漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

「エアマスター」を読むと元気が出る話

 なんか嫌なことがあったり、やる気がでないときに「エアマスター」を読み返すことがあるんですが、なぜかというと、僕はエアマスターを読むと元気になる体質だからです。エアマスターという漫画は人間の感情がパツパツに入った風船みたいなものです。触れるとはじけて、全身に感情を浴びてしまいます。僕自身のちっぽけな感情は、弾けて出てきた感情の奔流に流され、全てが些事のように思えてきます。読むことで、湧き出るようなどこに向かっていいやら分からない感情が頭の中で大暴れです。

 

 好きなエピソードは沢山にあるので、全部を書くのは面倒ですが、元気を出したいときに読むのは深道(兄)と渺茫との戦いが多いです。深道に(兄)とつくのは(弟)もいるからです。弟はこれから書く話には特に関係ないので、未読の人は無視していいです。

 エアマスターストリートファイターの相川摩季(通称エアマスター)がストリートファイトをする漫画なのですが、大きく分けると3部構成で、最初がストリートファイターとして路上で出会う様々な格闘家たちと戦っていく話、次が、深道ランキングというストリートファイターたちの強さランキングに参加する話、最後が、今まで登場した全ストリートファイターが廃墟に集められ、最後に残った一人を決めるバトルロイヤルの話です。

 渺茫という男は、この漫画のラスボスであり、霊的な力によって時代時代に最強であった十五人の格闘家の魂をその身に宿す者です。深道ランキングは深道(兄)が、この渺茫を自分の世代で倒してみたいと思い作ったものなのです。十五人の格闘家の魂を全開放した十五漢渺茫は、常識外に強く、作中に登場するどんな強い格闘家たちも敗れてしまい、そして主人公のエアマスターですら負けてしまいます。深道(兄)は、手持ちの格闘家を全て渺茫にぶつけ、敗北し、全てが終わったかに思えたとき、満足はしたものの、まだ燻るものを感じました。敗北者の中から傷が浅くまだ戦える者たちと共に、今度は自ら戦うことを決意するのです。

 深道(兄)と共に戦う残った者は(作中において相対的に)強い者たちではありません。個性は強くとも、敗れた経験のある者たちです。敗残者たちの寄せ集めです。そんな負けた者たちが、最強の十五漢渺茫に挑むのです。挑む前から勝てそうにもないと感じてしまいます。でも、まだ胸のうちで燻っているわけなのです。それは、まだこのままでは終われない者たちの打ち上げる、最期の花火なのですよ。

 

 パワーがとりえの月雄、浸透勁の使い手の屋敷、空中戦が得意な女子プロレスラーのカイ、忍者の末裔である尾形、そして深道(兄)の5人のパーティです。ラスボスを倒すための深道クエストです。それぞれが渺茫に勝てるかもなんて話ではないんですよ。まともに戦っても負けることなんておおよそ分かっているわけですよ。それでも挑むわけです。そして、彼ら彼女らは次々と散ってゆくのです。

 最初にやられたのは屋敷、渺茫浸透勁を叩き込むものの全てを出し切って気絶してしまいました。

 次に敗れたのはカイ。アイドルが大好きなカイは、深道(兄)の正体が、推しの藪沢くんであることが判明したおかげで、ぎゅっと抱きしめられたその最高潮のテンションを携えて渺茫に突撃します。もちろん玉砕です。しかし、その勢いが残った人々のテンションを上げていきます。

 次の月雄は渺茫に相撲を挑むわけです。渺茫を寄り切って勝利宣言をするものの、そもそもそんな勝負じゃないんですよ。その後、一撃でやられます。バカでしょう?しかし、そのバカがさらにテンションを加速していきます。

 尾形は、ハイテク忍術を隠れ蓑に除霊の技で渺茫に挑みます。それは意外に有効な攻撃でした。しかし、それでも渺茫の圧倒的なパワーには敵いません。気の込められた強い攻撃を受けて、泡を吹いて言葉すらままならない中で、負けていきます。そのとき、尾形が叫ぶわけです。クールな現代忍者が声を張り上げて叫ぶわけです。「頼むぞ深道!」と。「たのむぞーっ!だのぶぞーっ!ブガびヂぃーっ!(頼むぞ、頼むぞ、深道)」と。

 

 彼らの想いを受け、加速度的に高まったテンションをもってして、深道(兄)が渺茫と対峙します。一度も本気で正面から戦うような姿を見せたことがない男です。謎の多い男です。その強さは単純に考えれば決して一番ではないでしょう。しかし、誰と戦っても、彼が負ける姿は想像できません。彼は頭のいい男です。勝ち目のない戦いに、決して正面から挑んだりしません。彼は冷めた男です。感情に引きずられて、考えなしの行動をとるような男でもないんです。なかったんです。そのときまでは。

 

 深道(兄)は弱い。もちろん渺茫と比べてですが。渺茫の本気の一撃を喰らってしまえば、深道(兄)はそれだけで致命傷です。これはそういう戦いです。深道(兄)は渺茫の攻撃を全て完璧に避け続け、そして、ひとつひとつはわずかなダメージしか与えられない攻撃を、延々繰り返さなければなりません。深道の脳は目の前の脅威に対してフル回転し、相手の動きから、攻撃の軌道を読み、その全てを躱して、反撃をするのです。繰り返し、繰り返し、積み重ねは、ついに渺茫にダメージを感じさせました。

 

 しかし、圧倒的に不利な戦いです。渺茫の一撃は、その深道(兄)の出し続けた、100点の答えの幾重にもわたる積み重ねを、ハンマーでたたき壊すように、紙屑のように破壊してしまうようなものです。非情な一撃です。受けてしまえば深道(兄)は、もはや立つことすら難しい。最初から分かっていたことです。勝てるはずがない。それは、とても無謀なことだったんです。

 

 でもその攻撃を、真正面から受け止めるわけですよ。深道(兄)は叫びます、「金次郎のように力強く!」。前に、以下でも書いた北枝金次郎のように戦うのです。

mgkkk.hatenablog.com

 北枝金次郎という男も渺茫とまともに戦えるような強さのレベルではありませんでした。しかし、彼を突き動かしたのは、彼に最後に残った安いプライドです。それだけが彼を突き動かしました。深道(兄)はそんな金次郎のように戦うのです。渺茫の攻撃を受け止めた腕は、ぼきぼきと音を立てて粉砕されます。

 しかし、再び吼えます、「長門のように超激情!」、あの冷静沈着な男が、全身の骨がボロボロになったような状態で、なおも動き、渺茫に噛みつきます。金次郎を愛する男、長門のように理性を捨て、狂気たたえた顔で噛み付くのです。無様な姿です。格好悪い姿です。それまでの彼が持っていた、勝てない戦いは決してやらず、正面から立ち向かわず回避するようなクレバーな姿とは完全に異なる、なりふり構わない姿です。それでも、そんな姿でも立ち向かうわけです。なんと格好悪いことでしょう。なんと格好良いことでしょう。

 首元に噛みついた歯を、深道(兄)は決して離しません。強さの権化であるはずの渺茫が、このちっぽけな一人の男に恐怖を覚えてしまいます。

 

 しかし、それでもやはり渺茫は強い。瀕死の深道(兄)は、渺茫の攻撃に吹き飛ばされ、さらに大きなダメージを受けてしまいます。もう噛みつくこともできません。立てるはずもない。しかし、しかしですよ、それでも立つんです。理屈が通りません。攻撃なんてできるはずもない。それでも立って、攻撃をしようとするんです。

 このバトルロイヤルの舞台となった廃墟は、言わば蠱毒の壺でしょう。毒を凶悪に濃縮するために作られた狂った装置です。無数のストリートファイターという毒虫を入れて競わせた結果、最後に残った一匹の虫が、最強の毒を持った虫けらが深道(兄)です。

 つまり彼は、この戦いに参加した全てのストリートファイターたち背に抱いた、最先端の一刺しです。その槍の先端は、ついに渺茫にも届き得るのです。彼は屋敷のカイの月雄の尾形の金次郎の長門の、そして、それまで彼が関わってきた全てのストリートファイターたちから獲得したものを、その結晶を渺茫にぶつけようとします。

 「ハッタリで人間は倒せない」、立つことすらままならない瀕死の深道(兄)の姿を見て、渺茫はそう投げかけます。しかし、その言葉に深道はこう答えます。

 

 「知らないのか?俺も今知ったけどな。それしかないなら、人間は…最後は"ハッタリ"で動く!」

 

 彼が最期に望んだハッタリは、死神との取引です。命と引き替えに望むものは「エアマスターのようにしなやかで、坂本ジュリエッタのように超ハイパーな一撃」です。彼はその身に残る、いや、もはや何も残ってすらいないはずの全てを、その一撃に込めるのです。その力は「坂本エアマスター!」という絶叫とともに、渺茫に延髄斬りとして叩き込まれました。

 

 深道(兄)が望んだものは何だったのでしょうか?

 「金か?」「女か?」「全人類の幸せか?」、彼はその全てを「下らない」と斬って捨てます。千人の人間の、千個の夢が、ひとつも叶わないことだってあります。しかし、深道(兄)の願いは叶いました。彼の一撃は渺茫を倒したのです。

 

 深道(兄)は、世界に絶望していた男です。何もかもが無意味で下らないと思っていた男です。世は全て無意味だと。だから、何かを成し遂げることすら無意味だと気づいてしまった男です。この世の全ての人の営みは、無価値だと思っていたような男なのです。

 その地獄のような世界において、全く無意味な生を無意味に消費し、そして終わっていくのだと思っていた男が、唯一興味を惹かれる「面白いもの」を見つけました。それが渺茫です。彼は無数の人々を踏み台にして、自らの手で足でそこに到達し、願いを叶えました。それは満足です。彼の生に対する満足なのです。

 

 しかしながら、その次の瞬間には、深道(兄)に敗れたことで暴走した制御不能の渺茫による、無慈悲な一撃があります。深道(兄)は、ついにボロクズのように吹き飛ばされてしまいます。最後に控えているのはそんな渺茫エアマスターの戦いです。

 

 蠱毒に残った最後の毒虫である深道(兄)は、もうピクリとも動けないような状態で、その力を言葉に変えてエアマスターに届けます。

 相川摩季は自分の中で育つエアマスターという存在に恐怖していました。そのエアマスターは際限なく強さを求め、そして得た力に比例するように狂っていきます。摩季は、自分は危険で暴力的なエアマスターであり、もはや自分自身でも制御できないと感じていました。危険な暴力の権化、エアマスター。自分が幸福に生きるためには、不要かもしれない化け物エアマスター。そんな自分の中のもう一人に悩み苦しんでいる摩季に、深道(兄)が届けた言葉とは「人生の楽しさ」です。

 彼自身が、渺茫を追う戦いの中で獲得した、人生の意味と充実感です。

 人生は無意味かもしれない。人生は無価値かもしれない。それでも彼が感じたのは人生の楽しさでしょう。素晴らしさでしょう。自分自身こそが世界の始まりであり終わりです。一個の我として、一個の誇りをもって生きるのです。最悪であっても誇りを持って生きていけばよいのです。

 「そしたらな、楽しいぞ」、その言葉は、渺茫に向かうエアマスターの背中の最後の一押しとなりました。摩季はエアマスターとして、笑いながら渺茫に立ち向かいます。

 

 深道(兄)の駆け抜けた戦いは、彼ひとりの成したことではありません。無数の人々の人生の葛藤と挫折と喜びと楽しさをごった煮にしたような、清も濁も混ぜこぜに煮詰まり過ぎたスープのようなものです。それを一気飲みさせられているような体験です。僕自身の持ち合わせている、精神の小さな波など、雑音のようにかき消してしまう大きな波です。

 深道(兄)が、目の前で次々前のめりに敗れて倒れていく姿に、心の回転数をピークアウトさせたように、僕がエアマスターを読むときの気持ちの高まりが分かりますでしょうか?血管にごんぶと注入されたようなこの奔流は、全身を駆け巡り、あらゆる悩みや苦しみを、まるで大したことのないことのようにしてしまい、内側に収めてはおけなくなるような猛烈な感情的なエネルギーとして渦巻きます。

 

 さて今ちょっと、朝までにやらないといけない面倒な作業があるんですが、面倒でかなりやる気がしなかったものの、この文章を書いてエアマスターのことを思い出していたら、徐々にテンションが上がってきたので、これを利用して片づけたいと思います。エアマスターは最高の漫画だなあと思っています。