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ラブコメ漫画は2種類に分かれる関連

 ラブコメ漫画は大きく2種類に分けることができると思います。まず、特定の男女の間に発生する恋愛を主に取り扱う漫画の場合、主人公となる片方から相手への恋愛感情は主人公であるがゆえにその内面描写から確定するものだと思います。しかしながら、相手から主人公への逆側の恋愛感情は最初から確定している場合と、なかなか確定しない場合の2種類があると思うのです。

 

 確定している漫画の場合、読者には安心というか、既にお互いに好き合っていることは分かっているので、彼ら彼女らが何らかのコミュニケーション不足や制約や意地の張り合いで恋愛成就にはなかなか至らなかったとしても、まだそうなっていないだけで、いずれはそうなる…という感じでその様子を眺めることができます。

 しかしながら、確定しない漫画の場合、仮に相手から主人公への好意の描写は何度もされたとしても、それが恋愛的な意味を持つものなのかはちっとも分からないために、これまで描かれてきたものを繋ぎ合わせて類推して、頭の中での証拠固めをしつつ、これは好かれているのでは?好かれているということは、こちらから好きと言ってもいいのでは?いやでも、自分の勘違いだった場合、辛いからここは慎重に…とほんのり匂わせながらも証拠固めとなるエピソードを徐々に重ねていくという感じのお話になります。

 後者の厄介なところは、最終的に主人公の頭の中でどれだけ証拠を固めたとしても、それはあくまで主人公の主観でしかなく、やっとこさぐいっと行ってみたらフラれてしまったりもするということです。それはダメージのある展開なので、読みたくない人もいるかもしれないなという想像があります。

 

 「ネタバレを見てからじゃないと安心して物語の細部を見られない」という人の話を聞いたことがあって、それは例えば、次がどうなるんだ?という引っ張りに心を囚われてしまい、今その場をじっくり読むことに集中できないという理由であったり、あるいは、最終的などんでん返しで読んでいる自分の心が傷つけられるという可能性を排除してからじゃないと読むというリソースを全力で投入できないという理由であったりと聞いています。

 これと似たことは「ジョジョの奇妙な冒険 第六部」のプッチ神父も言っていて、彼は、世界でこの先起こることの全てを、全ての人に予め体験させておくことで、自分の身にいずれ起こることの全てに対して覚悟を与えようとします。自分の行く先が分からなくて不安になるのではなく、それがどんな不幸だったとしても、起こることが覚悟できているからこそ受け止める準備ができ、その出来事そのものにダメージを受けずにいられるということだと思います。

 これは実際、身の回りの人からも聞いたことがある感覚なんですよ。歳をとった人が言うには「自分が死ぬタイミングが分かっていれば、それに最適化して生きることができるけれど、自分が意外と長生きしてしまう可能性を考えて、もしそのときにお金がなかったら…という不安から貯金を十分残しておかなければいけない」なんて話もあるからです。この考え方ではおそらく、本当に死ぬタイミングにはせっかく稼いだお金を使わないままに終わってしまうということも多いでしょう。

 

 だから、先を知っておくことは不安を減らし、効率良くやっていくためには効果のあるやり方なのかもしれません。

 

 さて、「相手から主人公への好意を確信できている物語」も、そこには一方通行の感情なのでは??という読者的な不安がないので効率が良い物語であるとも言えるでしょう。一方、僕個人的としては「相手から主人公への好意は確信できない物語」も好んだりもします。

 それはどちらの方が良いとかそういう話ではなく、僕は2人の恋愛の成就の行方そのものよりも、1人の頭の中で妄想を膨らませて、不安定な中でどうなのかなあと右往左往してしまうというような様子が好きなんですよね。その認識はともすればどえらい妄想でしかなく、ストーカー的な心理にも肉薄するかもしれませんが、人間は想像の中では無限で、そういう「可能性を感じちゃってる様子」そのものに何かしら自由さのような魅力を感じてしまうからかなという気がします。

 

 最近の漫画では「僕の心のヤバいやつ」がすごく好きで、陰キャの市川くんが、陽キャでモデルなんかもやってる山田さんに対する恋心を自覚する瞬間もよかったですし、自分が憎からず思われていることを日々確認しながらも、その発露を自分で勝手に抑え込もうとして、箱の周りをぐるぐる回っては中身は確かめようとはしない、できない様子がめちゃくちゃいいですね。

 

 ちょっと前の漫画なら「まねこい」なんかも好きでした。皆の注目を集める性格もよい美少女である本田さんと、地味で冴えない薗田くんが、まねきワールドから来た猫太郎さんの助力もあり、秘密を共有することとなって薗田くんはどきどきするわけなんですよ。色んな出来事があり、自分が特別に好かれているのでは??と徐々に証拠を集めていくわけですが、この物語はそんな中で食い気味に勢いつけて行ったものの、結局は上手くはいかない話なんですよ。それは決して悲しいだけの話ではなくて、それもよかったですね。人生はそういうこともあるわけじゃないですか。

 

 昔で言えば「さくらの唄」なんかもそうかもしれません。地味で冴えない市ノ瀬くんは、お金持ちの美少女である仲村さんに恋心を抱きますし、それは釣り合わないけれど、でも相手の心証は悪くないんじゃないの?みたいに思ってしまうタイミングだって何度もあるわけです。でも、フタを開けてみれば全然好かれてなんていなくて、むしろ市ノ瀬くんがやらかしたことに対して軽蔑の目を向けてきたりもします。終盤の怒涛の展開で、その関係性はさらに不思議なねじれを生み、これは結局恋の話ではないように思うんですが、これもめちゃくちゃ良い漫画なんですよ。過激な描写を途中で挟みつつも、あの終わり方をするということが。

 

 書いていたら、僕が結局上手く行かない話みたいなのを好んでいるような気がしてきましたけど、「I''s」とかは上手く行ってますからね。これも伊織ちゃんが一貴くんのことを本当のところどう思っていたのかが、全然確定しないままに進んでいくところが好きに思います。

 

 なんでこういうのが好きな気持ちになるかというと、だって、とりわけ陰気な少年少女の十代の恋愛事情なんで、妄想だけで8割9割終わるわけじゃないですか(決めつけてしまいました)。でもそれってそれはそれでいい時間だと思うんですよね。そういうのを!そういうのを大事にしていきましょうよ!!みたいな気持ちがあるんですよ。

 大人になってもそんなことをしていたら、もう完全に取り返しのつかない痛い人になってしまいますし、ともすれば事件になってしまいますが、十代の少年少女だけにはまだギリギリ許された特別な時間じゃないですか。

 

 もう自分自身はとっくにそれが許されないおじさんなので、おうおう!若いもんはいいねえ!!という気持ちで、漫画での中でもはやし立てる通りすがりのおじさんみたいな気持ちで、そういう漫画を喜んで読んでいるふしがあります。

 いや、あるいは、自分自身の少年時代を思い返して反芻しているのかもしれません。