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暁美ほむらさんがしんどい話

 昨日、AbemaTVでやってたので「魔法少女まどか☆マギカ[新編]叛逆の物語」を観ました。劇場でも1回見たので2回目です。ちなみに、僕はまどかマギカ本編は放送では見ておらず、映画版の前後編を観ただけなので、もしかしたら、色々読み取るべきものを取りこぼしている可能性もありそうな感じです。

 

 暁美ほむらさんの様子がとにかくしんどい映画だと思いながら観ていました。

 

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 この物語の本編は、願いを叶えるために魔法少女になるという取引をしてしまった少女たちのお話で、魔法少女は魔女と戦い続けなければなりません。そして魔女とは実は魔法少女の成れの果てであるのです。つまり、この仕組みに取り込まれてしまった少女たちからは明るい未来が奪われてしまいます。

 魔女と戦い、魔女を倒し、そして自らも魔女になる。美味い話はないわけです。取引には代価が必要です。それらはきっちり請求され、回収されてしまいます。彼女たちを魔法少女に誘った存在の目的は、彼女たちの持った希望が絶望に変化して魔女に堕ちる際に生まれるエネルギーを回収することにあるのです。この物語は、うっかり願いを叶えてしまったばっかりに、返せるあてなどない膨れ上がる借金をしてしまったような少女たちのお話です。そして、彼女たちが救われるお話です。

 その救いの担い手は物語の主人公こと、鹿目まどかさんです。まどかさんは、友達の暁美ほむらさんの頑張りによって、知らぬ間に史上最強の借金女王とされてしまった哀れな少女です。鹿目まどかさんは、その膨れ上がった因果という名の借金により、史上最強の力を持てることになった少女です。そして、まどかさんはその存在の全て代価とすることで、かつて存在し、これからも生まれうる魔法少女たちに対する、徳政令を発動しました。その結果、鹿目まどかさんの存在はなかったことになりますが、その代わりに、悲しみの沼に肩までどっぷりつかった魔法少女という存在を、過去からも未来からも引き上げることに成功するのです。

 

 さて一方、時間を操る能力を持った暁美ほむらさんは、自分を助けてくれたたった一人の友達、鹿目まどかさんを救うため、何度も何度も時間を遡り続けたりしていました。彼女の望みは、自分のたった一人の友達を救うことです。そして、その行為は、幾重にも渡る因果の糸をまどかさんに重ねることを意味し、皮肉なことに、まどかさんを因果律特異点としてより絶望的な立場に追い込んでしまったのです。

 僕が思うに、望めば望むほどに、手に入れたいものが遠ざかるという状態は、この世で最も悲しい光景のひとつです。ほむらさんはそんな立場の少女です。しかしながら、だからといって、もはやそれをやめるわけにはいかないのです。諦めればそこがまどかさんに対する最悪の結末であって、それを回避するためには、次こそは次こそはと、繰り返し続けなければならず、そして、それがより事態を深刻な状態へと進めてしまいます。とても、恐ろしく悲しい状況です。止まることが許されないのに、止まらないことが事態の悪化を加速させているのです。まるで、負けを取り返すために賭け金を倍プッシュでギャンブルを続けている人のようではないですか。そんな暁美ほむらさんの歩みはとても悲しく、地獄へと続くワインディングロードです。

 

 そして結局、鹿目まどかさんはその特異点たる巨大な力を、自分以外の全ての魔法少女を救済するために使いました。つまり結局、暁美ほむらさんの願いは何一つ叶ってはいないのです。ほむらさんが助けたかったまどかさんは、その存在自体が消失し、あらゆる人の記憶の中からも消失してしまいます。救うことはできなかったのです。まどかさんの行為は沢山の人を救いました。そしてそれは同時に、暁美ほむらさんの願いを裏切る行為でもありました。

 

 叛逆の物語は、本編でそんな無力でも足掻き続け、その行為が結果的にたった一人の友達を傷つけることでしかなく、それによって自分自身も傷つき続けた暁美ほむらさんによる逆転の一手のお話です。

 本編において過去の秩序を否定し、新たな秩序として、全ての魔法少女の救済にその身を投げ出したまどかさんを、ほむらさんはたった一人の欲望のために、引きずり出し切り離すことに成功します。何度も繰り返し、何度も失敗し、遂には取り返しがつかなくなったはずの失敗を、力技でもぎ取り、勝ち取り、取り返した物語です。

 

 それなのに、それは暁美ほむらさんにとって遂に勝ち取った成功なのに、なぜ彼女は幸福そうに見えないのでしょうか?

 

 僕が思うに、幸福というのは「今の状態に満足すること」です。そこが仮に地獄の底であったとしても今に満足さえしてしまえばそこは幸福な場所です。仮に天国にいたとしてもその状態に満足していなければ、不幸であり、地獄と何ら変わらないのではないでしょうか?

 暁美ほむらさんが幸福でないのだとしたら、不満があるはずです。それはおそらく、彼女の果たしたことが、彼女にとって真の目的ではなく、妥協だったからなのではないでしょうか?

 

 彼女が願ったことは鹿目まどかさんの幸福で、そのためには自分はどんなことをしてもかまわないというのが暁美ほむらさんの振る舞う態度です。自己犠牲です。鹿目まどかさんが他の全ての魔法少女に対してそうしたように、ほむらさんはまどかさんのためだけにそうしました。中島みゆきも「空と君のあいだに」で「君が笑ってくれるなら、僕は悪にでもなる」と歌いました。それは尊くも悲しい決断です。しかしながら、それが唯一、まどかさんを解放するためにほむらさんがとれた手段であることは間違いありません。

 でも、本当にそれでよかったんですかね?僕の心の中の「賭博破戒録カイジ」に登場した班長が、「へただなあ、ほむらさん、へたっぴさ!欲望の解放の仕方がへたっぴ!」と囁きかけます。

 

 僕の勝手な想像ですけど、ほむらさんは、自分からまどかさんへの「愛」を示す行為で自分を納得させようとしていますけど、本当はまどかさんから自分へのなんらかの気持ちが欲しいんじゃないでしょうか?

 それをストレートに望むことができるほど、無神経でいることができないのが厄介な話で。ほむらさんの行動には、いくつかの目的があると思うわけですよ。自分がまどかさんにしでかしてしまったことへの罪悪感の解消だとか、まどかさん自身の幸福だとか、それらを考えた上で、また、望んだのに望んだものが手に入らない怖さもあるかもしれません。だからこそ、自分が本来望んでいるはずの、一番の友達としてまどかさんに自分のことを見てほしいというような気持ちを押し殺し、気づかないふりをしようとしているような感じがするんですよね。

 自分の望みをあるがままに表現することを恐れていて、だからこそ、心の底にある本当の望みを上手く表現できないでいて、だから、お話の最後にまどかさんに問いかけたことも、勝手に自己完結して、勝手に納得や決心をしてしまう。

 望めば望むほど、それが遠のくのは悲しいことだと言いましたが、その事態を恐れて、望むということにすら怯えてしまうのは、その次ぐらいに悲しいことです。

 

 新編の終わりにおいて、暁美ほむらさんは、目的は達したのに救われていないなと思いました。本編での鹿目まどかさんの行為が、そのあらゆる人に対する無償で自己犠牲的な愛の行為が、暁美ほむらさんだけは救うことができなかったのです。そして、暁美ほむらさんは新編でそれを暴力的なまでに拒絶までしたのに、まだ救われていないように思います。

 誰しもに救われる結末が用意されているとは思いませんが、YOUもそろそろ救われちゃいなよと思いながら、ピンと張りつめた糸のように生き続けている、しんどくて悲しく、必死だからこそ孤立してしまうような暁美ほむらさんの姿を、また見てしまったなあと思いました。ああしんどい。