原稿を作らず、スライドにはキーワードだけを書いておいて、リアルタイムに自分の言葉で喋れば早口は直りませんが、言い直したり黙ったりは少なくなります。もうひとつは、こっちをしろという話だと思いますが、事前に十分に原稿を読み込んで練習をしておくことです。そうなれば、文字の意味を解釈したり、文章の意味を解釈したりするのが既に行えた状態から始められますから、スムーズに喋れるようになるはずです。

 ちなみに、最初の音声も実は2回目読んだやつなので、1回目に比べるとだいぶスムーズに読んでいます。それでもところどころ引っかかっているのは、2回程度ではまだこの程度ということなのでしょう。

 

 また、音読の場合は、必ずしも意味を理解しなくていいという特性もあると思います。プレゼンのときに、こっそり手元の画面に表示されている原稿を読み始めてしまうと、完全に読むためだけの機械になってしまい、一切自分の言葉が挟まらない状態になってしまうのです。喋るということは割と自分の脳のリソースを使ってしまうことのようで、口で喋りながら他のことを考えるということはなかなか難しく感じます。そこで、もう考えるのをやめて、ところどころ詰まりながらも原稿を最後まで読んで、失敗したプレゼンになったというような経験も多々あります。

 

まとめ

 書いているうちに話がずれてしまいましたが、まとめると、同じ文字を読むということでも黙読と音読には違う特性があるということが言いたかったのです。黙読の場合は、発音する必要がないため、短時間に多くの文字を読み進めることができ、また、その速度を出すためには意味の理解が必要となります。一方、音読の場合は発音の必要があるため、一文字一文字を正確に把握する必要があり、読む速度がどうしても遅くなります。その代わり、意味を理解しなくても行うことができるようになります。

 単純に本を読みたいなら、音読でなく黙読の方が速く読める上に意味も理解せざるを得ないのでよい感じですし、音読をすれば、言葉を精緻に追いますから、あとで細かい文章表現を正確に思い出せたりする感じだと思いました。

 そして、音読をする際に普段黙読でやっているような読み方をしてしまうと、どうしてもスムーズに読むことができずに、格好悪くなってしまうので、そこを切り替えたりするというのが、原稿を声に出して読んだりする仕事の人がやっていることなのかなと想像する次第です。

 

 ということで、とりあえず終わりということにします。