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「ダンジョン飯」とキメラの寿命関連

 「ダンジョン飯」の10巻を読みました。ダンジョン飯は、妹を助けるために、モンスターを調理して食べながらダンジョンの深い階層に潜っていく漫画です。

 10巻の巻末に、本作におけるキメラの解説があったのですが、複数の獣やモンスターのパーツが合成されたキメラは、生きている生物として捉えたときに、その身体に多くの矛盾を抱える存在であるという示唆が面白かったです。また、これは本編の内容にも関わっています。

 

 例えば作中に登場する、人間の上半身とレッドドラゴンの首から下が合成されたキメラは、内臓として炎を吐くための器官があっても、口が人間のものであるために、炎を吐くために必要なパーツが揃わず、その内臓の持ち腐れになっています。

 もう少し現実的な例で言えば、仮に、頭が草食獣で身体が肉食獣のキメラがいた場合、頭が好んで食べる植物を十分に消化吸収する内臓がないため、十分な栄養を摂取することができないかもしれません。

 

 生物の肉体は、全体がシステムとして上手く調和して機能するように作られているものです。というより、上手く調和していないものは不利なので、生存競争に勝つことが難しいのではないでしょうか?

 しかし、キメラは、その身体で長い時間を生き延びてきたわけではなく、別々に生き延びてきた生物同士のパーツのみが組み合わされています。だからこそ、場合によっては、肉体に根本的な矛盾が生じ、長く生きることに向かないかもしれません。

 

 別の漫画でも似た問題を取り上げています。人間と動物の遺伝子が入り混じるようになった世界を舞台にした漫画、「螺旋じかけの海」には、動物由来の内臓を持つ人間が登場します。

 その別の動物由来の内臓は、人間のものよりも寿命が短く、つまり、人間と別の動物がその人生の歩みを合わせるのが難しいように、同じ人間でありながらも寿命が異なってしまいます。つまり、構造的な他人との別れが最初から存在していることを意味するわけです。

 

 この辺りの問題は、ダンジョン飯でも種族によって寿命が異なることの悲哀として描かれています。10巻に収録されている話では、全滅を避けるために、唯一蘇生術が使えるハーフエルフのマルシルを守るような戦いが繰り広げられます。一番寿命が長い種族であるマルシルには、自分以外の仲間が先に死んでいくことについてのどうしようもない別れの悩みがそもそもあるわけです。

 つまり、この戦いでは蘇生術で生き返らせられても、いずれ、寿命の問題で避けられない同じことが起こるということです。それを、マルシルは予習させられてしまうという悲しいお話です。

 

 さて、話を戻してキメラの話ですが、もう少し枠を広げて考えると、このダンジョン飯という漫画そのものを、ある種のキメラであると捉えることができると思います。

 それはつまり、「ゲーム等に登場するモンスター」と「実在の生物」という2つの、概念上のキメラです。

 ゲームに登場するモンスターには役割があります。それは、主人公の前に障害として立ちはだかり、倒され、経験と金銭を与えるという役割です。逆を言えば、それ以外の要素は別になくても存在が成り立つということです。それぞれのモンスターがどのように生まれ、どのような肉体と生態系の中で生き、そして主人公たちに倒される以外の理由で死んでいくのかは、最初から存在しなくても特に問題がありません。

 

 しかし、ダンジョン飯では、そのモンスターを調理するという都合上、実在性の高いものになっている必要があります。そこで、それぞれのモンスターがどのような体の構造で、どのように生きているか詳細に描かれます。そこには、実在の生物からの様々な引用によって補完されている部分も多々あります。

 そうでなければ、モンスターを食材として解体することができないからです。解体するためには、中身がなければなりません。そしてその中身の理屈は通っていなければいけません。

 

 こう考えると、キメラの寿命は短くなりがちということと、メタに繋がっているようにも思えます。本来モンスターは、生物としての辻褄が合わなくても存在しうる概念でした。しかし、生物然として存在してしまう以上、その大きな肉体を支えるために、日々どれだけの食料を摂取しなければならないかなどの理屈を必要としてしまう身体になってしまいます。

 理屈が存在すれば、その理屈を逆手に取れば弱点にもなります。つまり、食材としてモンスターを捉え直すことにより、そのモンスターが本来持っていたはずの、「辻褄が合わなくとも存在しうる」というある種の強さが棄損されてしまうとも考えられるのではないでしょうか?

 

 ここで思い出すのは、作者の過去の短編「竜の学校は山の上」です。この短編は、大学の竜学部を舞台にしており、現代日本に存在する竜がどのように取り扱われるかを描いた物語です。そこでは、竜を食用に使うなら家畜を食べた方が安くておいしいし、移動手段として使うにも効率が悪く、愛玩用にも向いていないという、竜という存在がいかに現代の日本に不要な存在であるかということが詳細に描かれます。

 そして意地悪なことに、そんな小さな辻褄を一掃するような雄大で力強い竜の飛行風景がが、その存在が必要であることを誇示するがごとく描かれます。竜は不要ということはどうしようもなく今の結論だけれでも、それでも、いつか必要になるかもしれない道を模索することを諦めないということで物語は終わって行きます。

 

 空想上の存在に実在的な肉付けをすることに非常に長けている作者であるからこそ、それが上手くできればできるほどに、本来持っていた強さを失わせてしまうかもしれないというジレンマが、そこにあることも描けるのかもしれません。

 

 よく考えられていないキメラならば、肉体の調和がとれていないので寿命が短くなります。でも、よく考えられたキメラならば、キメラであったとしても美しく調和がとれて寿命も長くなるのかもしれません。これは作中のモンスターの話で、ダンジョンという生態系の話で、この漫画そのものの話かもしれません。

 そう思うと、オタクにはそういうところに拘りがちな人も多い気もします。例えば、好きな漫画に矛盾を見つけても、それを上手く解釈することで、なんらかの辻褄を合わせて理解したいと思ってしまったりするじゃないですか。

 好きなものの寿命を延ばすために、上手く調和させる方法を考えてしまうことはある種のオタクの夢です。

 

 ダンジョン飯の物語の、終わりは近いのではないかと思いますが、この先に、調和のとれたキメラの姿や、必要とされる竜の物語など、これまでの短編でも描かれてきたことの、さらにその先が描かれたりするのかなということを期待してしまいます。

 続刊が楽しみだなと思います。

 

以下、関連です。

mgkkk.hatenablog.com

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