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物やサービスの適正価格関連、雑多な話

 物やサービスの価格を提示されたとき、それを高いと思ってしまったり安いと思ってしまったりすることがあります。それは多くの場合、「このあたりのものは大体これぐらいの価格だろう」という事前の認識を持ち合わせていて、それと比較して高いとか安いとか言っているのだと思います。

 

 どのような事前の認識はを持つかは、それを感じる主体がどのような環境にいるかによって大きく異なるでしょう。例えば、日本の感覚で東アジアの国々を訪問したとき、その差を感じてしまうのではないでしょうか?例えば、意外と物価が安くないこと、そしてインフラがやけに安いと感じることなどです。

 僕が米国と欧州、中国韓国台湾あたりを散策した印象では、世界的に同じようなものは、同じような値段で売られています。例えば日本で売ってるiPhoneが、中国であれば半額というようなことはありません。あるとしたら、iPhoneのガワを被せた別の何かでしょう。税金の兼ね合いがあるので、欧州などなら、日本で買う方が安いことも沢山あります。

 一方、インフラの価格は意外と土地によって違います。ここでいうインフラとは、例えば電車の料金ですが、このような公共的な側面を持つインフラはその土地に住む大半の人々が利用するものです。つまり、貧富の格差がある場合、貧の側に合わせて価格が決定されるはずです。でなければ、裕福な人しか利用することができず、インフラとしての側面を果たすことができないからです。そのような観点で見れば、日本の電車の料金は他国と比較して高いことが多く、そこに住む人々が比較的裕福な状態(日本全体の収入が右肩上がりに向上した時代の名残)で価格が設定されたのかもしれないと思います。

 ただ、理由は他にも探すことができて、例えばスイスのジュネーブで乗った路面電車では切符をチェックする仕組みがありませんでした。切符は販売しているものの、それをチェックする機械もなければ人もいないのです。ちなみに僕は訪問者だったので、滞在中は無料で乗りまわせるというチケットをホテルで貰った覚えがあります。この仕組みは基本的にそれでも不正をする人が少数であることを前提に構築されているものだと思っていて、たまにあるチェックで無賃乗車が見つかると高い罰金を払わされることで成り立っているそうです。

 このような仕組みで運用される場合、切符をチェックする機械も常駐する人も、それを維持するコストも不要ですから、サービスを低コストで維持することが可能になります。それも一つの方法です。ただ、日本的なやり方で言えば、不正をできるだけ許さず、それを防ぐことに十分なコストを支払うことが適切だという考えになりがちな印象があります。

 余談ですが、僕のジュネーブ滞在時には、路面電車の中にアコーディオンを持った人が演奏をしながら乗ってきて、おひねりを要求しながら練り歩き、去っていくということがありました。おそらくあの人たちは切符を買ってはいなかったでしょう。無料でも乗れるとなると、そういう人も出てきます。

 

 電力インフラなどでもそのような側面があって、以前災害によって電力が途絶した場合にいかに復旧すべきか?電力の途絶は人命にかかわるというような話を東南アジアの方面の人としていたときに、向こうの方では電力の供給が途絶して数日復旧しないというようなことが割とあることなので、なんで一瞬でも切れることが許されないのかがちっとも分からないというような反応がありました。

 このように最悪数日間の途絶を許容するだけで、送電のための冗長経路の確保や、復旧用の人材を待機させておく費用、無駄のないスケジューリングなどにかかる大きなコストを削減することができます。その代わり、電気がこないことによる被害だっておきるかもしれません。どの程度のサービス品質を保ち、それにどの程度の費用を払うかということに対する認識は、環境によって様々です。

 

 そういえば、以前京都の水道局で「社会に節水が普及することによる需要減に伴い値上げをする」というリリースが出たことがあって、それに対して「意味が分からない」という反応があったのを目にしました。

 設備を長期にわたって維持管理し、故障が起これば修繕し、耐用年数を迎える前に更改するということには当然ですが一定の費用がかかります。つまり、そのようなインフラ設備を持つ以上、最低限必要な費用というものがあって、それを今まではより多く使っている人からとることで賄っていましたが、そうはできないぐらいに需要が抑えられる世の中になったということでしょう。なので、利用者からすれば意味が分からないかもしれませんが、理屈は通っているので、仕方ないことだと思います。

 その維持管理コストを低減することもできるでしょうが、サービス品質を落とさずにそれを実現することは困難なことです。故障により、水道がしばらく使えなくなることを許容することや、配管の老朽化による事故などを許容するならば、ぐっと下げることもできるかもしれません。

 

 反面、「日本が他国より安い」というイメージで言えば外食です。少なくとも僕が行った範囲で日本は700円ぐらいで食べられる外食の豊富さと品質については、世界有数だと思っていて、諸外国では同じようなものを食べようとするとチップも含めて平気で2000円や3000円ぐらいかかる印象があります。僕が上手くお店を見つけられなかった可能性もありますが、1000円以下のファーストフードと、3000円ぐらいのレストランというような2択になりがちで(中国ならさらにぐっと安い屋台などもありますが)、日本の安さが、何によって支えられているのか不思議なぐらいです(とぼけて書きましたが、人間の過重労働がその一因のように思いますが。チップもないですし)。

 

 ここまでで言いたかったことは、何を適正価格と感じるかは環境によってそれぞれ異なるものであって、また、安いものには安いだけの、「高い物にはある何かを省いた」という理由がある場合が多いということです。

 

 コンテンツの世界では、値下げが横行しているように思います。アニメやゲームがそうですが、漫画でも近年そうなりつつあります。そのきっかけのひとつは電子化でしょう。電子書籍は、物理媒体を介さないため、増刷の費用が掛からないし、その時間もかかりません。そして、在庫を抱えるリスクがとても低いという特徴があります。

 つまり、物理的な本にあった諸々の制約が取り払われたとき、キャンペーンとして大幅な値引きや無料で配ることが容易になったということです。既に紙で新品の本を買うのと比較して(もう既に紙では新品が流通していないものも多くありますが)、タイミングさえ合えば大幅に安い価格でそれらを入手できる状況となっています。現状、物理的な本という比較対象が存在しているため、電子本の価格の妥当性はそれとの比較によって可能かもしれませんが、もし、電子版のみであったとき、自分はどの程度の価格をそれに払うのが適正と考えるだろうか?ということに思い至ります。

 

 「○○に払えるお金」というものの適正さは、基本的に前述の「常識」と、あるいは「比較」によって判断されがちなものではないでしょうか?つまり、異なる常識を元に価格設定されたものを見れば、「ぼったくり価格」とか「不当に安い」とか思いがちということ、そして、比較として「○○に××円払うのと、△△に××円払う方のではどちらが得か?」と考えることでも同様のことが起こり得ます。

 自分の中に何らかの適正な価格と思っている数字を見出したとき、それがどのような理路で導き出されているものなのかを考えてみるのもよいかもしれません。漫画の単行本の場合、1冊が少年誌で500円前後、青年誌で700円前後、判型の大きなもので1000円前後というものが多少のばらつきはあるにせよ一般的な感覚でしょう。実際の本もこの辺りに価格設定されているものが大半です。

 

 ここで気になるのは判型が大きいと価格が高くても妥当に感じるという僕の感覚です。少年誌と青年誌で価格設定が違うというのは、おそらく顧客層の違いと連動していると推測していて、少年誌の場合購買層に子供が多いため、より入手しやすい価格に設定する必要があります。一方、青年誌ではより購買力のある大人を対象としているため、高めに設定しても大丈夫なはずです。しかしながら、同じ判型で同じようなページ数であった場合、買う側にその価格差に納得できる理由が見つけられるでしょうか?そこを埋める方法が、本を一回り大きくする方法なんじゃないかと思っています。

 その、より分かりやすい例が、四コマ漫画誌の単行本が主に大きな判型(A5版)で売られているということです。四コマ漫画はその性質上ページ数を稼ぎにくく、その割にエピソードが詰め込まれやすいので、単行本化するならば、一般的なストーリー漫画よりもページ数が薄くなりがちだと思います。つまり、漫画の性質上、薄くて(ページ数が稼ぎにくい)高い(出せる頻度が低いの採算分岐点を低くしたい)ということにならざるを得ないということです。

 これを少年誌の漫画と比較して倍の値段で売る妥当性を見出すためには、本を大きくするということが有効なのではないかと思いました。そうすれば体積が大きくなるからです。なんと、自分は本の内容は関係なく、体積の大小によって価格の妥当性を見出しているのではないか?ということに思い至りました(もちろんこれだけが理由ではないと思います)。

 

 これは質量の側面による比較ですが、電子版の場合、その差が読者の使う端末に依存するため、そのような比較ができません。しかも最近では、紙で1冊だった単行本を電子では複数冊に分け、1冊あたりを安くして分売するという試みも見られます。これまであった、価格の妥当性は、今後紙媒体が衰退してしまった場合、より曖昧になり、曖昧になると多くの場合は価格が低い方が妥当と思う人が増えてしまうのではないでしょうか?

 実際、紙では絶版になった本が電子書籍で廉売されているケースも散見されますし、広告を付けて無料で読めるようにする試みや、読み放題サービスに取り込まれるということも起こっています。この状況は、これまで各々が漫画に持っていた「適正価格」を変化させる可能性があるのではないかと思います。

 

 価格は安い方が絶対いいとか、高い方が絶対いいとかいうものではなく、状況によってケースバイケースだと思いますが、その市場を維持するために最低限必要な額を稼げなければいけないので、あまりに安くなると分野が衰退してしまうということはあると思います。

 ただ、その際に「安くて当たり前」と思ってしまう人が悪いわけではないと思うんですよ。それはそういう環境に生きていて、培われた適正価格の妥当性が、そのようになっているというだけで、それは僕らが700円のちゃんとした定食が食べれるのが当たり前と思っている状況が、世界的に見れば不当廉売のように見えたとしても、それは当たり前じゃないかと思うようなものです。そういう環境にいれば、そういう風に思うのは、個人の意思とはあまり関係ない部分で知らず知らずのうちに食い込んでいるものです。

 例えば「日々最新の情報に更新される地図アプリを無料で使えている」という状況を異常には感じないでしょうか?それは、本来無料では維持できないものが何故か無料で提供されているという辻褄が合わない状況です。

 それを提供している会社は、別に収入源があるために利用者には無料で提供できるのであって、それはとても便利なことですが、その市場には別に収入源のない会社はもはや食い込むことができなくなります。なぜなら、「地図アプリは無料が適正価格であり、有料で提供するのはぼったくり」と思ってしまう感覚が根付いているからです。

 

 このような、「人々が考える適正価格」と「それを維持するために必要なコスト」にどうしても乖離がある現象は、色んな分野に存在します。ある製品やサービスを届けるには当然一定のコストがかかりますが、それを妥当と思ってくれる人々がお客さんでない場合、見かけ上の価格を下げる必要があります。

 それはゲームで言えばアイテム課金と呼ばれたり、ガチャであったりするかもしれません。あるいは、本であれば、売れている本がはじき出している売り上げが、売れていない本の赤字分を補てんしていたりもします。

 コストで考えれば、売れる本は売れるために安く価格設定することが可能で、売れない本は高く設定しなければならないはずです。そうでなければ採算が合わないからです。でも、こと漫画に置いては、基本的に同じ価格帯で販売されています。それは、ある種の価格統制ですが、売れるものが売れるゆえにより売れて、売れないものが売れないゆえにより売れないという、市場の一極集中を防ぐ効果もあると思います。それは、多様性を担保するために有効に機能しているのではないでしょうか。でなければ、売れるか売れないかの予測がつきづらい新人の単行本を出すことはできなくなります。

 実際問題として、この容易ではない状況にもはや負けてきている側面があると思っていて、近年では、ネットである程度人々の注目を集めることが認知されたものを優先的に単行本化しようとする動きも見られますし、動きが悪い単行本を早めに損切りしてしまったり、過去の実績を参照されて売れない単行本は売ってもらえないこともあるようです。

 完全に世知辛い感じですが、なるべくしてなっているのであって、その動きに自分が荷担していないと言い切ることができないため、吹く風の流れに自分が介入できないように、ただただ眺めているような状況です。

 

 物が安いことが当たり前になり過ぎることで、買っている側は嬉しいようでして、もうこれ以上生活の中で読めない漫画や遊べないゲームが山のようにあり、そして、それらが十分な利益が生み出せない場合があることで、十分な生活費が稼げない人も多くいるような状況を目にします。

 価格が高くなれば、それが改善するかと言えば、それも言い切れません。収入が高くなる可能性がある(少なくとも物の価格が下がり続ける状況のままでは所得が高くなる可能性がとても低い)としても、結局物やサービスの価格も高くなるのでは、生活の余裕は生まれないかもしれないからです。世の中は循環しているので、何かを変えてもそれに連動して別の何かも変わってしまいます。

 なので、僕はこうすれば良くなるという正しい解を持ち合わせてはいないのですが、昨今どんどん物を作っている人の厳しい採算の話が流れてきていて、それでいて、手間暇をかけて作られたものの多くが、溢れる情報の中で、その内容の良し悪し以前にさほど注目されぬままに流され過ぎ去ってしまうというような状況を見てはいます。なんかこのしんどい状態はずっと続くものなのだろうか?と思ったりします。

 

 だらだら書いていたら長くなったのでそろそろ終わりにしますが、最後に、最近コミックビームが提供する月額1980円のサービスに加入しました。さて、この価格は皆さん妥当と感じるでしょうか?僕はそれぐらいの元はとれると思ったので加入しましたが、知人と話をする感じでは、多くの人は高いと感じるそうです。

 サービスの内容としてはコミックビームの電子版(500円相当)と、毎月ある編集部の開催する生放送や漫画家の動画、過去作からピックアップした単行本読み放題、そして、当月に出たの新刊の期間限定の読み放題という感じです。僕はそもそも毎月雑誌を買っていたのでそれが500円ぶんあり、あと1480円の元をとればいい話ですが、生放送で500円、動画で200円、残りの単行本読み放題で780円ぐらいの感覚で捉えています(漫画喫茶に数時間行く場合との比較)。ただ、フルで楽しんでようやく元が取れるという印象なので、そもそも結構読んでいた人なら元がとれるという感じの価格設定で、そうではない他の人にお得だから是非とも加入したまえとまでは思いません。

 加入した最後の一押しは、コミックビームという雑誌が好きだからです。他の雑誌なら載らなかっただろうと思う連載が沢山あったので、なくなって欲しくないと思っているよという意思表明です。ただ、たかだか月額1980円ぽっちでは、収益的には何の支えにもならないでしょうから、なくなるとすればなくなるのでしょう。この事例だけでなく、そういうのはもはやどうしようもないなあと思っています。

 

 それはおそらくある漫画やゲームやアニメなんかが、存在し続けることに必要な最低限の価格と、その享受者であるところの僕たちの持つ適正価格感が折り合わなくなったということなのでしょう。僕は誰かが悪いとかは思いませんが、そうなったとしたら、なくなるものはなくなりますし、それは仕方ないと思います。そして、もし何らかの理由でそうならなければ、続いてくれるのでしょう。