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「HUNTER×HUNTER」のナニカの能力と責任の等価交換認識の類似幻視関連

 ハンターハンターに登場するゾルディック家には、アルカという子供がおり、そのアルカには「ナニカ」と呼ばれるもうひとつの人格が存在します。ナニカの正体はその後、暗黒大陸から持ち帰られた「ガス生命体アイ」という存在であると示されており、これからもっと新しい背景が描かれるのかもしれません。

 

 ナニカの能力は夢のようなものです。それは「何でも願いを叶えてくれる」というものだからです。しかしながら、そこには以下のようなルールがあります(記憶で書いてるので、もっとあったかもしれませんが)。

 

基本ルール

  • アルカのおねだりを3回聞くと、1つのお願いを叶えてもらえる
  • お願いの大きさには限界がなく、何でも実現できる
  • お願いが大きければ大きいほど、その等価交換として次に大きなおねだりをされる
  • おねだりを聞くことに3回失敗すると失敗した人、その最愛の人、失敗した人と長い時間を過ごした順に、それらが等価になる人数まで死ぬ
  • おねだりに失敗すると簡単なおねだりにリセットされる

条件的なルール

  • おねだりをしている途中で、別の誰かにおねだりをすることはない
  • 同じ人間が連続してナニカにお願いすることはできない

応用的なルール

  • 結果的に叶えられる願いがひとつなら、条件をつけて複数のお願いができる

隠されたルール

  • 何かを直すお願いを叶えるためにはナニカが対象に直接触れる必要がある
  • 直すお願いを叶えたあとには、残酷なおねだりをされることはない
  • キルアの「命令」であればノーリスクで願いを叶えることができる

 

 このルール、何か(ナニカ!!)に似ているなと思っていて、ひとつ思い当たったのは世の中の責任追及に対する態度です。念のため書きますが、ナニカの能力が世間のこれを暗喩していると言っているのではなく、僕がそこに勝手に共通点を見いだしたという話です。

 上記のルールから以下3点について話します。

  1. お願いとおねだりが等価交換であること
  2. 直すときには残酷な見返りを要求されないこと
  3. 命令はノーリスクであること

 

1. お願いとおねだりが等価交換であること

 大きな悲しい出来事が起こると、世の中にはその後、その悲しみに相当する責任を誰かに取らせようとする意見が生まれたりします。つまり等価交換です。このようなことは、人がしでかした出来事ではもちろんそうですが、人の力ではどうにもならなかったような自然災害でさえも起こります。例えば、それを防いだり、救助のためにために適切な対応をとれなかった人間が、自然災害が起こったことそのものに匹敵するぐらいに責められることもしばしばです。

 これはつまり、人格のない自然そのものには責任を問うことができませんから、起きてしまった出来事への責任の等価交換を求めるなら、その対象は人になってしまうということではないでしょうか?

 

 例えば凶悪な犯罪者がいた場合にも、その犯罪の責任はその人の親族や、その人を取り巻いていた環境を作り上げた人や、その人が抱えていた属性と同じものを抱えている人に広がって、「その責任をとれ」という言説が生まれることがあります。そうなってしまう理由は、その重大な犯罪と釣り合わせるには、たったひとりの人間の存在では全然足りないからなのではないでしょうか?

 そもそも因果関係の認識には、エネルギー保存則や質量の保存則と違って、必ずしも等価交換が認められるものではないと思います。つまり、ほんの軽微なことが、重大な結果を引き起こしてしまうこともあるわけです。しかしながら、そのようなところにまで等価交換を求めてしまう人間の思考が、結果に釣り合う大きさまで責任を取らせる範囲を広げ、沢山の人を責任の俎上に上げようとしてしまいます。

 僕はこのような状況と、ナニカの能力に類似を感じました。

 

 これは呪術的な側面のある行為の一種だと思っています。なぜなら、そこで問われる責任は、問題を真に解決するため(二度と起こらないようにするため)の行為というよりは、その大きな喪失に納得するための儀礼的な意味合いが強いように思うからです。

 何かの事故や事件を防ぐことを考えるときには、そこで語られる理由が、関係者を納得させるだけではなく、本当にそれの再発を防ぐために有効な施策かどうかを選り分けなければならないことが多いです。

 

 話は逸れますが、何かの事故の再発を防止するため、その原因に対して「なぜ」を繰り返すという方法が使われることがあります。この方法自体には、よい側面も多いのですが、悪い使われ方をすることもあります。何かが起きた原因として「人間の精神」が出てくると、僕が思うにもうそれは分析としてダメです。

 人間という概念は、「責任が取れすぎてしまう」のでマズいところがあって、それがどんなにリソース不足の中で強行された仕事であっても、それがどれだけ理不尽な周辺事情があったとしても、当事者が「私がちゃんとしていないのが悪かった」という説明をすることで周囲の納得が得られてしまうことがあります。この言葉は、その責任を取らされる人から自発的に出てくることもしばしばです。なぜなら、本当の原因を見つけられずに延々と話し続けられるよりも、もう自分が悪いことにしてこの場を収めてしまった方が楽だと思ってしまったりするからです。

 でも、この状況、たまに遭遇しますが、最悪だと思っているんですよね。

 

2. 直すときには残酷な見返りを要求されないこと

 さて、話を戻しますが、悪い行為に等価交換の責任を求められがちな一方で、何か素晴らしい行為が行われたとき、そこで等価交換を求める動きには抑制がかかりがちではないかと思います。例えば、素晴らしい行いをした人の親族や、同じ属性の人々が等価交換に釣り合うだけ褒めらえるということは、もちろんあるにはありますが、それを否定する考えも強いように思うからです。

 あなた方が素晴らしいのではなく、その素晴らしいことをした人だけが素晴らしいだけだと。それを我がことのように誇るのは、越権的ではないかという指摘が出てくるのをインターネットでは目にしたりします。

 

 こちらはナニカが直すときには残酷な見返りを求めないことと似ているような気もしたんですけど、でも、よくよく考えてみたら、同郷の有名人を誇ったりするのは世の中に全然あるような気はして、それは特に否定的には語られないような…。じゃあ、あんまり似てはいないですか…。

 いや、でも、そこに責任は求められてないですよね?素晴らしいことを成したときに、誰かにその責任をとらせるというようなことはないわけです。こっちの方向なら行けそうな気がしてきました。やっぱりナニカの能力から、色々類似を勝手に読み取ることができそうです。

 

3. 命令はノーリスクであること

 「命令はノーリスク」というのは、ハンターハンターの世界の根本を揺るがすような仕掛けなので、それが明らかになることを読んだときには衝撃に感じました。本当に何でも願いがノーリスクで叶うなら、この先起こる全てのことはそれで解決すればいいからです。ドラえもんにおける、ソノウソホントだけあればいいだろ理論です。

 この辺は、まだ何か裏があるんじゃないかと思っていて、まだ素直には受け取れません。クラピカのエンペラータイムも、後から強い制約と誓約が存在することが分かりましたしね。

 

 ハンターハンターの根本を揺るがすとは、作中の念能力自体が、リスクを抱えることによって大きなリターンを得るという等価交換の原則に準拠したものだからです。その中に、ナニカの能力のような、その認識を打ち破るようなものが出てきたということは矛盾するので、想像していませんでした。これは自分がいつの間にか発想の枠組みをいつの間にか狭めていたということにも気づけたので面白い体験でした。ナニカが暗黒大陸から来たものであるということは、これまでのルールが通用しない場所という引きとして興味を惹かれます。

 

 で、これも何かに無理矢理なぞらえて捉えるかって感じなんですけど、命令されるというのは、無責任になるということと似ていると思います。なぜそれをするのか?と問われたときに、「命令されたから」がそのまま理由になってしまったりするからです。

 命令された側が、無責任になって何かをしてしまうということは、割と楽な話だと思うんですよ。自分で考えて行動すれば責任を求められますが、他人に言われてやるなら、言った他人のせいにできます。

 

 僕自身、完璧に正しいリーダーの言うことを聞いて、言われたことだけやっていればいいというのなら気楽だなあと思いますし、完璧に正しいリーダーさえいてくれさえすればそうなりたいと思ってしまいます。ただ、結局そうならないのは、完璧に正しいリーダーというのが架空の存在だからだと思います。

 これまでの僕の経験上では、人間の認知にはやっぱり限りがあるので、ありとあらゆることに対して詳しく知ることはできません(知っているふりはできるとは思いますが)。めちゃめちゃ賢い人であったとしても、現場作業レベルの話になれば、現場の人よりもものを知らなかったりするのです。

 なので、大きな問題に取り組むときには、その大きな問題を適切な大きさに分割し、詳細で実践的な認識のある人が責任を持たなければならないと思っていますし、どれだけ能力のある人であったとしても、その隅々まで仔細に判断して指示することをしていては、時間がいくらあっても足りませんし、判断の根拠もあやふやです。その結果、スケジュールはどんどん遅れていきます。

 

 いやもう全然ナニカの話とは変わってきてしまいましため。何を隠そう、これは漫画の話ではなく、個人的に悩んでいたりすることについて、それが頭の中にいつまでもあるせいで、漫画を読んでもそれに結び付けたことばかりを思ってしまうという病気みたいなものなんですよ。

 

 プロジェクトのマネジメントだとか、課題の解決だとか、再発防止策だとか、そんなことが終わりなく延々とやってくるわけなんですけど、なんでこんなに仕事があるんでしょうね??目の前のことをやっているとすごい速さで毎日が終わって行きます。

 もう、何も分かりません。ああ、ハンターハンター早く連載再開してほしい(読みたい)。