漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

インターネットにおける漫画のコマの切り取り関連

 インターネットでは面白い漫画のコマが切り取られて、1コマだけが有名になったりすることがよくあります。引用の条件を満たす使い方ではないため、著作権法に基づき訴えられればダメになるような使われ方ですが、それを権利者が訴えることはまれなので、黙認された状態になっているのが実情だと思います。

 

 「忍者と極道」なんかは、そうやって切り取られたコマによる宣伝効果に、プラスの効果を感じているようで、単行本の発売などに合わせた宣伝の必要なタイミングで、そういう使い方をしてよいと、公式に推奨していたりします。

 実際、読者はそのコマが面白いと思ったからネットに貼りたいと思ったのでしょうし、そうなってしまうようなコマはネットでバズることで、広く様々な人に届く可能性もありますから、まだまだ読者層を広げていく段階の漫画にとっては得なことも多いのではないかと思います。

 

 一方で、「キン肉マン」において、そういった使われ方が作者から苦言を呈されるという出来事もありました。とりわけ、漫画の重要コマが、ネットで最新話が公開されてすぐにそのように使われてしまうことは、漫画をちゃんと順序立てて読むことで体験を設計しているのに、それをむちゃくちゃにしてしまう行為だと言えますし、作者が嫌がるのも自然なことだと思います。推理小説の冒頭に犯人の名前を書き込むような行為に類似するかもしれません。

 とはいえそれと似た状況でも、悪意はないのだからと黙認してもらえることの方が多いと思います。そして、作者にはちゃんとした権利があるので、それを嫌だと言うことにも何の問題もないと思います。

 ただし、そのように使い方を否定されることによって読者側からの作者への信頼が毀損されるということはあるでしょう。でも、こういうときに、「読者の気分を少しでも害することは商売上有害なので、自分が嫌だと思っても我慢して黙認する方がいい」みたいな状況があるのだとしたら、それはそれで不健全であるようにも感じます。

 

 様々な領域で、「自分が我慢しさえすれば、場が表面上は上手くいく」みたいな状況はあります。しかし、それがやっぱり良くないと認識されるようになっている流れもあると思います。そこに誰かの我慢を求めることによって、問題を無視しないようにすると考えられるようになったことは、社会がよくなっていることだと僕には感じられています。

 

 僕の感覚としては、黙認するも禁止するもどちらでもよいのですが、ただ、作者の意志は尊重される状況であってほしいと思っています。

 

 さて、本題なのですが、1コマだけが切り取られることの弊害として、文脈の喪失があると思います。「少女ファイト」の1コマ「お前がそう思うんならそうなんだろう お前ん中ではな」は切り取られたり、コラージュされることで有名になっていますが、その言葉の使われ方は、元のコマが意味していた文脈とは異なっていたりします。

 他にも台詞がコラージュされたものの方が有名になっている漫画のコマや、漫画の本筋ではないコマだけが有名になったために、それが実際はどんな漫画であるかが誤認されている漫画なんかもあると思います。

 

 作者側が法的根拠を元に切り取られたコマの利用を強く禁止する状況は、おそらく主流にはならないと思うので、今のように曖昧に黙認されたり、知名度を上げるために積極的に利用する状態が継続するのではないかと思います。

 一方で、禁止はしなくても、切り取られたことによる文脈の喪失で、過剰に批判されてしまうというようなケースもあり、その場合は、何らか対策が必要なのではないかと思います。

 

 例えば、作中で悪い人間が悪いことを言っているコマだけが切り取られて流通した場合に、それによって、漫画全体がそのような悪い主張をしていると誤認されるケースなども目にしたことがあります。否定的に描いているか肯定的に描いているかは、前後のページやコマを読めば分かるかもしれませんが、1コマだけが有名になってしまった場合には、そもそも読んで貰えません。

 そのような状況で起こる批判は、そもそもその漫画がお金を出さないと読めないものの場合により加速しがちだと思います。なぜなら、わざわざお金を払ってどのような文脈でそのコマが存在するかを確認してくれる人は少数派だと思うからです。

 

 一方で、切り取られたコマの中にある主張は、極端であればあるほどバズりやすい傾向があると思います。1コマだけで特異さが分かるということには、強い力があるからです。そのようなことが起きた場合に、色々と面倒なことも起こるだろうなと思っていて、そこに気を使うべき領域があるように思って見ています。

 

 そういうことを考えていたときに思い当たったのが、「スナックバス江」なのですが、この漫画はスナックにクセのある人が来ては、話をするという内容で、色んな変な人が出てきます。そのスナックを訪れる変な人の中には、とても偏った極端な意見を言う人もいるのですが、バス江の安心して読めるところは、それらの極端な発言に対して、的確なツッコミがあるということです。

 このようなツッコミが存在していることで、偏見と決めつけにまみれた少々無茶なことを言っても、それが偏見や決めつけであると明示されるために、安心して面白く読めるのですが、一方で、このような発言のコマだけが切り取られると誰かから怒られそうだなという想像があります。

 しかし、バス江では、そのような極端な意見とその意見へのツッコミが1つのコマの中に併記される形式で描かれていることが多く、それを読むと、オッ!切り取り対策!!と思うんですよね。

 

 つまり、仮に、このコマだけが切り取られてネットに転載されたとしても、これはあくまで偏見と決めつけにまみれた悪い話であって、作品としてはそれを肯定していないですよということがコマの中だけで分かるようになっているということです。

 

 そういうことを思うと、こういう自衛策というのは、やっておいた方がいいんだろうなという感じに思いました。極端なことを言うと面白いですが、それが前提が共有された文化圏の外まで一人歩きしてしまうと、誰かを意図せず不快にさせる可能性が高まってしまうからです。

 不快に感じた人が、それを不快だと表明することも別段悪いことだとは思いません。しかし、そこに切り取りを経由したことによるコミュニケーションのすれ違いがあるのであれば、それは相互に正しく理解できた方がいいだろうなと思います。もちろん、正しくコミュニケーションできたところで不快だと言われることもあるでしょうが。

 

 インターネットにおける漫画のコマの切り取りは、あるもので、少なくとも今見えている状況の延長では、これからも存在し続けるだろうなと思います。切り取りをやっている人がそれを面白いと感じていることも分かりますし、それを作者がやめてくれと思うことがあることも分かると思います。

 ただ、それが存在してしまう以上は、それによる不利益を得ることがないかを想像することと、それを軽減するための対策は何かしら必要だろうなと思いました。そして、バス江は結構気を使っているように思ったという話です。そういう部分に気を使えるということは防御力が高いということで、防御力が高ければ、即死する可能性も低くなるので、極端な話もしやすくなりますし、結果的に攻撃力の方も高められるんじゃないかなと思いました。

 インターネット漫画切り取られ時代における、それぞれの漫画の防御力と攻撃力の関係性については、今後も起こるだろう揉め事を見る上で気にしてみたいと思います。