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自分の思考方法がまったく論理的じゃない関連

 「論理的な思考能力が重要」みたいな話があると思うんですけど、困ったことに僕は日頃から全く論理的に思考をしていません。「元になる何か情報があって、それを信頼できる論理をガイドラインにしながら筋道立てて展開していくことで最終的に結論に至る」とかではなく、初手でいきなり結論を得ています。

 とりあえず結論を得てから、それを正当化するための適当な理屈を選び、それっぽく装飾して話すのが僕の日常的なやり方です。理屈なんて後付けの嘘です。言わば詐欺師ですよ。

 

 でも、僕が思うに、これが多くの人の基本的な思考形態です。神秘的なのは、なぜ最初にいきなり結論を得られ得られるかということです。今のところの僕の解釈では、そこには利害関係が強く関わっています。つまり、自分にとって一番都合がよいと思われることを無意識に選び取っているんですね。一番利が大きく、一番害が少ないものが、その結論と近いはずです。そして、その自分が得するはずと思った結論を、あたかも場にいる全員が得をするとか、一番正しいことだとかという風に飾り立てて、皆もそれにしようよと騙していったりするわけです。

 

 あたかも自分が、論理を使ってそこに辿り着いたかのように説明する人は沢山いますが、僕の偏見では大半は実はコレじゃないかと思っています。論理は後付けで、それもパターンマッチングです。それっぽい理屈をあらかじめ色々用意しておいて、それに当てはまりそうなものを適当にピックアップして、ほら、これで辻褄があるから正しいでしょう?って言ったりなんかするわけです。でも、そんなもの多くの場合、全くに虚飾で無意味ですよ。それっぽいだけで再現性もなく、論理の接合部分を適当に誤魔化し、データも適当に都合がいいものだけピックアップしてこじつけているだけで、茶番であることがとても多い。

 その証拠に、自分が抱えている結論に合致している事例が出てくると、人は反射的に喜んでしまいます。その事例にどれほどの信憑性があるかどうかの検証もせぬままに、その事例を根拠にすれば、自分にとって都合がよい結論に至れることが分かれば、拙速に引用してしまったりします。ちゃんとした論理じゃないんですよ。その場その瞬間だけ妥当性があるように見せかけられればいいということを優先させてしまうから、人はそういうことをしてしまうわけでしょう?

 それを論理的だと思い込んでいることが邪悪です。ホントはやめたほうがいい。そんなものに身を任していては、きっとどこかで転んでしまうじゃないですか。

 

 だってそれは、科学のふりをした科学ではないものとも強く親和性があるものだからです。

 

 「このNASAが開発したロズウェルXサプリを飲めば、寝ている間に脂肪が燃焼してみるみる痩せる!!」って言われたときに、なんと、NASAが開発したサプリを飲めば、寝ている間に脂肪が燃焼してみるみる痩せるんだよ!!これはとても論理的で、NASAが言っているということはエビデンスもあるんだよ!!みたいなレベルの説明に飛びついてしまったりするわけですよ。

 なんで飛びついてしまうか?それは運動をしろとか、食事制限をしろとかいう面倒で厄介で再現性のある正しい方法よりも、楽に痩せるという結果に至れそうという、一番得しそうな結論を示唆してくれているからではないでしょうか?その機序が本当に正しいかの検証を何一つせずにする判断はつまり、信じるか?信じないか?ということだけです。何の材料もないのにしたその判断に、どれほどの意味があるというのでしょうか?

 

 「日本人は現場は優秀だが、マネジメントが無能だ」というような理屈を見たときに、そうだそうだと飛びついてしまったりしませんか?もし、飛びついてしまったときに、アナタは現場の人ではありませんか?あるいは、そんなことはないだろうと思ったときに、アナタはマネジメントをやっていたりはしませんか?そう思った理由は、「自分にとってその方が都合がよい」ということだったりはしないでしょうか?

 そこに何のデータ的な裏付けもないのに、目の前にある適当な状況から、自分が一番得する結論にいきなり飛びついて、その後、それがあたかも正しいかのように説明する適当な理屈を探し始めていたりはしないかって話ですよ。

 

 そんないい加減なことをしているような人が、「自分は論理的だ」とか思い込んでいることだって多いです。僕は自分がそうなっていないか日々ビクビク怯えています。でも、真面目に考えた方がいいことじゃないですか?だって、それは個人の利害の問題でしかないんじゃないのに、それを誤魔化しているだけかもしれないからです。だから、可能な限り自分の判断の根拠は正確に理解した方がいいですよ。自分は自分にとって都合がいいことを言っているだけなんじゃないかと疑って。

 

 僕は仕事で論文を書いたりもするんですけど、論理的に考えてデータを検証して書くのってすごく大変だと感じています。でもちゃんとやるわけですけど。ただ、そういうことをしていると、逆に、自分は日常的に判断していることは、なんて無根拠なんだろうということにも気づいたりします。

 

 僕は基本的に日々の生活を利害関係で判断していて、自分が得するように動いています。別に悪くはないですよね?人間は自分が得をするように生きていいと思うんですよ。

 でも、それを「自分は利害関係で動いているな」とちゃんと認識することが生活を具合よくする感じに思っています。なぜならば、「自分が得だからこうしたい」ということが、「他人の自分が得だからこうしたい」ということと対立したとき、人間と人間が対等という認識があれば、自分の要求が単純に通ることはないな!と納得できるからです。自分の要求と他人の要求がかちあうとき、そこに調整する必要があると思えます。しかしながら、これを「正しさの話」だとしてみてしまえば、目の前の他人が自分の思った通りに行動しないことは「間違っている」と思ってしまうじゃないですか。

 それは他人に対して一方的に損をしろと命令しているようなもので、めちゃくちゃ他人の尊厳を傷つけることだと思うんですよね。

 

 自分を正しく理解することで、むちゃくちゃなことを言う人にならなくて済みますし、それによって周囲の人間との軋轢が減るので、ストレスも減ります。これは「自分は論理的じゃないな」と思いながら日々の生活をしていて、それをそのまま認識することで日々の生活が具合よくなっているという僕の話でした。

 なんかいい話っぽく締めようとしてしまいましたが、これも嘘です。この本心を正確に記述するなら、インターネットを見ていて、こいつらも僕と同じでまったく論理的に考えて得た結論ではない話をしているだろうに、自分が論理的で普遍性のある考え方をしている風に主張しているのがなんかムカつくなあ~という気持ちになったという話です。