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プロバビリティの幸運関連

 「プロバビリティの犯罪」という概念があります。それはざっくり言うと、犯罪の中に偶然性を取り込むようなもので、例えば、誰かを直接事故に陥れるのではなく、ひとつひとつはたまたまあり得る程度の、事故が起こりやすい状況をお膳立てすることで、いつか対象がそれによって事故に巻き込まれてしまうように仕向けるような犯罪行為です。

 

 滑りやすい場所にビー玉を置いておけば、対象がそれを踏むかもしれないし、踏まないかもしれない、踏んだ結果転ぶかもしれないし、転ばないかもしれない、転んだ結果、怪我をするかもしれないし、しないかもしれない。多くの偶然を経由して、誰かを転ばせて怪我をさせるまで繋がったとき、それは同じ怪我をさせるにしても、直接突き飛ばしたというようなものに比べて、犯人として罪に問われにくいはずです。

 

 そういった迂遠で地道で、いつまででも待てることでいつか花開くような行為は、実はもしかすると犯罪以外にも適用できるのではないかと思うことがあります。

 

 仕事をしていると「たまたま運良く上手くいった」というようなことがたまにあります。

 困っているときにたまたま声をかけてくれた人にいい感じに助けてもらったとか、別件でやっていたことが、今困っていることに上手く当てはまったとか、今の仕事はもう十分頑張ったなと思ったときに、タイミングよく別のところから新しい仕事に引き抜いて貰ったり、自分で意図してそれをやったわけではないけれど、たまたま目の前に助けになるものが来るということは意外と多くあって、自分はそういう意味で「運が良いな」と思って生活しています。

 

 でも、この辺を細かく考えてみると、「プロバビリティの幸運」なのかもしれないなと思いました。なぜなら、その時たまたま助けてくれた人に、以前飲みに誘われたときには喜んで行ってたり、その人が困っているときに手助けをしたりをして関係性を作っていたなと思うからです。それは、人が誰かに何かをしたときに、同じようなことを返して貰いやすいという返報性を利用して助けて貰ったなと思うということです。

 前にやってたことがたまたま今役に立つというようなことも、頼まれたことを断らずにとにかく色々やってみるということを繰り返していたおかげで、一回やったことのあることが多くあり、今困っていることに当てはまる確率が上がっている気もします。

 別のところに引き抜いて貰うのも、僕がそのときの仕事をつまらなさそうにしていると、以前一緒に仕事をしていた人がそれを見て気を利かせて呼んでくれたなという解釈をしました。

 

 それらの幸運は、サイコロを振ったらたまたまその良い数字が出たというような完全なランダムなものではなく、自分の過去の行動と繋がっている気がします。それはつまり、結果的に運よく助かったり助けて貰えたりする確率を上げる行動を、それ以前の自分がしていたという話で、それはもしかすると、プロバビリティの幸運なのではないかと思いました。

 

 「情けは人のためならず」という言葉もあるので、そのうち自分が結果的に得をするだろうと思って人に親切にするという発想は特異なものではなく、世の中がそういう形で回っていると認識している人も多いのかもしれません。

 

 世の中では、「○○が好き」と表明することに強い得があると思います。僕には強い実例があるのですが、「将太の寿司」が大好きだという話を何年も何年も勝手に言い続けていたおかげで、今、その作者の寺沢大介先生にとても良くして頂いているという状況があります。

 

 他にも最初は僕がその人のただのファンだったことから始まっている付き合いというものが僕には沢山あって、それも「好き」を表明していたからこそ繋がったなという認識があります。

 僕は好きなものを作っている人と、人間関係を作りたいとは積極的に思っていませんが(そうやってすり寄ってくるようなオッサンは気持ち悪くて嫌だろう…と思うので)、でも、向こうからこちらに興味を持ってもらったときに、僕が既に好きを表明していると、話しかけるハードルが低いので、何かのタイミングで興味を持ってもらったときに、人間関係になるって感じがするんですよね。

 

 それも、何もしていないのに偶然やってきた幸運ではなくて、長期間をかけて好きを表明し続けることがプロバビリティの人間関係として立ち現れているという感じがします。

 

 強く願い口に出しているものが叶いやすいという引き寄せの法則には信憑性をあまり感じていませんが、でも、何かをやってみたいと口に出していると、それを見た人が自分に目をかけてくれている場合、そのことに誘って貰えたりしやすいですし、自分はこう思っているという表明と、その思いを叶えてやってあげたいと人が思ってくれる関係性の地道な構築があれば、似たようなことは実際あり得るだろうなと思います。

 

 即物的なものを求めるわけではなく、幸運に至る可能性のあることを日々やっていると良いことが実際起こることがあり、僕はここ数年ぐらいその収穫期に入っているような雰囲気があって、何かの幸運に遭遇しては、自分の人生にこんなに良いことがあっていいんだろうか?って毎月のように思っている気がします。

 

 即時的な結果は出なくても、僕対して、この人が喜んでいると嬉しいなと思ってくれる人が一人でも多く増えてくれると、そういった幸運がやってきやすい気がしていて、自分の心根が良い人であるかどうかは別として、良い人として振る舞うということが自分にとって最適であると思える状況に、今はなっているので良かったなと思っています。