漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

「ダブル」と役者と本当の自分関連

 野田彩子の「ダブル」を何度か読み返しているのですが、面白いことは確実に分かるものの、自分がこの物語を分かっているかどうかはよく分かりません。ひょっとして全然分かってないのではないだろうか?などと思いながら読んでいますが、自分の認識と似たようなものを感じた部分があるので、それを書きます。

 

 ダブルは宝田多家良と鴨島友仁の2人の関係性を追った漫画だと思います。多家良は、たまたま友仁の舞台を観たことから、演劇の世界に足を踏み入れた天才役者です。多家良は文字を読んで理解することが不得手であるために、まず友仁に主導される中で一緒に理解した役を元に演じていきます。多家良の演技は、友仁の演技をコピーするところから始まり、そして、そこから友仁の演技を破壊した先に、多家良の天才性が発揮されます。

 

 多家良の演技の中には友仁が存在しますが、世間からはその事実は分かりません。そして、多家良は世間に発見されていきます。そして、友仁の存在は世間からは見えていません。これは天才に食い物にされる裏方の物語でしょうか?いや、そうとは言い切れなくて、なぜなら多家良は友仁に強く依存してしまっているからです。そして、友仁の多家良に対する感情も、嫉妬に到達するには、既に誰よりも多家良の天才性を理解しているからこそ、それすら叶いません。

 

 この2人の歪な関係性が、物語を駆動します。

 

 多家良という人間を理解する上での手がかりは、彼が「自分がそれまで演じた役を手がかりにして、自分と自分以外の存在を理解していく」というところではないかと思います。

 人によって程度は異なるとは思いますが、人間には多面性があります。例えば、自分の家族に接するときの顔と、友達に接するときの顔、仕事をするときの顔は同じでしょうか?限りなく同じの人もいるでしょうし、全然違うという人もいるはずです。

 なお僕は全然違う側なのですが、似た感覚の人と話をするときに、「自分の結婚式って怖いよな」という話になったりします。なぜなら、全然別の顔で接している人たちが一同に会する場合、自分がどの顔をすればいいかが分からなくなるからです。そういう想像だけをして、勝手に怯えています。

 

 話は逸れましたが、自分がなぜ人によって全然違う顔をしてしまうのだろう?とか、本当の自分とは誰とも会っていないときの自分なのだろうか?と思ったときに、色々考えて出した結論は「全部が本当の自分」です。

 その全部がそれぞれ本当の自分で、その総体こそが自分自身だなと思います。誰かと接するとき、何かの役割を背負うとき、何故だかそうなってしまう自分というのは、きっと他人とは違う部分じゃないかと思うからです。そこに自分がないとも思えないからです。

 

 ただし、沢山いる自分の中で、どの自分でいることが好きか?という話はあります。無数の、ときに乖離した自分が存在する中で、どの状態でいるのが好きか?というところ考えることで、付き合う人間や、全うする立場を選ぶ手がかりにしたりしています。

 

 俳優の蒼井優さんが、「『誰を好きか』より『誰といるときの自分が好きか』が重要」と言ったそうです。それを読んだときに、僕が感じているこの感覚は、他にも思っている人がいるんだなと思いました。そして、この言葉が共感を集めたということは、同じことを感じている人が沢山いるんだなと思いました。

 この言葉が俳優から出てきたことを僕に都合よく解釈すると、俳優というのは、色んな自分が存在する職業だということです。ここでダブルの話に戻ってきますが、多家良は、憑依型とでも言うのか、演じる役を自分自身と区別がなくなるぐらいに自分に降ろすことで、役に対する理解を内面化している役者です。

 だからこそ、自分が理解して自分自身と化している役が、監督の理解と異なる場合に、自分自身を一回破壊しないといけないという苦痛も伴うのだと思います。しかし、それも踏まえた上で、彼は役者という職業を得ることによって、様々な自分であることができるようになった存在だと思います。

 

 自分がたった一人の人間であったなら、決してなれなかった状態に、役を得ることでなることができます。彼にとっては、それが生きることそのものと重なる部分が多くあるように見えます。役を演じるたびに、自分がひとり増えていきます。役者とは、自分の新しい側面を発見する生き方です。

 そして、その大元の部分には友仁の存在があるということでしょう。なぜなら、多家良の演技の根源には、友仁の演技が存在しているからです。

 

 自他の区別が曖昧になってしまうような多家良には、自分自身であるはずなのに2人の人間であるという矛盾した状況への戸惑いと苦しみがあるのではないでしょうか?そして、半身となる相手が見つかってしまったという幸運と喜びもあるのかもしれません。

 

 この前出た最新4巻では、「初級革命講座 飛龍伝」がダブルキャストで演じられることになりました。熊田と山崎という2人の役を、多家良と友仁が公演によって交代で演じるということです。前記のような理解を元に考えると、2人の人間が立場を交代してそれぞれを演じるということは、より一層互いの存在が交錯してしまうという状況です。

 そう捉えたときに、今回の公演では、剥き身のテーマ性のようなものが見れるような気がして、その下地が既に整えられているなと思った気がして、続刊が楽しみだなと思いました。