漫画皇国

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人間に対する好きと嫌いの手前にある密度関連

 人付き合いがあまり得意ではないので、あまり人付き合いをせずに生きてきたようなところがあります。でも、別に孤独というわけではなく、自分の能力で出来る範囲の人付き合いはしています。

 

 そんな感じに人付き合いが「疎」な感じで過ごしていると気づくことがあるんですが、「疎」であると人間が好きとか嫌いとかをあまり強く感じることがありません。なので、他人に対してすごく怒ったりとかをしないでいる時間が長くなり、もしかすると自分はとても穏やかな人間なのでは?という気持ちになったり、誰かをすごく好きであると直接表明することもあまりないので、自分は情がないのでは?などと思ったりもしてきます。

 でも、それはただ「疎」だからそう思うだけのことなんじゃないかと気づいて、これが「密」になってくると、そうは言ってられないような気もしています。人間関係が「密」になってしまうと、僕も他人が好きとか嫌いとかがすごく強く出てきてしまうような予感がするのです。僕はそれが怖い。

 

 毎日顔を突き合わせていると喧嘩ばかりしてしまう相手も、年に1回会うぐらいなら仲良くできるかもしれません。であるならば、その人を「嫌い」と認識するのではなく、「年に1回ぐらいなら仲良くできる人」と認識するという方法もあります。そう考えれば、その人と毎日会って喧嘩をするよりも、年に1回ぐらいしか会わないように距離感を調整するというようなやり方も思いつきます。仲良くやっていられる距離感を合わせれば、世の中から嫌いな人をなくすこともできるかもしれません。

 とはいえ、それが簡単にできない状況もあるでしょうが(実家で同居する親とか)(会社の上司とか)、それでも、その人とどれぐらいの頻度なら会っても問題ないかを考えるということは、自分が誰かを嫌いにならなくて済むためには重要なことだと思っています。

 

 誰かを嫌いになるのもエネルギーがいることですし、同じエネルギーがいることなら、嫌うことよりも、なんかもっと楽しいことに使いたいなと僕が思っているんですよ。いや、でも、嫌うことが楽しくてたまらないということもあるか…。

 

 僕が近年同居する家族を持たないとか、ご近所づきあいをしないとか、そもそも休日にめったに人と会わないというようなのは、意図的に自分と周囲を疎に保つためにやっていることで、そうすると気持ちを穏やかに保つのが容易になります。他人に対する強い感情が生まれないからです。そんな感じに基本的に人と疎でいて、でも徐々に少しは密になっても大丈夫な人を見つけて、おそるおそる会ってみたりしている結果が、僕が今抱えている人間関係です。

 人と自分の距離を適切に保つことこそが、自分が得意ではない人付き合いで疲弊しなくて済むことにおいて、とても重要なポイントだと思っているのでそれをとても気にしています。

 

 インターネット上でも、もちろんそうです。ブログを続けているのも、Twitterが続いているのも、Podcastを長年やっているのも、すべて人と疎なままでやって問題ないものだからです。ただ一方的に発信して終わりになるのがいいですね。近年は同人誌なども作るようになりましたが、それも実際に人と対面で会うのは一年のうちの何日かなので、それぐらいなら大丈夫です(頑張れ社交性)。

 ネットで相互フォローになっても、特に直接的に言葉は交わさないまま1年ぐらいはまず様子をみるみたいなところもありますし、今だに一言も交わしたことのない人の方が大半です。でも、その距離感が心地よいからやっているのでもあるんですよね。毎日言葉を直接交わし合うことが必須になったら疲れて続けられないかもしれません。

 双方向性が強く、人と日々密なコミュニケーションをとらなければならないものに参加した場合、どこかのタイミングで、いつの間にかそこにいなくなっていることも僕は多いように思います。それは別にその場所にいる人たちが嫌いと思ったわけじゃないんですよ。ただ、その距離感が僕が心地よく感じるものよりも近過ぎたように思ったので、自分とそことの適切な距離を調整しているだけの話です。

 ただ、そのままいたらもしかするとそのうち嫌いになってしまうのでは?という可能性を僕が感じたことで、距離感を遠目に調整してしまうこともあり、それを「怒っている」と思われてしまうこともありますね。でも、まだ怒ってはないんですよ。少なくともその時点では。ただ、もし自分が怒っちゃったら嫌だなと思ってしまって、だから距離を意識的に遠くしておくことでそうなるのを回避しようとしています。

 

 そういえば、近年はネットでバズっているものを何度も見るのは、僕の許容できる距離感的によくないなと思うことがあって、うわー、この人よくバズってるなあと思うだけでミュートやブロックをして視界から消してしまうこともあります。僕が望む望まないに関わらずバズりが目の前に出てくるのは、僕にコントロールできないことなので、それが嫌なんですよね。僕が望むよりも高い頻度で目にしてしまうと、その相手を既に強烈に好きとかでなければ、このままでは嫌いになってしまうかもしれない!という可能性を感じてしまいます。だから、嫌いにならないで済むために予防的にブロックしたりしているわけです。それもまたその人に対する悪意ではなく、まだ悪意未満な段階で手を打ちたいという話で、この感覚が伝わるか伝わらないか分からないですが、ともかく僕は近年そんな感じだなと思います。不用意に密になることを避けているのです。

 そのブロックしておいた相手が、何らかよくない行動をして炎上したということを小耳にはさんでは「よかった…あのまま見続けていたら、僕もきっとあの人を嫌いになってしまっていた可能性がある…」と思い、ほっと胸を撫でおろしたりすることもありました。

 

 まとめると、僕の心穏やかな生活は人間関係の疎密を上手く保つことによって確保されていて、人を不用意に好きになったり嫌いになったりし過ぎないように、そもそも距離を遠目にとって、接点を薄くぼんやりとさせておくというようなことが、気持ちがしんどくなることを予防するための効果的な対策なのかもなと思って、なんかそうしているという話です。