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碇ゲンドウの破からQ関連

 シンエヴァンゲリオン劇場版(なんか記号が入る)のネタバレがありますのでご注意。

 

 映画を見て、碇ゲンドウくんに対して何らか新事実が分かったかというと、そうでもなく、まあ、ほぼほぼ大体分かっていたよという話だったのですが、漫画とかで若干触れられていたものの、碇ゲンドウという男が何を考えていたかということが、本人の口からじっくり語られたことはよかったなと思いました。

 キミがそれを最初から口にしていれば、もっと早い目に別の道があったかもしれんぞ!と思ったものの、結局彼の望みを叶える方法は、あのような形しかなかったので、途中の道がどうであっても、結局似たようなところにたどり着いてしまったのかもしれません。

 

 碇ゲンドウくんの望みは、エヴァに取り込まれた妻のユイと再び会うことでした。

 

 そして、思い返してみると、新劇場版破で、碇シンジくんが言った「綾波を返せ」と、碇ゲンドウくんの「ユイに会いたい」は同じような感性だろうなと思ったりしました。エヴァに取り込まれ、自分の目の前から消え去ろうとする大切な人を、自分を、世界の他の全てを犠牲にしたとしても取り戻そうとする、絶望的な営みであるからです。

 なので、親子揃って同じようなことをしているなと思いました。

 

 しかしながら、ゲンドウくんの行為を肯定的に捉える人は少ないのかなと思いました。なら、なぜシンジくんが世界を犠牲にしたとしても綾波レイを取り戻そうとした行為の方は、ある種の喝采のもとに受け入れられたりしたのでしょうか?シンジくんは、それによって引き起こしたニアサードインパクトによって世界をめちゃくちゃにしてしまいます。

 シンジくんはあまりにもかわいそうだから、シンジくんだけの責任ではないと言ってくれる人がいます。少年に世界のすべてを託したり、説明をちゃんとしない大人の方がダメだと言ってくれたりします。

 それがゲンドウくんには当てはまらないのはなぜでしょうか?大人だからでしょうか?

 

 あるいは、ゲンドウくんが傷ついた顔を見せないからでしょうか?表情を変えず、淡々としているから、傍目からはかわいそうであるようには見えない人は、傷ついてはいないのでしょうか?

 そんなの分からないですよね。

 

 新劇場版Qにおいて、自分の行為が世界をめちゃくちゃにしてしまったことを知らされたシンジくんはとても傷ついてしまいます。そして、せめて綾波レイを助けられていればよかったのですが、そうでもなかったことが一段と彼を傷つけます。

 

 その後、ロンギヌスの槍とカシウスの槍があれば、槍があればやり直せると教えてもらったシンジくんは、その希望にすがってしまいます。それが実は罠だとカヲルくんが気付いても、絶望の中で見せられたわずかな希望にすがってしまうシンジくんは、その罠に引っ掛かり、フォースインパクトを引き起こしてしまいます。

 シンジくんは愚かです。しかし、その愚かさを責めることができるでしょうか?

 

 そして、同じくわずかな希望にすがり、自らを人ではないものに変えてまで、その道を進み続けた男がゲンドウくんです。もしかすると、彼はずっとQのシンジくんと同じ状態であったのかもしれません。自分がどうなったっていい、世界がどうなったっていい、槍があればやりなおせる、その言葉はすべて、ゲンドウくんにも当てはまります。

 

 彼は完結編に至るまではその心を誰にも見せませんでした。大体察することはできても、自分自身で自分を語ることをしませんでした。他人に理解してもらうことに意味がないと思っていたのかもしれません。それ以前に、シンプルに他人が怖かったのかもしれません。

 だから、彼は、自分の子供さえ怖がった人生の中で、唯一安心できる相手であったユイに過剰にすがってしまったのかもしれません。彼女の存在が失われてしまったことに、どうしても耐えられなかったのかもしれません。

 それゆえに起きた悲劇が、エヴァンゲリオンの物語であったのかもしれません。

 

 そう考えれば、碇ゲンドウくんが、ユイ以外の他人に自分のことを開示できる人間ではなかったことが、この物語の鍵となる部分です。だから、そこが解かれることで、この物語は終わるのかなと思いました。

 しょうもない話です。しかし、そのしょうもない部分にどうしても囚われてしまうのが人間でしょう。

 

 周りからかわいそうだと思って貰えない人は、かわいそうだと思って貰える人よりも、ずっとかわいそうかもしれません。ゲンドウくんの前に立つ人間がシンジくんであったのは、その意味でちょうどよかったのかもしれません。

 シンジくんには優しくしてくれる人たちがいたからです。だから、シンジくんには誰にも優しくして貰えない苦しさと、誰かに優しくされることの大切さが、身に染みて分かっていたのかもしれません。

 

 碇ゲンドウくんの身に起きた破とQはシンジくんのそれよりずっと先に始まり、そして、後にようやく終わりました。結果だけ見れば、彼は望みを達成し、同時に心も救われたように思います。だから、よかったなと思いました。

 

 ゲンドウくんは孤独だったなと思いましたが、よくよく考えると冬月がいますね。ずっといますね。ネルフから人が離反してヴィレに行ってもずっといますね。他に人が残っていないような中でも、冬月だけはいました。なんでいたんでしょうか??

 でも、もしかすると、シンジくんにとってのミサトのように、ゲンドウくんには冬月がいたのかもしれません。ミサトはシンジくんに、冬月はゲンドウくんに力を貸しました。

 

 なので、やはり、あの親子は似たもの同士なんだなと思いました。