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死んだイヌはイヌじゃない、イヌの形をした肉関連

 「死んだイヌはイヌじゃない、イヌの形をした肉だ」というのは、「寄生獣」の主人公である泉新一くんの言葉です。

 謎の寄生生物にその右腕を喰われてしまった新一くんは、その後、自分の右腕を模したその寄生生物、ミギーとの奇妙な同居生活を始めることになります。そんな同居生活を始めてからしばらくして、新一くんは、ある不幸な事件から命を落としかけます。ミギーによる命をかけた救護行為により、新一くんの命はどうにか繋ぎとめられるものの、その代償として、新一くんは寄生生物の細胞とより深い融合を果たしてしまうのでした。その出来事をきっかけとして新一くんは変わります。弱々しかったその姿は、寄生生物由来の運動能力の獲得も相まって、より強いものに変化していくのです。

 

 「死んだイヌはイヌじゃない、イヌの形をした肉だ」という台詞は、そんな新一くんの変化を象徴するような言葉です。交通事故で死につつある子犬の最期を看取る優しい姿を見せながらも、息絶えた直後のその子犬を、なんとゴミ箱に捨ててしまうのです。ガールフレンドの村野はそんな新一くんの様子を見て、とても驚いてしまいます。なぜなら、ついさっきまで、か細くとも生きていた命あった存在を、その命の炎が消えた瞬間に、もう物と同じように扱ってしまったからです。その切り替えの速さが理解できないからです。。

 人間的な感傷を持たず、合理的に行動するその姿はある種の強さと言えるかもしれません。しかし、それは多くの人間が持ち得ない、異様な強さです。そんな自分の行為を咎められた新一くんは、理由が分からずきょとんとしてしまいます。しかし、その後思い直し、犬の死体を木の根元に埋め直したのでした。

 

 この台詞は、とてもインパクトが強く、新一くんの異様な変化を表す重要なものです。しかしながら、新一くんはなぜそんなことを言ってしまったのでしょうか?寄生生物の細胞との融合や、長く続く寄生生物との同居生活、あるいは、寄生生物と神経レベルで繋がっているという影響もあるかもしれません。その結果、新一くんは人間でありながら、人間ではない別の存在になってしまったようにも思えます。

 ただ、僕はこの物語を読んでいて別の解釈もできるのでは?と思い至ったので、今回はその話を書きます。

 

 注目すべきは、新一くんがこの変化に至る前にどのような経験をしたかということでしょう。新一くんの母親は、不幸なことに旅先で、ある寄生生物に襲われ、殺されて頭を乗っ取られてしまいました。自宅に帰ってきたのは、母親と同じ顔をした寄生生物です。そして、その寄生生物に新一くんは殺されかけてしまいます。

 前述のように新一くんの命はからがらミギーに助けられました。生き延びた新一くんがすることは、残された父親を寄生生物の手(頭?)から守ること。そして、母を殺したその寄生生物への復讐です。ひょんなことから人間離れした運動能力を獲得してしまった新一くんは、母親の姿をした寄生生物と戦うことになります。

 寄生生物は、ゴムのように伸縮しながらも、鋼鉄のように硬くなることもできるような生物です。その肉体は、ちぎれても融合すればまた元通り、一見弱点は無いように思えます。そう、確かに寄生生物の細胞自体には分かりやすい弱点はないのです。あるのは、それ以外の部分、つまり、首から下の人間から奪った体の部分です。

 

 寄生生物は人間の内臓を利用して生きています。そこから得たエネルギーなしでは、単独で生存することができません。高度な知能を有する田村玲子という寄生生物は、自分たちを評してこう言いました。「我々はか弱い」。寄生生物は人間の肉体なしでは生きられません。つまり、寄生生物を倒すには、人間の肉体を破壊しさえすればいいのです。

 そして、新一くんの目の前にある憎い敵の弱点は、人間の肉体の部分であり、つまりは、彼の母親の肉体です。

 

 新一くんの母親は既に死んでいます。なぜなら、首を斬り落とされ、寄生生物に乗っ取られてしまったのですから。目の前にいる存在は、どんなに上手く母親の顔を擬態し、見た目が似ていたとしても別の存在です。それは戦う形態となった寄生生物のグロテスクな見た目によって、よりいっそう明らかになります。

 ただ、その肉体はどうでしょうか?それは母親の肉体なのです。頭はなくとも、体の細胞は生きています。それは頭を除けば、生きていた頃の母親と全く同じです。内臓は食べ物を消化し、心臓は動いて栄養を含んだ血液を体の隅々に送り届けます。その一部は寄生生物が消費しているかもしれません。でも、その手も、足も、頭を除く全身の全ての細胞はまだ生きているのです。

 

 新一くんの母親の腕にはやけどの跡があります。それは子供の頃の新一くんを助けようとしてできた傷跡です。母親は死んだかもしれません。じゃあ、その時、新一くんの目の前にあったそれは何なのでしょうか?その腕に刻まれた傷跡は、何を物語るのでしょうか?

 

 それは母親ではなく、母親の形をした肉なのでしょうか?

 

 結局、新一くんにはその肉体を破壊することができませんでした。内臓を破壊すれば勝てることが分かっているのに、そこを避けて、首と胴体を切り離すことにこだわります。そして、遂に止めを刺せるというタイミングで、目の前に掲げられた傷跡のくっきり刻まれた腕に、新一くんの目は留まってしまうのです。そして、その戦意を喪失してしまうのです。

 結局、新一くんに代わり止めを刺してくれたのは、宇田さんでした。宇田さんは、寄生生物にアゴに寄生されてしまった、新一くんと似た境遇の可哀想な男です。そんな宇田さんは言います。こいつは新一くんの母親ではないけれども、それでも、新一くんがやっちゃいけない気がすると。

 

 新一くんの変化が目に見えて現れるのはこの出来事の後のことです。死んだイヌを、イヌの形をした肉と言い放った新一くんは、果たして非人間的でしょうか?母親の形をした肉を、それがもう母親ではないと分かっているのに傷つけることができなかった新一くんの心が、果たして非人間的だったと言えるのでしょうか?それは実は、むしろあまりにも人間的な行為なのではないでしょうか?

 

 新一くんは母親の復讐のために、まだ血が通い生きている母親の肉体を、自分の手で殺さなければならないという状況に追い込まれました。それを乗り越えなければならなかったわけですよ。確かに、実際に止めを刺したのは宇田さんです。でも、新一くんは自分が殺したと思っていたのでしょう。なぜならば、思い悩む新一くんにある占い師が言った、その胸の穴を塞ぐためには、それをあけた相手にもう一度会わなければならないという言葉に対して、新一くんは「その相手ならもう殺したよ」と答えたのですから。

 そう考えれば、新一くんが殺したのは母親ではない方がよいのです。あれは母親の形をした肉でしかないのです。そう思うしかないでしょう。新一くんが手にかけたのが母親であっては辛いじゃないですか。あのとき、そう思い切れず、その肉を破壊できなかった自分を乗り越えなければ、前に進めないのではないでしょうか?

 そう考えるべきなのだとすれば、死んだイヌはなんでしょうか?それはもう、イヌの形をした肉でしかないのではないでしょうか?

 

 このように考えれば、新一くんのこの台詞は、母親の死というものを乗り越える過程における、心情の混乱と捉えることもできます。それは、胸の穴とも言えるかもしれません。強くなったように見えたのは、実は弱く傷ついた心を守る為のものであったのかもしれません。非人間的と思えたのは、むしろとても人間的な反応であったのかもしれません。

 もちろん、これはただの解釈のひとつです。正しい読み取り方ではないかもしれません。

 

 というような話を、数年前に僕が喋っていた録音データがあったのですが、最近聞き返してみて、僕自身そのときにこういうことを思ったことを完全に忘れていたので、僕が喋っているのに、僕が知らないことを喋っている!と思ってびっくりしてしまいました。

mgkkk.cocolog-nifty.com

 僕は喋るそばから思ったことを忘れていくので、録音データが残っていたり、こうやって文字にして残しておくと役に立つっぽいなと思った次第です。