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「イムリ」が完結した関連

 三宅乱丈の「イムリ」が14年の連載を経てついに完結しました。

 これから、全巻読み直そうと思うのですが、とりあえず今の気持ちの記録のためにこの文を書きます。

 

 イムリはルーンとマージという2つの星で、イムリとイコルとカーマという3つの種族を巡る物語です。イムリとカーマの大規模な戦争があってから4千年が経過し、カーマの中枢部を除いてはその記憶も記録も薄れている時代です。

 戦争の結果、ルーンは氷に包まれ、カーマはマージで文明を発展させました。長い時間の果てに、ルーンはようやく雪解けを迎え、また自然豊かな星に戻りつつあります。その間に、カーマの文明は、イコルを奴隷として使うようになっていました。そして、再びルーンに降り立ち、イムリを密かに奴隷化しようとし始めていたのです。

 

 この物語は、カーマの中で育ったデュルクという少年が、実は自分がイムリであることを知り、カーマの文明から逃げ出して、イムリの文化を知る物語です。そして、その中で再び巻き起こるカーマとイムリの戦争が、終結するまでの物語です。

 

 この物語が描いていたもののひとつは、「支配」という概念だと思います。

 

 誰かの自由意志を束縛することで、世界は「言うことを聞かせる側」と「言うことを聞かせられる側」に分断されます。自分の本当の心に従った行動ではなく、誰かに強要された不自由な人生を送ることは不幸なのではないでしょうか?この物語の世界は、そんな不幸に満ち溢れています。そして、そんな抑圧の中で、人が自由な心を持ち得ていく過程が描かれます。

 

 この物語には彩輪という概念が登場します。彩輪は、全てのものが持つ光彩というエネルギーの中でも生物が持ちえるものを特にそう呼びます。この彩輪を使うことで、人と人の精神を共鳴させる技術が「侵犯術」です。例えば「促迫」という侵犯術は、他人を思い通りに動かすことができます。そして、促迫を三度使われると、精神が完全に奴隷化し、自分の意志を失ってしまいます。

 この侵犯術がカーマによる支配体制の根幹にあります。これは恐ろしい技術です。促迫を前にすれば、いかなる暴力を持ち得ても、いかなる強靭な精神力を持ち得ても、無力だからです。しかしながら、侵犯術による支配の背後にあるのは、カーマのどうしようもない臆病さのように思えました。

 

 カーマは弱い種族です。彩輪の強さで言えば、イムリにもイコルにも劣ります

 4千年前の戦争時には、カーマはイコルの支配下にあったと伝えられます。そんなカーマがいかにして戦争に勝利したのかは詳しく語られません。いや、勝ったというよりはカーマはルーンを犠牲にしてマージに逃げたという解釈もあります。

 そこには覚醒者の存在があったことが伝えられていました。カーマを指導した覚醒者は後に賢者として、代々カーマの最高権力者の座につくことになります。そして、その正体はイムリだったのです。

 覚醒者となったイムリが何を考え、カーマの味方になったのかは分かりません。カーマの味方をしたのではなく、その強い彩輪によってカーマを従えていたという推測もあります。でも、本当のところは分かりません。ただ、最終回まで読み終わったあとで思うのは、覚醒者となったイムリは、カーマが弱き者であるからこそ、その味方をしたのかもしれないと思いました。

 

 その後、カーマは暴力的で卑怯な、支配の仕組みを作り上げました。それはイコルやイムリの人権を蹂躙するものです。そして、カーマ自身もはその仕組みを維持することに囚われてしまいます。

 

 だから、これはとても悲しい話なわけですよ。カーマは侵犯術の力に囚われてしまい、それを社会の根幹に据え付けてしまいます。それはきっと弱さなんだと思います。侵犯術は弱きカーマにとっての唯一の武器だったはずです。まともに戦えば負けてしまうイムリやイコルに対して、侵犯術ならばカーマにも勝ち目があります。

 種族としての強さと弱さがどうしようもなく存在する場合、平等ということはきっと不平等です。同じルールで戦っていれば、弱い種族が必ず負けてしまうからです。だからこそ、カーマは侵犯術を手にしてしまいました。そして、それをシステムとして行使し続けることしか、イムリやイコルに対する恐怖を拭い去ることができなくなってしまったのです。そして、それはカーマの中でも同じです。促迫を使い、相手の本音を喋らせることでしか、相手を信じることができないことは弱さでしょう。

 

 保証が欲しい、確証が欲しい、どうしても相手を信じられないからこそ、本音を無理矢理喋らせるという暴力でしか、相手を信頼することができません。だから、カーマの中では、欺瞞と本心がまぜこぜになっていきます。本当は欺瞞でしかないことを自分の本心であると心から思い込まなければ、それを暴かれてしまうかもしれないからです。だからきっとカーマは狂ってしまいました。

 

 侵犯術をもって、イコルを奴隷化し、イムリを蹂躙しようとしたカーマこそがその実、他の種族よりもずっと心を侵犯術に支配されており、それは自らの意志であると思い込んで自発的に行われているからこそ、誰よりも強固に支配され続けます。

 

 カーマは悪いことをしてきました。カーマには罰せられるべきであると思われる人たちだって沢山います。ただそれでも、戦うべきはカーマそのものではなく、カーマをその行為に走らせた支配の構造であって、それはきっと人が弱さから蹂躙されることを取り除くことでしか達成されることがないのだろうと思いました。

 それは一時の力で、何かを打ち倒すことでは達成できず、その状態を継続するという地道な日々の連なりでしか保てないことです。

 

 この物語の白眉は、イムリでありながらカーマの最高指導者になった男、タムニャドです。彼は、デュガロというカーマの権謀術数の中心にいた人物に育てられた男です。デュガロは誰よりも人を支配するということに長けた男です。デュルクの双子の片割れであるミューバも、デュガロの支配によって人生を狂わされた人物です。

 ミューバはデュガロの策略により、もはや取り戻すことができないような数多くの罪を犯しました。それは侵犯術を使われたからではありません。ミューバはそれを自分の意志だと思っていました。そこに選択肢などなかったのに。

 

 しかしながら、そんな恐ろしいデュガロに育てられたタムニャドはとても高潔な男です。デュガロは悪人であるものの、それでもその望みはタムニャドが賢者として自由に、心のままに生きることでした。それはきっと、デュガロ自身が支配されて生きてきたことの裏返しです。デュガロは賢者の血を受け継ぎながらも、権力闘争の種にならぬように、子供の時点で子を作れないように断種されていました。そして、デュガロはそんな自分を受け入れ、肯定し、その判断をしたそのときの賢者を敬って生きてきたのです。デュガロにはそれしか選択肢がなかったからです。

 デュガロがタムニャドに残した最後の教えは、「自分の教えを疑うこと」でした。そして、タムニャドを逃し、イムリたちもろとも死を選ぼうとしていたデュガロのもとに、タムニャドは帰ってきます。デュガロの教えに従い、デュガロを疑って、和平をもってこの戦争を終結させるために。

 

 ここでのタムニャドの立ち振る舞いは、本当にただただ素晴らしくて、連載時に毎号泣きながら読んでいました。誰にも支配されない、自由な心をもった男がそこにいました。そんな男が、誰よりも心を支配され続け、他人を支配し続けたデュガロの下から生まれたことは、矛盾ではなく必然であるように思えました。

 

 賢者タムニャドの口から語られる不都合な真実は、カーマの根底を揺るがすものでした。だから、呪師の権力者は、その隠蔽のためにタムニャドの殺害を命令します。しかしながら、命じられた軍人はタムニャドではなく、その呪師の方を撃ち殺します。なぜならば、軍人はタムニャドの言葉を聞いてしまったから。人間には、誰かに支配され、命じられたままに奴隷のように生きるのではなく、本当の心があるということを知ってしまったから。

 

 「嫌だと思ってしまったのです」

 

 そのひとりの軍人は言いました。そんなことすら認められていなかったのです。誰かの命令に嫌だと思うことを認めることすら、ましてや、その命令に逆らうことも、なにもかも認められていなかったのです。それがカーマの社会、つまり、支配の力だったわけです。

 

 ただし、この物語はタムニャドの登場をもって、単純に支配から解放されていくわけではありません。世の中はひとりの高潔な人物がいただけで何かが変わるほど単純ではないからです。

 タムニャドの和平を望む声に反対をする人々はいます。それはカーマの権力の中枢であった呪師たちだけでなく、カーマの中でも下層とされた人々の中でも巻き起こります。自分たちがカーマ社会で虐げられているのに、なぜ、これまで奴隷だったイコルだけが平等に取り扱われるようになるのか?という不満です。

 それはきっと間違った考えですが、でも、そう思ってしまうことは、悪さではなく弱さ、あるいは人が世の中で平等に扱われないことの悲しさでしょう。

 

 そこには無数の細かないさかいは残り、無理解や争いは決して完全に消えることはないのかもしれません。新たな戦争の種だって残っています。しかし、それでも、人が人を支配しないことを良しとする人々がいて、そのために何かをしようとしているという希望をもとに、この物語は描かれているのだと思います。

 

 次の4千年後の新たな戦いではなく、4千年後も続いていく和平の中で、誰かが誰かを支配することに囚われないようにするために。

 

 いやー、とにかく14年間、連載を読んできて本当によかったなと思っています。めちゃくちゃいい漫画ですよ。皆も読むとよい。