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ドラゴンボールにおける悟空のいない未来の話

 ドラゴンボールの人造人間編は、人造人間たちの暴虐により荒廃してしまった未来から、タイムマシンに乗ったトランクスがやってくるところから始まります。トランクスは、サイヤ人の生き残りであるベジータと、地球人のブルマの間に生まれた混血児であり、時間を遡ってやってきたこの現代にはまだ生まれてもいない少年でした。

 トランクスがいた未来では、戦う力を持った人間は、もはや彼ぐらいしか残っていません。どんな願いでも叶えてくれたドラゴンボールは、その創造主の片割れであるピッコロが死んでしまったことで既に消失してしまっています。その結果、未来の世界ではもはや誰も生き返ることができなくなってしまいました。ピッコロやベジータを始め、地球に存在した戦士たちは、人造人間たちに敗れて次々に命を落としていきます。

 では、このドラゴンボールという物語の主人公であり、数々の困難を打ち倒し、乗り越えてきた男、孫悟空はその時どうしていたのでしょうか?悟空はなんと、この戦いが始まる前に心臓の病気で死んでしまっているのです。

 

 この暗くて悲しい未来は、ドラゴンボールにおいて、悟空のいない世界がどれほどに希望がなく、陰惨なことになってしまうかを教えてくれます。当たり前にあるものは、実際に失ってみるまでその本当の価値を測りかねるものです。悟空という存在が周囲に与えていた楽観的な視点と、どんなに強い相手が現れても絶望しないというしなやかさとしたたかさが、あの世界にどれほど希望をもたらしていたのか?それは悟空のいない未来に漂う閉塞感によって明らかになります。

 

 「どんなに絶望的な状態になったとしても、悟空ならなんとかしてくれる」、それはドラゴンボールの世界の中で、悟空を知る人々が抱く想いです。そして、それは同時に読者の気持ちでもあるでしょう。悟空さえいればなんとかしてくれる、だから悟空が来るまで持ちこたえるのだと。悟空がいることで、人々は希望を持って目の前の困難に耐え、待つことができるようになります。そして、悟空がいなければ、つまり希望がなければ、待つことは死を少しだけ延命させるほどの意味しか持ちません。

 

 この悟空のいない未来の世界については、漫画やアニメで外伝的に語られます。そこでは悟空の息子である悟飯が、たった一人で人造人間たちと戦い続けていました。トランクスはまだ幼く、そんな悟飯を兄のように先生のように慕いながら、物心ついた頃から荒廃した世界で生まれ育っています。

 トランクスは、自分の父であるベジータのこともろくに知りません。話に聞くだけです。なぜなら、ベジータはトランクスの成長を待つこともできず、とっくに人造人間たちに殺されてしまっていたからです。トランクスはもちろん、悟空のことも知りません。ただ、悟空の話もまた、悟飯やブルマに聞かされてはいます。しかし、悟空を知っている人々が、悟空のことを話すときに持つ感情、つまり「悟空さえいれば」という気持ちを、そのときのトランクスにはまだ理解できなかったかもしれません。なぜなら、未来のトランクスは悟空のいない世界で育った子供だからです。

 

 連載当時、まだ本編の作中では子供であった悟飯が、未来の世界で立派な大人として成長している姿を目にするのは不思議な光景でした。その世界の悟飯は、傷だらけで、片腕を失っていて、そして、スーパーサイヤ人になることができます。それは、詳しく描かれこそしないものの、悟飯がそれまで潜り抜けてきたものに対して思いを馳せるには十分なものでした。幼い頃から大きな才能を秘めていたとはいえ、悟空にピッコロに守られていた、まだほんの子供であった悟飯が、立派な大人として、今度はトランクスを守っています。その身に刻まれた傷は、これまでにあった数々の敗北と挫折を示唆しています。そして、激しい怒りによって目覚めるはずのスーパーサイヤ人の力は、失われた人々に対して彼が抱いた激しい感情を想像させるには十分です。

 

 悲劇的なことに、そんな悟飯もまた人造人間たちに敗北して命を落としてしまいます。アニメ版では、それによりトランクスもまたスーパーサイヤ人に目覚めますが、そのような形で連鎖的に力が目覚め受け継がれていくということは、強くなるための道筋としてはとても悲しいものです。

 

 この世界に残った最後の希望はトランクスです。その希望を信じ、道を作るのは天才科学者であるその母、ブルマです。そして、その道は悟空へと続いています。ブルマはタイムマシンを発明し、心臓病の特効薬をトランクスに持たせます。

 こんな壊れた世界においても、ブルマは変わらない強さを持ち続けていると思いました。仲間たちが、そして夫が命を落としていく中、誰もが絶望しても仕方がない世界の中で、唯一希望を持ち合わせ、手繰り寄せようとしているのがブルマではないかと思うからです。

 

 山奥にひとりで住んでいた少年の日の悟空を、外の世界に連れ出し、大冒険を始めさせたのはブルマです。天才的な頭脳を持ちながら、とてもワガママで、しょうもないことにこだわり、それでも悟空の旅を幾度も助けたのがブルマです。しかしブルマは、いつしか悟空と一緒に旅をすることはできなくなりました。悟空たちの戦いは遠く激しくなり、戦う力を持たない彼女はついていくことができなくなったからです。そして、いつまでも若い時代を生きる悟空たちサイヤ人とは違い、普通の地球人であるブルマは徐々に老いていきます。

 しかし、それは彼女の魅力を損なうものでしょうか?

 

 年をとったブルマは、なお現役で作業着に身を包み、資源も乏しい中、一人でタイムマシンを作り上げます。彼女が作り上げたその時空を超える機械には「HOPE」の文字が書かれています。それは荒廃した世界に残った希望そのものです。それに乗るのは彼女にただひとつ残った息子です。

 しかし、彼女は知っています。タイムマシンで過去を変え、悟空を生き延びさせたとしても、自分がいるこの未来はもはや変わることがないことを。「人造人間をやっつけてしまった平和な未来があってもいいじゃない」、ブルマの口にするその言葉はとても強いものです。つまり、なかったことにはならないのです。起きてしまったことは、失われてしまったことは、既にあったことで揺るぎありません。ブルマはそんな辛さや悲しさを乗り越えた先にいるのだと思います。そんなブルマの姿はとてつもなく格好良いと思いました。

 

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 希望を託された彼女の息子、未来から来たトランクスの存在は、現代の世界を別の未来に分岐させることに成功します。そして、現代の悟空やベジータと出会うことで、トランクス自身も強くなり、また未来に帰ってきます。強く成長したトランクスに、人造人間たちはもはや敵いません。そして、未来の世界は、そんな未来の世界の住人自身の力によって平和を取り戻すのです。

 

 一方、悟空のいる別の未来へと分岐した現代の世界は、あらゆるものが失われてしまったあの未来とは異なり、数々の困難は相変わらず襲いくるものの、幸福に満ちた牧歌的なものになります。現代のトランクスもまたスーパーサイヤ人の力に目覚めますが、それは大切な人を奪われたからではなく、もっと穏やかな形で行われます。

 そして、ブルマは相変わらずです。相変わらず天才的な頭脳を持ち、ワガママで、明るく、そして強い。どんなに世界が変わっても、悟空は変わりそうにもありません。そして、ブルマもまたそうなのではないでしょうか?

 ドラゴンボールの物語が、そんな悟空とブルマの出会いから始まったことは、運命的なものだったのではないでしょうか?漫画のドラゴンボールの最終回は、ブルマと悟空の出会いから振り返られます。全てはそこから始まったのです。

 

 さて、今やってるアニメの「ドラゴンボール超」ですが、今週から「未来トランクス編」が始まり、また未来の世界が描かれ始めたので、色々思うことを書きました。僕はこの世界の話がとても悲しくて思い入れがあるのです。

 これまでの新たな敵は登場しても、どこかゆるくて牧歌的な感じからうって変わり、たいへん厳しい未来の世界が描かれます。その差はきっと悟空の不在です。そして、それを解決できるのはおそらくブルマの遺した力です。そして、この悟空のいない世界に、悟空に似た謎の男が登場しました。彼は一体誰なんでしょう?これから先にどうなるのでしょう?それが気になるので、おじさんは日曜の朝に毎週アニメを観ます。