漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

作品の感想を作者に伝えることの難しさ関連

 世の中に公開される何らかの作品というのは、基本的に多に向けて作られていると思います。作者は大勢に人に見られる形でそれを公開しますし、それが世の中に広く届けば、一本の幹から別れた無数の枝のような形でそれぞれの受け手に届くかもしれません。それぞれの枝の先からさかのぼれば、幹までは一本道です。でも、作者からの視点では無数のうちの一本です。そこを見誤ると、なんかバランスがおかしなことになるんじゃないかなと思ったりしています。

 つまり、そういった場合、基本的に作者と受け手は1対1の人間関係ではないのではないのかなと思うということです。

 

 年始に「推しが武道館にいってくれたら死ぬ」を最初から読み直していたのですが、漫画が面白いこととは別に、しんどい気持ちにもなってきたりしていて、それは作中の描写から喚起される何かしらが、自分の感覚を色々引っ張り出すからだと思いました。

 「推し武道」はマイナーな地方アイドルと、それを応援するファンを描いた漫画です。そこではアイドルがマイナーであるために、ファンの数、つまり前述の枝の数がまだ少なく、ファンとアイドルの関係性が双方向に一本に見えやすくなってしまったりします。しかも、強いファンは多くのCDを買いますし、それに比例する時間だけ握手会などで直接対面もしますから、より1対1の人間関係に近似してしまいます。

 アイドルというものは1対多のコミュニケーションの構造を持つものだと思うんですけど、そこに1対1の人間関係的なコミュニケーションに近似したものが生じてしまうことには、矛盾があり、その歪みがどこかに出てきてしまうものなのではないかと思います。その人間模様が、この漫画の面白さのひとつであると同時に、僕が読んでいて感じてしまうしんどさの一因なのではないかと思いました。

 

 僕は漫画の感想を書いていますけど、作者に直接送ったことはほぼありません。それは、作者が僕が書いた感想を読みたいかどうかが分からないからです。作者に直接送らずに、ネットにぼんやり出しておけば、もし読みたければエゴサーチして読むでしょうし、読みたくなければ読まなくて済みますから、そこで何らかの事故的なものが起きにくくなるのではないかと思ってそうしています。押し付けられたのではなく、覚悟を持って読んだんでしょ?という言い訳が立つからです。

 それとネットに書くもうひとつは、感想を書くということが広がりを持つことに繋がった方が良いような気がしていて、それならば、作者しか見ないところに送るよりも、人の目に触れるところに書いた方がいいのではないかとも思ったりするからです。まあ、でもそれを言い出すと、僕のようなどこの誰とも知らない人が書いた感想が、何かの作品を広げるための手がかりになることはまれなことではないかと思うのですが。

 

 作者に直接感想を送ってしまうことは怖く感じるところがあるんですよ。それは前述のように、相手が望んでいないものを読ませてしまうかもということもありますし、こちらに「1人の人間としての対応」を求めてしまうことでもあるかもしれないからです。

 人間にはひとりひとりを人間として丁寧に応対することができる数に限りがあると思っていて、それは僕自身が特にそうで、例えばTwitterでたまに自分のしょうもない発言がバズったときにリプライには返信をしないこともその理由からです。全てのリプライに個別にちゃんと返信するとしたら、自分の一日分のコミュニケーションに使える精神力を一瞬で使い切ってしまうかもしれません。

 

 作者は僕だけの相手をするわけではないですし、にもかかわらず手間のかかる返信を求めるような形になってしまったり、さらには、こちらがわざわざ感想を送っているのだから喜んでほしいなんて思ったりしてしまうのは、ひどく勝手な考えだなと思って、まあなんというか、とにかく先方に負担をかけたくないんですよね。相手が良い人ならなおのこと、気を遣ってくれてなんかいいことを返そうとしてくれたりもするわけじゃないですか。それが負担になるんじゃないかなと思ったりするんですよね。

 負担をかけたくないのは、嫌われたくないからです。自分が好きな作品の作者には絶対嫌われたくないじゃないですか…。

 

 なんでこういうことを書いているかというと、さっき、ネットのまとめみたいなので、作者に感想を送ったのに邪険にされたみたいなのの愚痴を言っている人が大量にまとめられているものを見たからですが、それが悲しいのは分かるけれど、作者の人だって、ひとりひとりに人間的な対応をするほどのリソースないことだって多いでしょって思うんですよね。

 

 広く作品を公開するということは1対多のコミュニケーションを試みているのに、それを無数の1対1にしようとしてしまうと、よほどのバイタリティがある人でなければ無理が出るんじゃないかと思っています。百万人のファンがいたら、百万の枝が伸びているということです。自分からみれば1本でも、幹からすれば、その百万の枝の一本一本はやっぱり個別には見れないんじゃないでしょうか?

 ただ、これはアマチュアになってくると、枝の本数が少ない分、もしかしたら1本1本を見れるんじゃないかと思ってしまうことが、しんどさのきっかけになってしまうのかもしれません。

 

 この辺の、好きな作品の作者には直接相対したくない(向こうが得をすることがないと思うので…)という感情は長年感じていることがあって、それが「推し武道」を読んでいるときにも分野は違っても喚起されて、ウワッこんな辛いことを物語として描いている!と思ってしまったりもするような気がしました。

 とはいえ、好きな作品を作っている人で交流のある人もいて、でも、そういうときははそっちから僕の感想とかに触ってきたんだからな!じゃあ、ちょっと!ちょっとだけ交流させてもらいますが!??みたいな、こうなんか、そこまで迷惑にはならないのではないかという外堀を、すごい慎重に埋めるみたいなのがあります。でもやっぱり、そういうのはそんなにできないので、そんなにないです。