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左向きと右向きの顔の描きやすさの差について

 絵を描く人なら陥ったことのあるだろう、顔の向きによる描きやすさ問題というやつがあると思います。左側を向いている絵は描きやすいですが、右側を向いている絵は描きにくいのです。

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 さすがに全く描けないわけではないですが、描きにくいと感じるので、できるだけ左側を向いた絵を描いてしまいますし、逆に僕は右向きも描きますよ!というアピールを込めてあえて右向きを描いたりします。とはいえ描きにくく、上の絵も左右反転してみると、左向きよりも右向きの方が破綻していることがわかります(ただし、特に反転して見なくて良いです、恥ずかしいので)。

 

 本件について、先日の「漫勉」というテレビ番組で、池上遼一氏が左向きの顔の絵を、パソコンで反転して右向きにしているというのを見て、また考えていました。取り急ぎ、池上遼一氏ほどの、絵がめちゃ上手い人でも、やはり右向きの顔の絵には苦手意識があるのかーと思って許された気持ちになりました。なら、僕のような絵の上手くない人間が苦手でも当たり前だし、反転したり色んな技をつかってごまかしても許されるはず!という気持ちになってよかったです。

 ただ、池上遼一氏はめちゃ絵が上手い人なので、右向きの顔の絵も僕なんかからすると十分問題ないと思えるほど上手いのだと思いますが、番組でおっしゃってたかぎり「左向きの方が絶対的な自信がある」とのことなので、読者に最高のものを届けるには、その方がよいとの判断なのでしょう。

 ちなみに、池上遼一氏がどのように漫画原稿を仕上げているかは、「ワイルド&ビューティーの描き方 池上遼一」という本でも解説されており、非常にありがたいものとして読んでおります。

 

 さて、漫勉の中でも言及されていましたが、左右の描きやすさの違いに、手の動きの制約が関係しているのではないかと僕も思っています。それはつまり、方向によって描きやすい線と描きにくい線があるということです。

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 この絵は、それを描いてみたものですが、(1)の右上から左下に向かって線を引くパターンでは、手首を支点として、指の形は固定したままでリズミカルに、同じペースで整った線を描くことがやりやすいですが、(2)の左上から右下に向かって線を引く場合は指を曲げて描くことで、どうしても線が歪になってしまうという事象が発生します。

 であるため、人の顔の陰影をいれる際の斜線は、右利きの人であれば、右上から左下に向かって描いたものが大半のはずです。なぜなら、それが描きやすいからです。この辺の話は、漫画でいうと「ギャラリーフェイク」や「オークションハウス」などの絵の贋作を取り扱ったものにも登場し、贋作を作る人は、元となる絵を描いた人が右利きであるか左利きであるかを考慮して、両方の手で絵を描けなければならないというような話が出て来ます。

 

 利き手によって描きやすい線の方向に制約があるとどのようなことになるでしょうか?

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 この絵の赤で上塗りした部分のように、左向きの顔の絵は、右利きの人にとって描きやすい方向の線で大まかな形をとることができるということが分かります。右向きの顔の絵はそれが反転してしまいますから、形をとる際に、描きにくい線を上手く制御しながら描く必要があり、それは疲れますから、できれば描きたくないと思ってしまいます。

 それゆえに、できれば左向きの顔を描きたくて、左向きの顔の絵ばかり描いてしまうことで、余計に左向きは上達するものの、右向きは上達しないままという悪循環となってしまい、それは自由が狭まりますからよくないなと思ってしまいます。

 

 僕はここにはもう少し問題が眠っているのではないかと思っていて、それは人間は人間の顔を描くとき、凹凸のある立体物としてそのまま描くのではなく、パーツごとに個別に認識して、概念的に描いているのではないかとの疑惑です。

 

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 つまり、右向きの顔の絵を描くときは、描きやすい線をできるだけ使って描けばいいと思うのですが、なぜか、左向きの顔の絵を反転させた線の使い方をしてしまいがちがということです。これは一般的なことなのか、僕個人の傾向だけなのかが判別がついていませんが、とにかく僕にはそういう傾向があります。そこそこ熟練した左向きの顔を描く為の方法を、そのまま右向きの顔を描く為に使っていて、頭の中で左右反転させればいいと考えてしまっているのではないかということです。

 人間の顔を線でどのように表現するかということはノウハウですから、左右で描きにくさが変わったとしても、左右の両方で新しく線に落とし込む方法を考えるよりは共通化した方が楽という気持ちになります。でも、左向きの顔を上手く描く為のノウハウは、当然線の使い方が左向きの描きやすさに則っているために、逆に使うとしんどくなってしまうのです。

 また、前述のように特に顔は記号的に捉えてしまっていますから、その傾向が強く、自分の中の「目というのはこう描く」「鼻というのはこう描く」ということが固定化してしまっています。これが首から下の体であれば、影響が小さくなります。つまり、左手と右手で描きやすさが異なるかというと、意外とそんなことはないという実感があるということです。

 

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 人間の顔はデフォルメが効きやすいので、目や鼻や口をパターンとして捉えて、それを福笑いのように当てはめれば顔ということにできます。しかし、首から下は、筋肉であれば、肉と肉が変形しやすいので、記号的というよりはもう少し立体物として捉える割合が大きく、そのために左右に違いをあまり意識しないでもよいのかもしれません。

 昔見たことがある実験で、人間の顔写真を上下逆さまにしてそれを見て絵を描くとき、右向きの顔でも左向きの顔でも描きやすさに違いが見られない、というものがありました。それはつまり、顔を見て⇒既知のパターンに変換して⇒そのパターンを描くという通常のやり方ではなく、顔を見て⇒それをパターンに変換できないので、そのまま立体物として描くというようなプロセスになるということではないでしょうか?

 

 デフォルメされた絵は、実物を写実的に捉えたものとは異なりますが、人間が認識するには十分かそれ以上の効果があるように作られたノウハウの塊のようなものだと思います。ただし、であるがゆえに、そのパターンで表現しにくいものを描こうとすると破綻しやすいものでもあるかもしれません。それゆえ、新しいデフォルメの方法が開発されたときには、それが即座に絵を描く人の間に広がっていくのだと思います。なぜなら、その新しいパターンを取り入れることで、これまでのパターンでは表現できなかったものが表現できるようになるからです。

 

 美術的な下地のある絵を描く人は、そのような下地がない人と比べて、実物を見て絵に落とし込むという訓練をより多くやってきているものだと思います。であるために、その人独自のデフォルメパターンを持っていることが多いかもしれません。それは、表現の幅を広げられる可能性をより多く持っているということだと思います。そして、もしかすると同時に独自の方法であるために、読者が上手く読み取れない可能性もあるかもしれません。

 

 僕が思うには、漫画は模倣の文化が色濃くあるので、その絵には模倣共有された何らかの時代性が存在するのだと思います。つまり、昔の漫画がその時代であれば通じたパターンを、今の読者は読み取れないかもしれませんし、逆に、今一般的な表現パターンを、過去に持って行っても読み取れないかもしれません。そこには作者と読者の共通認識として共有されたものがあり、それゆえに理解可能となっています。ただし逆に、時代性を感じない独特の絵を描く人には、それゆえに逆にびっくりして夢中になってしまうかもしれません。

 

 話が脱線しましたが、顔の向きの左右で描きやすさが異なるということが気になっていて、それは、手の構造上の線の引きやすさだけではなく、顔の絵は描く人の中にあるパターンを利用して描く割合が多いということが関係しているのではないかと思っているということです。そのパターンを左右の両面で持っていない場合、左向きの顔で描きやすいパターンを作り込んでしまい、それを右向きの顔に単純に反転して適用しようとすると、非常に描きにくくなってしまうのではないでしょうか?それは例えば、「あ」という文字は上手く書けても、その鏡文字は上手く書けないというようなものなんじゃないかと思います。

 であれば、右向きの顔の絵を今よりも上手く描くにはどうすればいいか?というと、右向きでも描きやすいパターンを作り込むことを意識して、量を描くという正攻法と、そもそもパソコンで左右反転しつつ描けばいいのでは??という方法があり、僕は怠け者なので後者かなーと思っている感じです。

 みなさんも好きにしましょう。