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せっかくだからあえてバッドエンドを選ぶぜ関連

 バッドエンドの漫画を読んで満足感を得るのは、ハッピーエンドの漫画を読んで満足感を得るのよりも難しいのではないかと感じています。

 

 ここで僕がバッドエンドと呼んでいるのは、「主人公の望みは最終的に叶わなかった、という終わり方」の意味です。なので、例えば、その身を犠牲にしてでも何かを守り切った主人公の物語は、ハッピーエンドの方に分類されると思います。主人公も生還すればなおハッピーでしょうが、ハッピーとバッドの間はゼロかイチかではなく、どれぐらいハッピーでどれぐらいバッドかという段階が存在しているという認識です。

 少なくとも主人公の望みが何らか叶わなければ、そこにバッドエンドの要素はあると思います。

 

 そのような主人公の望みが叶わないという終わり方は、読者が主人公を応援する立場で読んでいる場合、読者をも傷つける行為となります。そこで、傷つけられたということに大きな意味を見出す読者もいると思いますが、わざわざ自分が傷つくものは読みたくなかった読者もいるでしょう。

 だからこそ、バッドエンドというのは難しく、その「主人公の望みが叶わない」というところにあえて選ぶ強い主張を伴わなければ、面白く読んでくれる人の数をいたずらに減らすだけとなってしまうのではないでしょうか?

 

 自分が物語を作るときを思い出すと、お話の終わり方としてバッドエンドが選びたくなる理由としては、例えば、「この物語が、ここからハッピーエンドになったら嘘だな…」と思ってしまうというものがあります。

 つまり、「それはただのご都合主義であり、リアルではない」と認識してしまうことで、そんなことをすれば、描いている自分も、読む読者も冷めてしまうのではないか?という危惧です。

 

 こういう悩みはきっとお話を作っていても読んでいてもよくあるものなのではないかと感じていて、例えば、お金に困って悩み苦しんでいる主人公が、最後に理由なく道端で大金を拾ってそのまま幸せに終わったら、なんなんだよ!と思ってしまうかもしれません。

 なぜなら、そこには、それまで抱えてきた苦しみから解放されるというところと繋がった納得感のある道筋がないからです。

 ただし、このようないきなり強い力が発生して問題が解決する作劇手法は「デウス・エクス・マキナ(機会仕掛けの神)」と呼ばれており、禁じ手というわけでもありません。その一方で、デウス・エクス・マキナには納得がいかないという批判的意見もずっとあるわけです。

 

 つまり、消極的にバッドエンドを選ぶということは、ハッピーエンドに向かうための納得のいく道筋がつけられず、そこでデウス・エクス・マキナをやるのも嫌だと思った場合に発生するのかもしれません。

 それはある種の仕方がない結末ですが、でも、ハッピーエンドに向かうための納得のいく道筋がつけるということは、簡単に諦めても良かったことなのでしょうか?

 そこで、積極的にバッドエンドにしたいという強い理由がないのであれば、ただ考えなくてよく、楽だからバッドエンドにしただけなのでは?と読者に思われてしまうかもしれません。

 

 だとすれば、消極的なバッドエンドは、物語をやり遂げることを途中で諦めたと認識され、中途半端な物語だと思われてしまう可能性もあるわけです。

 辛いですね。

 

 また、積極的にバッドエンドにする方の意味としては、例えば、主人公が立ち向かっていた困難が、物語の中ではどうしようもないぐらいにどうしようもなということを描くことなどがあると思います。人生にはどうしようもないぐらいにどうしようもないことがあり、その気持ちを読者から呼び起こさせるための、積極的なバッドエンドというのもあり得ます。

 あるいは、そこで語られている物語が、現実では解決していない問題を取り扱っている場合に、誠実さから選ばれるバッドエンドもあります。つまり、現実にある問題を、物語の中でだけ勝手に解決して見せるのは不誠実である、と考えるということです。ならば、それはやはり解決不能な問題ではあるが、その解決不能な問題に対して、人間がどのように取り組んだか?という敗北の姿そのものを描くことには意味を見出すことができます。

 他にも、そんな真面目っぽい話ではなくても、ただ、主人公の望みが叶わないことで、読者の度肝が抜けるというか、読者を単純にびっくりさせられるという愉快犯的なバッドエンドもあると思います。

 積極的なバッドエンドは、バッドエンドでなければ描けない何かがあるからそれをしているはずです。それによって憤る読者がいたとしても、楽しめない読者がいたとしても、楽しませたくなんてなく、憤らせたいのであれば、それは物語のひとつの正解です。

 

 もし、そのような積極的な意図がなく、ただ、消極的にバッドエンドを選んでしまったのであれば、そこからもう一度、どうにかしてハッピーエンドに持って行くという道筋を考えるのもいいかもしれません。どうしようもないほどの絶望的な状況であるからこそ、そこからなんとか納得感のあるハッピーエンドに至ることができれば、それは強い物語となるのではないかと思うからです。

 そういうことを思ったということがあるので、僕は今は基本的にハッピーエンドになる方向で物語を考えています。それは、どん詰まりのように描き進めながら、この状態からどうやったらハッピーエンドになるんだろうか?というところを考えるのが面白いし、それが上手く出来たら強いだろうなと考えているということです。

 

 その上で、バッドエンドを選ぶこともあり得て、ただし、せっかくバッドエンドを選ぶのであれば、そこにはバッドエンドでなければならない大きな意味があった方が良いだろうなと思っている感じです。