漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

かつて僕にとってゲームとは雑誌のことだった

 僕は割と時間を自由にできる生活なので、結構ゲームをやっていて、据え置きゲームも携帯ゲームも、スマホのゲームも、それぞれ別のゲームを空き時間にもくもくとやっていたりする。なんでゲームをするかというと、ゲームが好きだからです。

 攻略法を考えて、リソースの制約条件と限られた選択肢を勘案して戦略的に進めるゲームも好きだし、同じ動作を繰り返して自分の運動神経にその動作を覚え込ませ、覚えたパターンと反射神経の、とめどない繰り返しの流れに浸るゲームも好きだ。プレイを通じて、そのストーリーをじっくりと味わえるゲームも良い。また、全く無意味な苦行のようなことを繰り返し、遂に何かを達成するゲーム、喩えるなら、白い紙を端っこからただ黒く塗りつぶしていくだけのようなゲームも好きだ。なぜなら、それを終えたときの、無意味であるがゆえの強く晴れ晴れとした達成感と解放感がクセになってしまうからだ。

 ゲームの面白いところは、ゲームパッドやタッチパネルを使ったこちらの入力に、何らかの反応が返ってくることだと思う。僕は返ってきた反応を見て、それに応じて、また別の入力をする。ゲームに「最小単位」と言うものがあるとしたら、これのことだと感じている。ゲームに入力すると、ゲームから何らかの反応が返ってくる。それが楽しくて、楽しいから延々とやってしまう。

 

 今はとんでもない時代になったと思う。世にゲームが溢れている。安いゲームも無料のゲームも山ほどあって、フルプライスのゲームも、昔と同じような値段で、こんなに盛りだくさんでいいんだろうかと思うぐらいに絢爛豪華だ。時間はあってもあっても足りないし、無限に時間を使えてしまう。ただ、やり過ぎると生活が崩れるので、時間は区切って、やれるときにやれるだけをやっている。

 

 昔はそうではなかったと思う。僕が子供の頃、ゲームは年に2本ぐらい買えればいい方で、あとは友達に借りてやっていた。ゲームボーイ以外のゲームはテレビを占領するので、家族がテレビを見ている時間にはあまりできないし、夜中に起きて、こっそりやっていた時期もある。買うお金もないし、遊んでいい時間もあまりない。ゲームはやりたいけど、やれないものだった。だけど、時間だけはあったので、何をしていたかというと、僕は本屋でゲーム雑誌を読んでいたのです。

 

 ゲーム雑誌には毎週のようにゲーム情報が載っていて、新しいゲームを見ては面白そうだと思って胸を躍らせ、待ち望んでいるゲームの続報を見ては、やりたいなあと思った。沢山のゲームの情報を読んで、沢山のゲームについて知る。でも、僕はそんなに沢山のゲームをやってはいないんです。

 なので、中学生や高校生の頃、ゲームというのは雑誌で読むのが大半で、自分で遊ぶのはごくごく限られたものだけに限定されていた。本で読んだけど、自分では遊んでいないゲーム、ゲーム屋でパッケージだけ見かけたゲーム。その箱やケースの裏に書いてある文章を熟読したものの、買うこともできないゲーム。世の中にはそんなゲームが大半で、僕が遊んだのはその中のごくごく一握りだった。

 

 それは90年代の思い出。ファミ通も電撃もマル勝も、載っているゲーム情報自体にはさほど違いはないのに全部読んでいて、ゲームラボゲーム批評も読んでいた。あとなんだっけ?巻末に野村哲也のコラムがあった、一般情報誌とのあいのこみたいな雑誌も読んでいたな。変わり種としては光栄が出していたダ・ガマなんてのも読んでいて、格闘ゲームだった頃の三国無双の製作レポートや、技募集なんかの記事を見てワクワクしていた(三国無双はのちに買って、休みの日の友達の家で朝から晩まで遊びまくりました)。

 ゲームクリエイターの人たちは僕にとってはヒーローで、雑誌に載っているインタビューを沢山読んでいたし、週刊少年マガジンでやっていたゲームクリエイター列伝も、中身が嘘くさいと思いながらも毎回読んでいた。憧れて、学校に置いてあったMacintoshHyperCardで、見よう見まねでゲームを作ってみたりもした。この辺の経験が、大学で情報系に進む切っ掛けだったし、今の仕事にも繋がっている。

 

 その頃の僕にとって、ゲームとは大半が雑誌のことを意味していた。読者投稿のコーナーのゲームネタでしか知らないゲームも沢山あった。でもいつか、その名前だけ知っているゲームをやるんだと思っていた。ゲーメスト関連の漫画や、ファミ通PSでやっていた聖学電脳研や、電撃少年や電撃セガサターンでやっていた裏ワザえもんなんかも毎回楽しみに読んでいた。ファミ通でやっていた柴田亜美の漫画も好きだったな。Gセン場のアーミンとかも。あと、ドラクエ四コマも。

 

 こんな風に色んなメディアを巻き込み、ゲームはどんどん進化を遂げる。新しいゲーム機が登場し、それで遊べる新しいゲームが登場する。ただ、僕には遊べないものの方が多かったけれど。それを考えると、僕にとってゲームとはつまり新しい情報のことだったんじゃないかと思う。スラムダンク安西先生が、どんどん良くなる桜木花道のプレイを見ていたかったように、僕も新しいゲームの情報が見たくて見たくて仕方がなかったのだ。

 当時はネット環境がウチになかったので、他の情報源はテレビぐらいだ。伊集院光が深夜にやっていたゲーム番組を見たり(ダンディ坂野が当時プレハブみたいなところに移転したコンパイルに潜入したりなどしていた)、山崎まさよしゲームクリエイターとして主演のドラマを見たりした。そのドラマでは、人を殺しまくる残虐なゲームでなく、イルカが海を泳ぐような優しいゲームを作る男が素晴らしいみたいな始まり方をしていて、その考えは気に食わなかったし、登場していたゲームも買わなかったが、主題歌の「僕はここにいる」は大変良かったのでCDを買った。

 あとは、江戸家小猫が司会の朝のゲーム番組を見たり、渡辺徹が司会のマリオの番組内のゲーム大会で勝って、ゲームを貰っている子供を見て羨ましくて歯ぎしりした。あと、Mrちんとオナペッツがやっていたゲーム番組もよく見ていたな。ゲーム王だっけ?

 

 手に入る情報をかきあつめた。遊んでもいないゲームの攻略本を読んだ。友達の家で少しだけ遊び、ゲーム用のテレビが自分の部屋にある友達をただただ羨んだ。

 今思い出していたら、友達の家で延々ゲームをやっていた記憶は多くある。それらの友達のおかげで、色んなゲーム機に触れたし、64のパワプロで友達内ペナントレースをやっていた思い出は、今でも大切なもののひとつだ。ある友達の家には、複数台のMacがあって、ケーブルでつないでBungieのMarathon Infinityの対戦を狂ったようにやった。MarathonにはForgeとAnvilというマップやキャラエディタがあって、僕はそれを使ってオリジナルのマップを作ったり、友達の似顔絵を敵にしたりして、無限に遊び続けた。ひとつのMac信長の野望を交代でやりながら、自分の手番以外は本宮ひろ志の「夢幻の如く」などを読んでいたこともあったな。

 

 そういえば小学生のときの友達で、親が離婚してからは一切自宅で喋らなくなった(らしい)やつがいたんだけど、僕はそいつの家にPCエンジンがあると聞いて、どうしても、一度PCエンジンで遊んでみたいと思って押しかけ、夜まで遊んでいたことがあった。夜になってそこの家のお父さんが帰ってきたんだけれど、楽しげに遊ぶ息子の姿を久しぶりに見て何か思うところがあったのか、僕を手招きして呼び寄せ、僕に千円札を握らせると、「これからもアイツと仲良くしてやってくれ」と言われた。ゲームを遊びに来ただけで、千円ももらえるだなんて、この家は素晴らしい家だと思ったので、それからもちょくちょく遊びに行った覚えがある。

 

 どんどん話が脱線しそうになるが、ゲームの思い出を思い出していくと、どんどん思い出が溢れてくる。書きはじめるとまだまだ無限に思い出が出てくる。だって、僕が遊ぶ金もないくせに毎日行っていたゲーセンの話もまだ書いてない。友達がバーチャロンを遊んでいるのを見ていたら、このゲームは「エンダーのゲーム」という小説が元になっているんだよと、聞いてもいないのに教えてくれた全く知らない謎のおじさんのことも書いていない。僕は、近所の図書館でその小説を探したが、その図書館には置いておらずがっかりして、ただそれはそうと、そこの司書のお姉さんとなんでか仲良くなったので、その後いっしょに花火大会に行ったりした。

 

 その頃と比べると今では全然変わってしまった。ゲームは依然として情報でもある。ネットのおかげで雑誌のとき以上に大量のゲーム情報が流れ込んでくる。動画も観れる。しかし、ゲームは僕にとって情報というよりは、遊ぶもの、遊べるものになった。なぜなら、僕は専有できるテレビや、持ち歩ける各種ゲーム機、そして、スマホも持っている。ゲームを買うぐらいのお金にも全然困っていないんだ。

 

 ゲームがありすぎてむしろ困るぐらいだ。なぜなら、このゲームをクリアしたら、次にやるゲームももう決まっているから。終わったゲームを延々繰り返すことをせず、新しいゲームをやってしまう。一本のゲームをしゃぶりつくすように遊ぶことが減ってしまった。昔は、テレビに背を向け、画面を見ないで友達の実況だけを頼りにスーパーマリオブラザーズを遊んだりもした。ゲームを作った人が用意した遊び方だけでは飽き足らず、それを使って遊べることは何でもしてしまうぐらい、今目の前にあるゲームだけを遊び続けていた。終わったドラクエのレベル上げも、今ではもうしない。

 そういえば、ビートマニアのコントローラで真三国無双をプレイしたこともあった。ターンテーブルを右に回すと前に進み、左に回すと後ろに戻る。鍵盤を叩けば攻撃はできるが、左右に自由に動かすことが出来ないという制約に気づく。しかし、ターンテーブルを小刻みにスクラッチすると、前後の転回の際にわずかに左右の角度を変えることができるのが心憎い。僕はDJの気分でターンテーブルを駆使し、黄巾党を狩り尽くした。刻んだビートは張角の体力を削り、高まるグルーヴは、無双乱舞として解放される。ビートマニアのコントローラは、戦場をライブハウスに変えた。「お前こそ真の三国無双よ!」、一騎当千を成し得るDJ関羽に、賞賛のコールがかかる。戦場の怒号と喧騒の中、「佞言断つべし」、僕は静かにそう思ったのであった(誇張があります)。

 

 遊べるゲームがあり過ぎる。おそらく遊びたいゲームの平均クリア時間を積み上げたら、僕がゲームに使っていいと思っている時間を勘案すると、既に寿命を超えているんじゃないだろうか?かつてはお金とリソースが足りず、ただ情報を見ているだけであったゲームが、お金もリソースも手に入れても、その押し寄せる物量により、再び遊びきれないものに回帰した。それらのゲームに対する態度は今も昔も同じだ。知っているが遊んだことがない。いずれ遊びたいと思っているが、その時がくるのかは分からない。

 

 僕にとって、ゲームというものが覆っている領域の大半は、今も昔も遊んでいないゲームの話だ。その全てを遊びつくすには人生は短く、しかし、遊ばずに語るだけでは人生はどうにも長い。遊んだものが、遊んでないものよりも優れたゲームであるかどうかは分からない。なぜなら、遊んでいないものは遊んでいないから分かりようがない。遊んだものには、ただ縁があった。そういうことだろう。

 

 遊んだゲームの話をしよう。遊んでないゲームの話もしよう。かつて、僕にとってゲームとはほとんど雑誌のことだった。今ではほとんどネットのことかもしれない。それでも、そのほとんど以外のところに、わずかながらの遊んでいるゲームがある。そして、そのわずかがとても大切なものだ。僕はまだまだゲームを遊ぶ。そして、そのわずかを誤差程度に広げることに成功するだろう。