漫画皇国

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「うしおととら」における鏢の復讐について

ことのおこり

 中国は広東省、とある市に近い村、その時代にはまだ街灯も少なく、夜になれば、吸い込まれそうなほどに暗く深い闇があったという。そんな闇の中を、男がひとり家路を急いでいた。薬屋に勤めている平凡な男だ。代わり映えしないが満たされた毎日。なぜなら、彼にはとても大切な妻と娘がいた。幼なじみの妻と、やっとひとりで遊べるようになったばかりの娘。家に帰ると家族が笑顔で迎えてくれる。ただそんなことが、彼にとって幸福という言葉の意味の全てだった。

 帰りが遅くなってしまった。娘はもう寝てしまっただろうか?それとも起きて待っていてくれるだろうか?早く帰れなかったことを怒られてしまうかもしれない。そんなことを思いながら男は歩く。手にはアヒルのおもちゃがあった。ブリキで出来た何の変哲もないものだが、その辺鄙な田舎の村では珍しいものだった。怒っていた娘がそのおもちゃを見て機嫌を直してくれる、そんなことを男は想像したりしていた。

 

 「おーい、開けてくれ 今帰った!」

 

 しかし、返事がない。妙だった。部屋が暗い。もしかしたら、もう寝てしまったのだろうか?その日はとても静かな夜だった。聞こえるのは風の音ばかり。いや、少しの物音があった。

 その時だった。急に扉が開き、闇の中から何かが飛び出してきた。人ではない、もっと恐ろしいものだ。のけぞった男の顔を、激しい痛みが切りつける。顔が熱い。噴き出した血がが鼻筋を伝って落ちる。狼狽する男をよそに、その何かは嵐のように去って行ってしまった。

 ドクドクと心臓が脈打つ音が激しく頭の中に響き続ける。右目は既に光を捉えることができなくなっていた。よろけながらも部屋に入った男は、むっとした血の匂いに気づく。自分のではない。その匂いは、足下にある謎の水たまりが、実は赤くどろりとした血だまりであることを示唆していた。

 男に残った左目に飛び込んできたのは、もはや原型をとどめていない何かだった。喰い荒らされてしまっていた。床を覆い尽くす血だまりの中、落ちている小さな靴が男の目に入る。娘のものだ。その靴を拾い、握りしめた男は全てを理解した。そこにあるそれは、かつて彼の妻と娘であったものだ。静かな村に、男の叫び声が響き渡る。それは、怒りと悲しみの混濁した絶叫であった。

 その後、その村で、男の姿を見た者はいない。

 

黒い男の話

 中国のある村で起こった奇怪な事件から十五年。日本のある町に黒衣の男がいた。男の顔の半分には傷跡が三本の線として深く刻み付けられおり、その傷の下には、吸い込むような青さをたたえた右目が存在していた。

 男の名はと言った。字名である。本名は捨て去ってしまったのだという。とは武器の名前である。投げつけ、あるいは斬りつけることができる、穴の開いた短剣の名前である。彼は自分自身を、携えた武器の名前で呼んだ。つまり、彼は武器である。武器とは何かを傷つけるために作られた道具である。

 

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 黒衣の男は、金を貰って妖怪を退治する符咒師であった。そしてまた、あの日、全てを奪われた男の成れの果てであった。かつて平凡だった男は、その手も、背中も、全身が隙間ないほどに傷だらけとなり、しかし、今も生きていた。あの時えぐられたはずの右の目の場所には不思議な輝きを放つ目があった。それは浄眼と呼ばれるものである。翠竜晶で作られた、妖怪を見ることができる特別な目である。それは彼が、彼の妻と娘を奪った妖怪を探すため、失くした右目の代わりに手に入れたものだった。男が妖怪を探す理由とは復讐である。彼はそのために、戦う力を欲し、人を捨て、鬼となったのだ。

 鏢の仇を探す旅は日本という異国の地に辿り着いた。なぜなら、彼は見てしまったからである。日本のテレビが撮影した妖怪の姿を。その姿は彼の右目と、彼の家族を奪った妖怪によく似ていた。彼は彼の復讐が果たせることを期待し、この地までやってきたのであった。

 結論から言えば、それは勘違いであった。「とら」と呼ばれるその妖怪は、この数百年の間、つまり十五年前も、ある寺の蔵の底に獣の槍で縛り付けられていたということがわかったからだ。鏢の仇を捜す旅は、またも徒労に終わった。しかし、獣の槍が妖怪を惹き付けるならば、自分が追う妖怪もまたこの地にやってくるかもしれない。鏢はそう言うと、そのまま日本に留まることを決意する。そして、鏢はまたこうも言う。自分もまた、もはや獣の槍に惹きつけられた妖怪であるのかもしれないと。

 

憎しみは何も実らせないのに

 うしおととらにおける印象的な言葉のひとつに「憎しみは何も実らせない」というものがある。それは数千年の昔、ある女性が口にした言葉だ。そして、この物語の根底にある価値観を指し示す言葉でもある。

 うしおととらにおける「敵」とは白面の者という名である。白面の者はこの世界が生まれたとき、底に溜まった不浄なる陰の気から生まれた妖怪である。それは憎しみの権化である。であるからこそ、白面の者を打ち倒すため、獣の槍を手にしたうしおは、こう諭される。「憎悪を憎悪では調伏できない」のだと。

 獣の槍は、白面の者に家族を奪われたある男が生み出したものである。それはつまり、獣の槍もまた憎しみそのものであることを意味している。そんな獣の槍は、同じく白面の者に憎しみを持つ人々の手に渡り、使い手の魂を削り続け、そしていつしか、使い手たちを憎しみを宿した獣に変えてしまう。字伏と呼ばれるその獣たちは、いつまでも強い憎しみをその身に宿し続ける。そして、憎しみを宿すあまりに、その姿はいずれ白面の者そのものに近づいてゆく。皮肉なことに、白面を憎むあまり、白面になってしまうのだ。

 憎しみだけを糧に白面の者に立ち向かったうしおもまた、それ以上の憎しみの権化である白面の者に敗れてしまう。より強大な憎しみを前に、獣の槍は粉々に破壊されてしまうのであった。

 「憎しみは何も実らせない」。かつて獣の槍を使った男のひとりでもあったとらはこの言葉を思い出す。その言葉を口にした女性は、まだ人であったころのとらが、憎しみとともに生まれ、憎しみを糧に生きてきた自分にとって、初めて太陽と思えた存在であったからだ。

 獣となり、人であった頃の記憶もなくしたとらは、長い年月の果てにうしお出会い、ともに過ごした時間の中で、いつのまにか白面の者への憎しみを捨てる。そして、うしおもまた憎しみに囚われることをやめる。うしおととらは、白面の者を憎む気持ちを糧に戦うことをやめ、復讐を捨て去った果てに、ついに白面の者を倒すことができる。憎しみのみがその存在価値であった白面の者は「かわいそう」だと評される。これがうしおととらの物語である。

 限りない憎しみの連鎖の物語であり、そして、憎しみから解放される物語である。

 

 しかし、そんな価値観を根底に持つこの物語の中で復讐を最後まで遂げた男がいた。それがである。憎しみは何も実らせないこの物語において、鏢が遂げてしまった復讐とは何であったのか?憎しみが何も実らせないのであれば、が成したことはいったい何であったのだろうか?

 

の誕生

 妻と娘を殺されたばかりの男は半狂乱のまま山をさまよい、偶然、桃花源という場所に迷い込んだ。そこは年中桃の花が咲き乱れ、時間の流れが止まった場所である。男は、そこで仙人と出会い、失われた右目を埋める石と、妖怪と戦う手段を手に入れる。ここはと名乗る男が生まれた場所である。おそらく、という男が何であったかを理解する手掛かりのひとつがここにある。

 全てを失った男はやみくもに戦う力を得ようとする。全てはあの妖怪に復讐するためだ。しかし、喧嘩もろくにしたことのないような男にはとても辛い修行の日々であった。師匠にも「仇討ちなんてやめてしまえ」と言われる。それは正しいことだ。復讐を遂げたところで、亡くしたものは返って来はしない。それよりは、その絶望の淵から立ち上がり、新しい幸せを求めた方がいいかもしれない。

 しかし、大の男が泣きながら、情けない顔でこう口にする。「死んだ者のためだかわからない!…でも!わたしはこれだけのために生きてるんです!これをやめてしまったら、何もない!もう…何もないんですよう!」。そうだ、男にはもう何もなかったのだ。幸せの全てを奪われた彼には、自分の人生がそこから先、どこに向かうかももう分からなかったのだ。

 修行の果てに、彼の閉じた目は、ついに浄眼として開いた。それはある妖怪から女性と子供を守るために開いた。自分の妻と娘を守れなかった男は、女性と子供を守る力を手に入れて桃花源をあとにする。復讐の旅に向かうためだ。彼は本名をそこに捨てた。その瞬間から、彼はとなったのだ。

 

の復讐

 果たして、は復讐がしたかったのだろうか?自分が与えられた痛みを、それを与えた張本人に与え返せば気がすんだのだろうか?

 は仇の妖怪を探す過程で、時間を遡ることができる妖怪「時逆」と出会う。時逆の力を借りたは、見るべきではないものを再び目にする。それは、十五年前、妻と娘があの妖怪に喰われる場面だ。は、自分の人生を狂わせた光景を、今度ははっきりと目にすることになる。そのときは何を思ったのだろう?目の前に起こることを止めようとは思わなかったのだろうか?止めようとはしたが、やはり時間の流れは変えられず、より強い絶望に至ったのだろうか?あるいは、起きてしまったことが変えられないことを知っていたのだろうか?

 少なくとも、の中で妻と娘が死んだということは確定していたのだろう。妻と娘は生きてはいないのである。変えたい過去ではなく、起こってしまった、変えられないことなのである。大切な人間の幻を見せる妖怪「ギ」との戦いにおいて、うしおは、父や幼馴染の姿を見せられただけで狼狽し、まともに戦うことができない。しかし、は違う。自分の妻と娘の姿をしたそれを、自分の手でこともなげに殺す。それが出来るのは彼の心が失われ、鬼となっていたからだろうか?いや、もしかすると、実は生きているなどとまるで信じられないほどに、の中の失われたものは、くっきりとその痕を刻まれていたからかもしれない。

 

 もしかすると、にとっては復讐、それ自体は目的ではなかったのではないだろうか?「わからない」「もうこれしかない」、鏢となる前の男はそう嘆いた。はただ、いまだあの帰り道にいただけではないだろうか?その道は、彼の家へと続く道である。彼を待つ家族が笑顔で出迎えてくれるはずの未来に繋がる家路である。しかし、それは曲がりくねり、どこまで続くのかも分からず、鏢はあてもなくさまよい続けるはめになっていた。その長く終わりない道の途中で、鏢は歩き続けることに疲れ果てていたのかもしれない。彼がただ復讐を目指したのは、もはやただの道しるべでしかなかったのではないだろうか?彼が本当に目指した先は、それを乗り越えた向こうにある、自分が辿り着くべき家だったのかもしれない。

 

 は、彼の妻と子を殺して喰った凶悪な字伏、紅煉を殺す。見知らぬ母子をかばい、助けながら、命を賭して止めを刺す。彼は自身の復讐を完璧な形で遂げる。死に行く鏢の目には、あの扉が見えていたらしい。はずっと懐に持っていたボロボロのブリキのアヒルのおもちゃを取り出す

 

 「今…帰ったよ…あけとくれ」

 

 その扉の先には笑顔で出迎えてくれる妻と娘がいた。それは十五年前には、実際にはなかった光景だ。紅煉によって阻まれてしまっていた光景だ。彼は、とうとう帰るべき家に帰ったのだ。

 鏢は知らなかったのではないだろうか?鏢と紅煉の決着がつく少し前、特別な力を持つ白い髪の女が、冥界とこの世を繋ぐ門を開けていたことを。ただ、死者はこの世には帰って来ないものである。もし、帰ってくる死者がいるならば、それはこの世にやらねばならないことがある死者である。彼の妻と娘、ハイフォンとレイシャはどうだっただろうか?後に鏢と呼ばれる男が、扉の向こうの家族の元に帰りたかったように、家に帰ってくる夫を父を、笑顔で出迎えたかったのではないだろうか?それはやらねばならないことではなかっただろうか?

 鏢がこときれる間際、見た光景は幻か、それとも彼を迎えに来た家族の魂だったのか、それは僕には分からない。

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