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メンタルへの二重の極みについて

 二重の極み(ふたえのきわみ)とは、「るろうに剣心」に登場する技で、拳を指の第三関節を曲げない状態で一撃を加え、そしてその後の刹那のタイミングで第三関節を曲げてもう一撃を加えるという技です。厳密に言えば、刹那の二連撃さえ満たせばいいので、やり方は問いません。

 この技は、最初の一撃が物質の抵抗と戦っている間に、もう一撃を加えることで、無抵抗な物質に完全に威力が伝達させることができ、その物質を破壊してしまうというすごい技なのです。原理に疑問がないでもないですが、実際漫画の中では物質が粉々に破壊されているため、実験実証されていることから効果を信じるしかありません。効果があるということは、原理の疑問を押し流すほどに強固なものなのです。

 さて、僕も中学生の頃に漫画の説明を読み、現実に二重の極みの殴り方を試してみたことがあります。しかし、これが難しい。一撃目が抵抗と戦っている刹那の二撃目というタイミングが全く掴めず、未だかつて一度も成功したことがありません。ただし、この二重の極みと同じ原理が成功するのを体感したことはあります。それは物理的なものではなく精神的なもの、フィジカルではなくメンタルに効く二重の極みです。

 

 仕事や生活をしていると、メンタルに負荷のかかるシチュエーションが存在し、場合によっては、そこで心が粉々に破壊されてしまうようなこともあります。しかしながら、そのきっかけの一撃が、必ずしも強い一撃であるとは限りません。他人からのほんの些細な一言で人間の心はボッキリと折れてしまったりもするのです。それがおそらく二重の極みのタイミングでしょう。

 人間が何らかの一撃目と戦っている瞬間に、そのタイミングを突いた軽い追加の一撃が人のメンタルに抵抗なしに伝達してしまい、破壊することがあります。

 

 僕の偏見ですが、人間はなんというか、大きな結果には大きな原因があるはずと思いたい生物なのではないかと思います。それはもしかすると物理現象に由来する物の見方ではないでしょうか?エネルギーは保存します。質量も保存します。一般的には無から有は生まれないと考えて問題ありません。小さな力で大きな結果を生み出すとき、物理の話であれば、それは実際には小さい力の無数の積み重ねであったり、あるいはその力以外の別の力を借りていたりします。総量の辻褄は合わなければならないのです。

 しかしながら、メンタルの世界はそうではありません。ゼロから無限が生まれますし、無限がゼロになることもあり得ます。誰かが嫌な思いをしたとき、その分、他の誰かが嬉しい思いをする…ということもあるにはあるでしょう。しかし、誰も嬉しくなくただただその場にいる全員が嫌な思いをすることだってあります。もちろん、その場にいる全員が嬉しくなっちゃったりすることもあります。メンタルの世界はゼロサムではないわけです。

 

 メンタルの世界においては保存則が成り立たないのだとすれば、小さな力で大きな結果を生み出すことができます。だとすれば、それはどのような状況でしょうか?二重の極みの原理で考えれば、それは、一撃目に相当する何かがその人の持つ抵抗の全てを使い切っているタイミングということでしょう。

 僕の仕事の経験で言えば、開発中のものについて何らかの仕様変更依頼を受け、その修正プランと各所へのスケジュール調整をやっと終えたタイミングで、「やっぱりこれも」と追加の変更を軽く言われて、再び変更プランの検討と各所の調整を全てやり直さなければならなくなったときなどが挙げられます。追加で言う当人からすれば、ほんの些細な変更でしょう?と思うかもしれませんが、どうにか調整をやりきったタイミングでそれを言われると、かなりの大ダメージです。

 実際このような依頼をされたとき、いつもは大体なんでも請け負う僕ですら、「やりたくないです!」と反射的に返事をしてしまいました。なぜならなんとか調整が終わったと思ったばかりのそれをまたやりたくなかったからです(ちなみに、色々悶着があったと結局やりましたが)。

 

 何かをやりきったと思った瞬間に追撃をかけるのは非常に効果的な二重の極みだと思います。他にも僕の経験を挙げるなら、昨年度のことがあります。色々なしがらみで、3月末までにやるはずだった仕事を、無理矢理1月末で終わらせたということがあり、大変しんどい思いをしました。これが一撃目です。年度の目標を早々と全部達成したので、それをいいことに2月3月は休みまくりでだらだら過ごそうと思っていたんですけど、昨今の人手不足の中、手が空いている人がいるぞ!!ということで、新しく立ち上げないといけなかったプロジェクトの主幹に急に割り当てられてしまい、結果的に2月3月はめちゃくちゃ激務となってしまいました。これが二撃目になりました。これが最近僕が受けた二重の極みで、あの時はだいぶ心が折れてしまいました。

 おかげで利用可能だった有給休暇を使うタイミングもなくなり、最終的に35日余ったことで、ブルゾンちえみのモノマネで「35日」と言いながら上層部に文句を言ったのを覚えています。一応休暇は年度を越えて繰り越せる制度なんですけど、日数制限があるので、かなりの休暇が消失してしまいましたね(その代わりに夏の賞与をすんごいもらったので許してはいます)。

 

 もう少し一般的な話にするならば、例えば想像してみてください。マンションの上層階から一階まで下りてゴミ出しをしに行ってきたあと、部屋に戻ると「あ、忘れてたからこれも」ともう一つのゴミ袋を渡されることを。一階までまた出しに行くのはそこまで大変なことではないですよ。でも、終わったと思って帰ってきたタイミングでそれを言われると、すごくしんどくなるじゃないですか。

 でも一方、言う側からすれば大したことじゃないよねという気持ちもあるでしょう。それで言われた人が傷ついたとして、そんなささいなことで傷つかなくてもと思う気持ちも分かります。でも、タイミングなんですよ。それが二重の極みでさえなければ、そんなに傷つかなかったのになということもあるじゃないですか。

 

 これは、自分が他人に言葉を投げかけるとき、相手が一撃目に抵抗しているかどうかを見極めないと大惨事になってしまうという戒めであり、あるいは、自分も変なタイミングで二撃目を受けてしまうと意外と脆いぞというような認識が必要ではないかということです。

 どんな状態でも一撃はあり得ます。人生が順風満帆で、あらゆることが上手く行っていて、大変幸福と思える状態だったとしても、まだしばらく駅に止まらない電車の中で急にお腹が痛くなってしまうだけで、自分は世界で一番不幸な人間なんじゃないか??思ってしまうような生き物が人間じゃないですか。そこでさらに追撃を食らうと、大変みじめな思いをしてしまったりするでしょう。誰にだっていつだって起こり得ることです。

 

 逆説的に言えば、メンタルにダメージを負いにくくなる方法もあるということです。それは、「極み外し」と呼ばれています。これはるろうに剣心の作中で二重の極みの使い手同士の戦いで使われていたもので、一撃目と二撃目の刹那の拍子のタイミングが破壊力を生み出すのならば、そのタイミングをずらしてやるだけで、耐えられる攻撃に変化します(結局痛いのは痛い)。

 そのずらし方は実際やってみると色々あって、一撃目を受けているときには、意図的に二撃目が当たらない場所に逃げておくとか、二撃目を受けても、とりあえず耳の右から左に流しておいて、ちゃんと受け止めるのは後にするとか、そもそも一撃目で抵抗を使い切らないように立ち回るとか、やりようはあります。

 メンタルが無抵抗で破壊されてしまうのは避けなければなりませんから、どうにか極み外しによって抵抗力を発揮して対策を打たなければなりません。

 

 僕は割とそういうのが得意なので、色々無茶な要求をされても、のらりくらりとタイミングを外しつつ、致命傷にならないように立ち回っているのですが、いつ何時、それすらできないタイミングで一撃を食らわされることになるかということも危惧しています。それは容易に抵抗できるものではないわけですよ。なぜなら、抵抗できるエネルギーを別で使ってしまったタイミングで来るからです。

 そして、ほんの些細なことで強く傷ついたり、怒ってしまうような他の誰かにも、それがその人にとってたまたま二重の極みのタイミングだったのかもしれないという想像もあります。たまたまであっても、何らかの意図的な悪意であっても、そういうタイミングで一撃を受けてしまうと、人間はとても脆いと思っておくのがよいのかもしれません。それは避けた方がいいですけど、それを狙ってくる人もいるので困ったものですね。

 

 ちなみに、今現在も僕はお仕事上の色々と無茶な要求を受けて続けているわけですけど、とりあえず極み外しでもするかと、ご飯を食べに外に出てきたタイミングでこの文章はなんとなく書かれています。なんとか上手く立ち回ることで、無抵抗な状態でダメージを受けたりしないよう心を守っていきたいですね。