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「トリリオンゲーム」と2人だから面で広がる関連

 この前、第一巻が出た「トリリオンゲーム」は、後に世界長者番付に名を連ねることになる2人の青年、ハルとガクが、1兆ドル(トリリオンダラー)を稼ぐことを目標に向けて出発する漫画です。

 

 原作は、「アイシールド21」や「Dr.STONE」の稲垣理一郎、そして、作画は池上遼一です。2人は一度「こぶし侍」という読み切り漫画でもコンビを組んでいますね(おなじくスペリオールでの掲載なので、流れなんだと思います)。

 

 この物語は、コンピュータが得意なもののコミュニケーションは不得意なガクと、コミュニケーション能力の塊であるものの、技術的なことはちっとも詳しくないハルが、IT系巨大企業であるドラゴンバンクに喧嘩を売るところから始まります。

 ガクはドラゴンバンクの入社面接で、自分の強みを上手くアピールすることができず落とされ、ハルはなんなく採用されますが、雇われて使われるよりも、雇って使う側になることを望み、入社式をバックレて宣戦布告をすることになります。

 

 この2人はおそらく、Appleの創業者であるスティージョブズとスティーブウォズニアクを意識した存在だと思います。そして、この物語では当初は何もない青年だった2人が、駆け上がっていく様子が描かれます。

 

 この漫画の特筆すべきと考える点は作画に池上遼一を起用したところだと思います。なぜなら、僕が池上遼一の大ファンだからです。そして、池上遼一のすごいところは「絵がカッコいい」んですよね。

 え?そんな基本的なこと?って思うかもしれませんけど、池上遼一がすごいのは、どんなトンチキな光景であったとしてもカッコよく描けてしまうのがものすごいんですよ!!

 

 例えば、「クライングフリーマン」で白ブリーフを振って手旗信号をするシーンとか、「傷追い人」で自分にションベンをかけろというシーン、「アダムとイブ」で鼻からお酒を飲むシーンなど、普通の人が描いたらギャグにしかならない光景を、とてもカッコよく描くんです。そして、こんなにもカッコいいのに状況はトンチキなんですよ。それが最高にいいんですよね。

 

 近年の連載は、池上遼一の絵のカッコよさを、カッコいいシーンにぶつけることで、カッコよさを倍々にされることが多かったんですけど、トリリオンゲームでは、コミカルなシーンに池上遼一の絵が合わさることで、カッコよさとトンチキさが合わさったような不思議な空間が生まれています。

 2本の線を同じ方向に繋げれば2倍の長さになりますが、違う方向に組み合わせれば、面の広がりを構成することができる、みたいなことなんじゃないかと思っています。

 

 ここには、原作がおそらくコマ割と簡易な絵を含めたネーム形式で描かれるタイプであることも関係しているのではないかと思っています。つまり、ネームに存在するコミカルさやトンチキさを、池上遼一が自身の美学に基づいた筆致で再現しようとすることによって、今まであまり見たことがなかったタイプの良さがそこに出てきているような気がするんですよね。

 

 あ、これって、ハルとガクの関係性とも通じるものじゃないですか??

 

 さて、コミュ力おばけのハルが、ガクに対してやることは、「徹底的な信頼」と「全力のサポート」です。ガクはそれまで誰にも期待されることがなく、ひとりで知識と技術を貯めこんでいました。その人知れない力に、ハルによる使う場所が用意され、そしてそこに向かう気持ちも後押ししてもらえるわけです。

 仲良しの友達で企業しても、友情関係と企業の経営の摩擦の中で、仲たがいしてしまう事例は枚挙に暇がありません。その不安に対してハルが言うのは、「友情パワーがものすごい」という答えで、つまり、理屈による裏付けではなく、根拠のない確信なんですよね。

 根拠のない確信は強いです。なぜなら、理屈による裏付けは、逆に見ると、その理屈が破綻すればおしまいになるものだからです。誰かを好きになった理由を具体的に考えてしまえば、その理由が失われたら嫌いになるでしょうか?それで嫌いになるぐらいなら、最初から理由なんていらなくないですか?だって言われた側は、嫌われないためにはその理由が失われないかをビクビクしてしまったりするかもしれないからです。

 その点、ハルはガクに対して、ただ確信だけを提示します。それは他人との関係性に対してビビりがちな人が安心できる道でもあると思うんですよね。

 

 そして、ハルとガクの活躍は、それはハルひとりでもできなかったことですし、ガクひとりでもできなかったことのはずです。

 

 あんまり関係ないかもしれない個人的な経験の話をしますが、2人いるということは、1人ではできないことをやれるようになる環境だという印象があります。例えば、僕は外国に1人で出張に行くとき、現地の常識や雰囲気が全然分からなくて、色んなことが億劫になってしまったりします。その結果、色々面倒になって、食事もその辺の日本にもあるファーストフードで済ませたりするのですが、これが2人以上であれば、ちゃんと店を選ぼうとします。

 2人以上ならできるのは、自分以外の要望があるということもありますが、何より、仮に上手く行かなくても、上手く行かなかったことを共有できる相手がいることが力強いからです。

 そして大きなところでは、「1人でいる」ということは、「多数決で勝つことが不可能」ということです。例えば、旅先でどう考えても目の前の相手の言っていることが理不尽だったとしても、自分が少数派で、向こうが自信満々に徒党を組んで主張すれば、多数決で負けてしまうために受け入れてしまうかもしれません。

 

 でも、少なくとも2人いれば「それはおかしいでしょ」ということを互いに確認することができます。相手を1人にすれば、各個撃破で数でも負けずに済むかもしれません。1人だったらどうしても負けて受け入れてしまうことに、2人なら抵抗できるかもしれませんし、仮に負けてもその負けた悲しさを分かち合うことができる相手がいます。

 だから、人間は1人ではできないことが2人以上ならできるようになります。

 

 それはとても良いことだと思うんですよね。いや、1人なら決してやらなかった悪いことを、2人以上だからやってしまうなんて負の側面もあるかもしれませんが。

 

 トリリオンゲームはハルとガクの2人が、2人だからこそ生まれる巨大な推進力によって前に進んでいく物語だと思います。そして同時に、稲垣理一郎池上遼一の2人だからこそ生まれた力のある物語だと思うんですよね。

 

 どうですか?僕は今、上手いことを言っていると思いませんか??

 

 それにしてももう70代後半の池上遼一氏が、また新しいタイプの漫画を描いていると思えることは、人間ってひょっとして一生成長期で生きて行くことができるんじゃないか?と思って、人間の可能性の力にめちゃくちゃ嬉しくなってしまいますね。

 僕もおじさんになってから急に漫画を描いてコミティアに出始めましたが、ここからまだ数十年成長期があるかもしれないと思うと、世間的には遅くても、全然遅くねえなと思えたりする気がしてきました。

 

 話題はずれますが、この前、コミティア用に描いた漫画を2作、ネットにアップロードしてみたことを思い出したので貼ります。よかったら読んで下さい。

manga-no.com

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 トリリオンゲームは2巻の最初に入るであろう話が、めちゃくちゃな絵面に、カッコよさがあり、その行為には賢い意味があって、そしてやってることはめちゃくちゃみたいな面白い回なので、連載読んでない人は2巻の発売を楽しみにしましょうね。