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大きな本屋やホームセンターに行くと自分が平凡な人間だと思う話

 大きな本屋とホームセンターは似てるなあって思うことがあるんですけど、どういうことかというと、そこには実は自分にとって過不足ない品ぞろえがあるということ、そして、目的を持たないとその事実に気づけないということです。

 

 何か興味を持ったとき、それについての本を読みたいと思って本屋に行くと、棚を見ればちゃんとその関連の本があることが多いです。棚の数は有限で新しい本はどんどん入荷するので、必然的に古い本はどんどん本屋からなくなってしまうものだと思います。なので、探しているのがある特定の本である場合、その本がその本屋には既にないこともあるんですが、ただし、それに関連する別の本は見つかったりもします。本屋に行けば何かしらはあるんですよ。そういう感じの品揃えに保たれているのが大きな本屋なんだと思います。

 つまり、何かについて知りたいと思ったとき、なんとなく手ぶらでも、大きめの本屋に行って関連する本棚を見れば、何かしら参考になる本があるので助かります。これはすごくありがたいことです。そして同時に、自分が知りたいことというのは、ちゃんと既に網羅されている枠組みの中にあるんだなあと、お釈迦様の掌の上を自分が一歩も出ていないことに気づいてしまいます。

 

 ホームセンターも同じです。何かの作業がしたくて必要な工具などを探しにいくと、結構マニアックなことをしたいと思っていても、それに特化した便利な工具が売っていたりします。それを見つけた僕は、そうそうこれが欲しかった!と思ったりします。ありがてえありがてえと感謝しつつ、その便利な工具を手に入れるわけですが、ただ、その工具は僕が欲しいと思う前からずっとその店にあったんですよね。にもかかわらずそれまでは気にしなかったし、目に入らなかったんです。その工具を欲しいと思う状況になるまでは。

 

 気づいてみれば世の中は既に意外と至れり尽くせりで、自分の行動と発想は、だいたいその範囲に収まってしまっています。人間ですから個性はあるにはあるでしょうが、僕の個性はさほど特殊でも特別でもなく、既に存在する枠に収まっているんだと思います。つまりは、平凡な人間です。そうであることは別に嫌ではなく、よかったと思います。世の中は枠の中に収まっていれば大体生きやすいからです。

 

 もし仮に身長が5メートルあったら、特殊で特別で明らかに普通の枠に収まっていないですが、おかげで生きるのが大変になる気がします。家も特別に天井が高いものでなければ腰を曲げて生活しないといけませんし、自動車や電車にもとても乗りづらいでしょう。

 社会は、平均的な人からある程度のマージンをとった枠の中に収まる人(それが世の中の大勢を占める)にとって都合がよく作られがちなので、特殊で特別であれば、生活がしにくくなってしまう可能性が高まると思います。特殊で特別であるというメリットもあるでしょう。しかしながら、デメリットもあるということも無視できないのです。

 

 さて、僕のように平凡な人間が、とりたてて何かをしようなどと思っておらず普通の生活をしているとき、世の中に必要とされるものの範囲は極小になってしまう気がします。世の存在する多くの本や工具について、それが必要でないシチュエーションにいる場合には、無価値と判断してしまう可能性が高いです。無価値ということは、つまりなくてもいいということで、実際、何かについて知りたいとか、何かを作りたいとか思わなければ、それらの価値に僕はずっと気づかなかったかもしれません。あってもなくても同じであったかもしれません。

 自分にとって無価値のものを排除していっても、人はきっと気づかないでしょう。毎日通る道で何かの建物の解体工事をしている様子を見たとき、そこにそもそも何があったのかを上手く思い出せないことがあります。それは毎日見ていたものの、そこに通うでもなく、思い出もなく、ただ存在していただけで、自分にとって無価値だったからこそ思い出せないんだと思います。なくなったとして、「なくなったんだな」と思うだけで、だからどうということもありません。

 ただ、もし、何らかの目的を持ち、その価値に後から気づいたときに、それは手遅れになってしまっています。手遅れになったとき初めて、それがそこにあったということが豊かであったことに気づけるのではないでしょうか。そして、一生それに気づかずに終わるものの方が多そうです。

 

 僕が今書いている文章を読んで「自分が価値を見いだせないものでも、実は今気づけないだけで価値があるものだから頑張って残すべきだ!」という意味合いを読み取った人がいるとしたら、それは間違いです。もし、そう読まれてしまったのだとしたら多分僕の書き方が悪いですね。

 僕はそれらを残すべきだとは全く思っていません。ただ、なくなったものの価値にあとで気づいたとき、既になくなってしまっていて悲しいなあと思ってしまうということです。そして、世の中は色々なくなりつつも、意外と代替になる別の何かは残っていて、僕にとっては実はそれで過不足ないと思うということだけです。

 

 色んなものがなくなります。そして、なくなっても問題なく生きている自分がいます。なくなって悲しいなあと思うことはあります。でも、生きるのに問題はありません。代わりの何かが十分にあり、それで過不足ないからです。それは僕が平凡だからでしょう。平凡でよかった。