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算数で考えて問題が起こる関連

 算数の問題だと、100×2は200じゃないですか。これは算数の上では正しいんですけど、世の中は算数で出来ているとは限りません。なので、世の中では100×2が80とかになってしまうこともあります。

 具体的に言うと、一週間に100の仕事をしている人に同じ一週間で倍の仕事をして下さいと依頼すると、80ぐらいしか上がってこなかったりする場合があるというようなことです。人間に効率よくこなせる以上の量の仕事を与えると、むしろ能率が落ちてしまうこともあります。例えば、ひとつの仕事に集中できず、途中で緊急性の高い仕事が横入りすれば、色々なものが一旦止まってしまいますし、それを再開することにも余計なエネルギーがかかってしまったりします。

 

 このように、世の中の物事を算数のように考えて倍にすれば倍にできるはずみたいなことを考えると、大きなトラブルを招いてしまったりします。

 

 つまり、算数の話は算数の上では正しいですが、世の中にあることにそのまま算数を適用していいかどうかというところに問題があります。人が仕事をどれぐらいこなせるかということを考えるなら、例えば、待ち行列理論などを使ってモデル化する方が実態に合う場合が多いでしょう。

 学問は多くの場合、理想的で抽象的ですが、現実は複雑かつ多様で具体的です。学問を用いて現実を考えるには、それをどのように解釈して抽象的なモデルに置き換えるかを考える必要があります。モデル化ができれば、それを使って計算したり、シミュレーションしたりすることができるようになります。それによってまだ起きていないことを予測することができます。上手いモデル化ができれば、計算した結果が現実と一致するので有用ですし、下手なモデル化は計算をどれだけちゃんとしても現実と一致する答えがでないため、計算しても意味がなく、徒労になります。

 

 例えば、待ち行列理論は、例えば役所の窓口業務みたいな、ある一定の確率で到着するお客さんを捌くのに、どれぐらいの窓口があればよいかとか、ひとつの窓口がどれぐらいの速度で人を捌ければいいかなどを検討する上で使える理論です。また、待ち行列理論は例えばパケット通信ネットワークを設計する上での基礎になっていて、どれだけの通信が小分けにしたデータ(パケット)として到着するとき、どれぐらいの性能の機器がどれぐらいあると速度が出せるかとか、処理能力が引くくて行列が伸びすぎてしまう場合にどう手を加えればトータルの通信を効率化できるかなどを考える上での手がかりになります。

 しかしながら、これは義務教育に含まれない内容なので、一般的に知られていることは期待できません。知っているのはそういう分野に進学して勉強をした人や、あるいは必要があって独学した人のしょう。あらゆる日本人に一般的に前提として期待できるのは義務教育の範囲内です。そうなると、仕事の現場では、算数がそぐわないばあいでも算数でモデル化されてしまったりもすることもあり得るわけです。こうなるとしんどい状況が発生します。

 

 つまり、実態にはそぐわない算数の考え方を使って、無茶な仕事の頼まれ方もしてしまうわけです。1個の仕事を1日で終わらせてみせると、じゃあ100日あれば100個できるね?みたいに頼まれると辛いですよね。

 実際はそんな簡単にできるとは限らないわけですよ。例えば、その1個の仕事をするのに1個の消費材が必要だったりするとします。最初の1個はたまたま手元に余ってたものを使ったので、すぐにできましたが、100個やるとなると100個の消費材を調達する必要が出てきます。そのときに、市場在庫が100個もなかったりすると実行することができません。あるいは、仕事をするのに特殊な機材が必要で、それを占有できる時間が限られているとか、様々な状況があり得ます。算数の上ではできることが、実際にはできないことも多々あるのです。でも、算数の上ではできるはずだろうと言われたりすることもあって、辛くなっちゃいますね。

 

 専門的なことをやっていてもそうですが、自分ががっつりやっている専門以外では、意外とみんな四則演算と大小比較ぐらいしかできなかったりします。もちろんちゃんと時間をかければできるでしょうが、プレゼン資料をいきなり見せられたときのとっさに数式を読み解いてまともなことを言える人はごく少数ではないでしょうか?

 なので、その場で意見を求められると、誰かが出してくれた数字を軽く四則演算して大小比較することで結論を出そうとしてしまったりします。これは僕の話でもあって、資料にいきなり難しそうな数式が出てくると、脳が自動的に読み飛ばしてしまったりします。

 そのせいで結局マトリクスに収まった表で星取や数字の大小比較をして、分かりやすく提示されてしまったりするわけです。それは、時間単位の理解力を人質にしているとも言えるかもしれません。その状態で結論を迫ったり迫られたりしてしまったりするということでもあるわけですよ。

 場に提示された情報が公平で公正であるなんて分かりもしないのに。算数の知識を使えば比較はでき、その道筋は限られているので結論は誘導されてしまいます。誰かが出してくれた数字を算数レベルの比較をするだけでやっていると、その数字を出した人の意図に乗るしかなくなってしまったりするわけです。

 そんな事業判断であれば、小学生でもできるかもって話になっちゃいますね。

 

 世の中は大体複雑で厄介なので、人間の頭ではあらゆる全体をそのまま理解することができません。それは当然の話で、一人の人間の頭も世の中の一部だからです。そこには何らかの方法による整理や単純化が生まれるのは仕方ない話でしょう。

 ただ、そこにどこまでの単純化をしてしまっていいかという話でもあって、それがあまりに単純過ぎると、実態を模倣することができずに誤った判断をしてしまうということもあるのではないでしょうか?

 なんかそういうことを仕事をしていてよく思ったりするわけです。