漫画皇国

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著作権切れの本で面白かった奴10冊+おまけ1冊

はじめに

  年始から今年は江戸川乱歩谷崎潤一郎著作権が切れたの切れてないのという話がありますが、正直その辺に関しては個人的には割とどうでもいいと思っています。なぜならそんなに有名な人たちの本は今でも本屋で普通に手に入るからです(しかし、青空文庫化して頂けるものはたいへん感謝するとともに喜んで読みます、ありがとうございます、ありがとうございます)。普通に本屋で手に入るということは、レア化していませんから、お値段も手頃ですし、少なくとも読者として読む分にはあまり大きな変化はありません。最近は電子書籍化もされています。なので、違いは何百円か何千円か払わなくて済むというだけです。

 一方、それらを利用して何かを提供するという意味では重大な意味があるでしょう。誰の許可も必要とせず、それらを公共のリソースとして利用できるようになるからです。その文章を何か別の物に利用することもできますし、改変して自分の創作に生かすこともできます。有名な作家の作品は利用したい人も多いと思うので、そういった公益はあるかもしれません。

 

 さて、著作権が切れたことで個人的に重要なのは、手に取るまで名前も知らなかった人たちの本が簡単に読めるようになることです。しかしながら、それは単純に著作権が切れただけでは得られるものではありません。誰かがそれらをスキャンして、公開する必要があります。なぜなら、著作権が切れたところで、古本でしか手に入らなければ、結局古本屋でその本を買わなければなりませんし、であるならば、著作権が切れていない古本と何の違いもないのです。手に入れるのが難しい本は著作権関係なく読むのが難しいのです。

 そのような需要に応えてくれていたのが国立国会図書館の「近代デジタルライブラリー」です。このサイトでは、国会図書館所蔵の図書・雑誌うち著作権処理の済んだ一部がインターネットに公開されており、家に居ながらにして、大量の昔の本に接することができます。

 僕は暇を見つけては、ここで本を読んでいるのですが、面白いのは、基本的に興味のある検索ワードで辿り着いた本を読んでいるので、手に取った時点では、その本の著者のことを全然知らないことも多いということです。これらの本のうち多くは、著作権が切れ、公開しやすくならなければ、自分が接することがなかっただろう本です。

 江戸時代の本は印刷が発達していなかったこともあり、筆文字が読み解けず、また漢語も読みにくいため、印刷物として現代に出し直されたものを読むことも多いのですが(林羅山の本朝神社考などは江戸時代の写本版も読んでいるのですが時間がかかってなかなか読み進められていません)、明治以後の本は、学校教育を受けた現代人であれば旧字に気をつければ普通に読めるので、読めて大変面白いです。100年前の本は100年前の常識で書かれています。それは、現代の常識とは少し違います。自分たちが当たり前と思っていることは、果たして過去では当たり前であったのか?現代特有と思っていたことが、実は100年前もあったのか?そういったことが、現代と過去の本を読み比べることで分かるような気がします。そのような時代性を含めて、大変面白い、一生をかけても読み切れないことが分かりきっているような何十万冊もの本が既に公開されているという事実に人類は向き合わなければなりません。

 TPPにより著作権保護期間が50年から70年に延長されるというニュースが流れたとき、「さほど有名でなく現代に出版し直されない本が多く死蔵されてしまう」という意見を目にしました。それは事実そうだと思うのですが、では、既に著作権が切れて公開されている無数の本をみなさんは読んでいるのでしょうか?「死蔵」というのが、「誰も読まない」ということを意味するのであれば、死蔵されるかどうかというのは保護期間云々よりも、「現代の人々が過去の本を読もうとするかどうか?」ということ方がよほど重要なのではないでしょうか?なので、死蔵させたくないと思うなら、まずあなたが今既に公開されている無数の読むべきなのでは??とその時の僕は思いました(この意見を言っている人は既に読んでいる人なのかもしれませんが)。

 保護期間延長についてはポジティブな側面からの印象もネガティブな側面からの印象も両面あるので、決まったら決まったで「そうなのか」と思うだけですが、とりあえず僕は興味のある本を読むだけです。そしてそれは既に無数に存在していますし、今後も増えていくことでしょう。国会図書館に行けばインターネットに公開されていない本も沢山読むことができます。

 

 そういえば、最近では昔の本はGoogle ブックスで読んでいることも多いのですが、なぜかというと、スマートフォンと親和性が高いということと、本文で検索できる(近デジでは見出しだけ)というさらに強力な検索性があるという理由です。

 

 昔の本を読むことについてはまだまだ色々思う所はあるのですが、僕自身まだまだそこまで大量に読めていないので、その辺はまだ心に秘めたままで、とりあえず読み続けるということをしたいと思います。昔の本が面白いよ?という話をすると「何を読んだらいいのか分からない」という反応を貰うことも多いので、とりあえず僕が読んだ中で分かりやすく面白い感じの本を以下10冊とおまけの1冊紹介します。

 近代デジタルライブラリーはなんと今年の5月末に終了し、国会図書館デジタルコレクションに完全統合される予定なので(名前がなくなることは寂しい)、国会図書館デジタルコレクション側のリンクを貼ることにします。また、同一著者の本は1作までとすることにします。

 

(1)学術上より観たる怪談奇話

 田中香涯はまさしく近デジによって僕が興味を持った人物のひとりです。この本では著者の豊富な医学知識と怪談・伝承・史学の知識を元に、様々な奇妙な出来事が語られます。

 僕は山田風太郎の「甲賀忍法帖」が好きなのですが、その理由のひとつに小説に登場する忍法は、不思議な現象に見えて、背後に医学的な解説がなされるというものがあります。これらは、現代の漫画(「魁!男塾」など)にも通じる、実際にはありえないがそれらしい解説がされるという面白みがあり、その源流を探っている読書の中で田中香涯に行き当たりました。本書では「ウンドマーレー」という皮膚から突如出血するという現象に対する解説があるのですが、これは、甲賀忍法帖の朱絹の使う、血煙を出す忍法の解説でも登場する現象です。

 これらのように明治以後(本書は大正12年刊)には「不思議」を「科学」で解説するという大きな流れが存在し、その時代性を感じることができる1冊です。

国立国会図書館デジタルコレクション - 学術上より観たる怪談奇話

 

(2)心霊の現象

 心霊現象を科学するという流れは海外に端を発しますが、日本にも明治期に少し時代を遅れて上陸しました。著者の平井金三は松村介石とともに心象会(心霊現象研究会)を結成し、雑誌を発刊するとともに、様々な霊能者や大道芸人を科学的見地から説明付けようとする流れの中にいる人物です。

 本書の中では、海外で行われた数々の心霊現象の検証実験の紹介と、著者自身が行った実験の解説が行われます。このあたりの解説の中には、昭和の超能力ブームの時期や、それ以後の漫画の中でもそのまま利用されているようなものが散見されます。人間は説明のつかない不思議な現象にいつの時代も興味関心があり、その流れは断続的ながらも現代に通じているということを感じることができます。

 本書の中では「心の見取」という日本語でもって「サイコメトリー」が紹介されているのですが、ここにどれほどの駄洒落意識があったのかが僕は気になっています。

国立国会図書館デジタルコレクション - 心霊の現象

 

(3)心霊の現象

 上と同名タイトルですが、こちらは福来友吉の著作です。福来友吉といえばピンと来る方もいらっしゃるかもしれませんが、小説の「リング」やドラマの「トリック」などでも取り上げられる「千里眼事件」の中心的人物のひとりです。

 明治期には心霊ブームの前に催眠術ブームがあるのですが、福来友吉はその催眠術ブームの中で、催眠術の心理学て研究をもってして博士号を取得した人物です。彼は念写という現象に興味を持ち、その能力を持っているとされた御船千鶴子や長尾郁子を巡って行った公開実験によって千里眼事件が巻き起こされました。

 本書は念写を含めた多くの心霊現象が解説されていますが、本書を読むことで、なんとなく「トンデモ」という先入観を持っていた福来友吉に対して、人を騙す意図というよりは、少なくとも科学によって不思議な現象を解明したかった人であったのではないか印象を持ちました。

 明治大正期の心霊現象関連の本は色々読んでいるのですが、科学的に否定したと書かれているものが、全然科学的とは言えない根拠(「幻覚」の一言でおさめられるなど)に基づいているなど、何が正しくて何が正しくないかの境界が記録や測定の技術の進歩した今よりもさらに曖昧であった時期なのだと感じています。

 福来友吉という人物について問い直すという意味で非常に面白い本です。

国立国会図書館デジタルコレクション - 心霊の現象. 〔本編〕

 

(4)通俗心理奇問正答

 宮武外骨といえばそれまで「人面類似集」ぐらいしか知らなかったのですが、これを読んで非常に良い本だと思いました。本書は宮武外骨による「奇問」に対して、高島平三郎が「正答」を答えるという形式で、常識や考え方、時事の事件などに関する様々な問いについて語られます。

 「問い」という形式を持つことで、ひとりの著者の一辺倒な意見の表明ではない部分が見えてくるのがこの形式の面白いところで、100年ほど前の常識(というには問者も答者も一般人とは言い難いですが)を垣間みることがことができ、現代と過去の差と類似を見て取ることができます。

 これらの問いに対する答えは、現代の常識を持っている僕が読んでも面白いと思うものが多々あり、学ぶことも多い本であると思われます。

国立国会図書館デジタルコレクション - 通俗心理奇問正答

 

(5)近代犯罪研究

 小酒井不木といえば、推理小説家としての立場が有名かもしれませんが、犯罪や心理に関する著作も多数あります(「毒及毒殺の研究」という本が有名ですがまだ読めていません)。

 「探偵小説」というものが日本に上陸したのは明治以後と言われていますが、そこで描かれるものの中では、トリックだけでなく、犯人が殺人等の事件を引き起こした動機もまた重要な要素です。

 人間は何を持ってして異常心理となり、人を殺したりするのか?ということを西欧の探偵小説や犯罪、日本の当時の犯罪などが引き合いに出されつつ解説されています。当時の探偵小説が書かれた背景になる部分の参考図書としてとても面白いです。

国立国会図書館デジタルコレクション - 近代犯罪研究

 

(6)新らしい漫画の描き方

 漫画の歴史をひもとく際に非常に参考になる本です。当時は「漫画」という言葉が、まだ今のようなある種の絵物語を意味する言葉でなく「本画」と対比されるように用いられていた時代です。

 漫画の歴史が語られるとき、手塚治虫特異点となっていることは間違いないと思われますが、それ以前にも「漫画家」と呼ばれた人たちが沢山いたということ、そして、それ以後の漫画には彼らの影響が少なからずあるということを理解する上でとても参考になる本です。

 ちなみに、著者の岡本一平岡本太郎の父ですね。

国立国会図書館デジタルコレクション - 新らしい漫画の描き方

 

【余談】本作については、以下の文章で、もうちょっと言及しています。

mgkkk.hatenablog.com

 

(7)成吉思汗は源義経

 チンギス・ハーンの正体が源義経であるという説は、古く(シーボルトの「日本」など)からありますが、それが再燃したきっかけになったのが小谷部全一郎のこの本です。

 本書では、アイヌの伝承と源義経の類似を「発見」するとともに、通訳として大陸に渡り、義経の足跡を自分で追うことによる様々な「発見」が成されます。実際に行動して現地を歩き回ったということを武器に、強烈な主観を持ってして様々な事実を強引に繋ぎ合わせる力強さと、学者は歴史を紙片の上だけに求めようとしていると一蹴するある種の無敵さによって作られる荒唐無稽さが、学問としては受け入れかねますが、物語る力としては大変面白いと感じます。

 突飛な発想を元に断片を繋ぎ合わせて「もしかしたらこうだったんじゃないのか?」と提案することは、漫画などでは喜んで迎え入れられるものであり、その力の余波が今なお源義経チンギス・ハーンであるとされる漫画(「王狼」など)に受け継がれているように思います。

国立国会図書館デジタルコレクション - 成吉思汗は源義経也

 

【余談】あんまり関係ないですが、義経については天狗のことを調べていたときに色々読みました。

mgkkk.hatenablog.com

 

(8)桃太郎の誕生

 柳田國男の著作の中でも本作が非常に好きです。口頭伝承で伝えられる物語の変遷を追い、比較することで、それらがどのように起こり、どのように受容されながら伝わっていったかということを追うことができるようになります。

 このような民俗学的な試みは、通信技術の発展により情報流通が容易で高速になった現代では、比較的難しくなってしまったかもしれません。全国津々浦々の細かな違いを追いたいにも関わらず、それらが一瞬にして平均化されてしまう可能性が高いからです。地域性というものは、存在はするものの、過去と比較して薄まってきているように思います。

 本作の中には、多くの物語が含まれており、その中には口伝えはもはや行われず、書物の中に変化しないものとして封印されてしまっているものも多数あると思われます。人の口から語られることのなくなった物語は、書物の中に埋もれてしまいます。それが再び誰かに読まれるまでは。

 桃太郎という物語の基本的なバリエーションは現代になるに従って少なくなり、ある程度固定化されたものしか残っていないかもしれません。しかし、本作を読めば、過去に語られた多様な桃太郎に出会うことができます。そして、現代には、バリエーションではなく桃太郎を下敷きにした新たな物語も多数生まれています。童話が起こり、伝わり、時代の流れの中で生きているということは大変貴重で面白いことだと思います。

国立国会図書館デジタルコレクション - 桃太郎の誕生

 

【余談】以前ドラゴンボールのベースは桃太郎ではないか?という雑な説をとなえました。

mgkkk.hatenablog.com

 

(9)変態心理の研究

 「変態心理」という言葉は現代ではあまり見かけない言葉ですが、大正期には頻繁に目にする(僕の読書が偏っている説有り)言葉です。現代語訳するなら「異常心理」や「超心理」でしょうか?「サイコ」という言葉の方が似合っているかもしれません。本作は、中村古峡による変態心理の解説本です。ちなみに中村古峡は「変態心理」という雑誌を発刊しており、その言葉の意味が「千里眼」や「精神病」などという、ネガティブな「きじるし」的な意味をまとって一人歩きしていることを憂う気持ちも込めて、本書を出版したもようです。

 本書では、人の心理に関連する、様々な事象の当時の認識が書かれています。人間の潜在意識の話や、人間が幽霊を見たり、狐に化かされる心理や憑き物、そして、二重人格や催眠など、説明しうるものを説明しようとし、そして、千里眼のような不思議なものについても、抑制的な立場から論じています。面白いです。

国立国会図書館デジタルコレクション - 変態心理の研究

 

(10)忍術魔法秘伝:神秘開放変化自由

 神国武芸研究会の双竜軒先生による忍術の解説本です。「忍術」という言葉をキーワードとして使うことで、伊賀甲賀などの忍術や、大道芸人の術の解説、実は乃木大将は近代における忍術の名手であるという説、ナポレオンやカール大帝、スパルタの使っていたのも皆忍術とするなど多岐に渡って説明されます。

 馬鹿馬鹿しいと言えば馬鹿馬鹿しいですが、とにかく沢山の事例が記載されているので、読んでいて楽しい本です。真面目な本の方が世の中に残りやすい気がするのですが(なぜなら参照されやすいので)、このようないい加減な本も当然時代時代に出版されていますので、それらに触れる機会があってよかったと思います。

国立国会図書館デジタルコレクション - 忍術魔法秘伝 : 神秘開放変化自由

 

【おまけ】実行自在千里眼独習:誰にも出来る千里眼

  本編も面白いですが、本の最初と最後に載っている広告が非常に良いです。例えば、コマ番号8番の左上に載っている広告は以下のようなものです。

美術展覧会出品 -好評わくが如く 売行飛ぶが如し-

裸体美人傑作絵葉書

六枚一組送料共 金二十二銭(切手代用二十四銭)

本品は美術展覧会に出品せられたる真正の裸体美人画を精巧なる写真版に印刷したるものにして筆者は現今洋画界の秦斗たる橋本邦助、岡田三郎助、寺松国太郎、高村真夫、長谷川昇の諸氏なれば其のいかんに濃艶美麗にして………かは諸君の推察にまかす。実に珍中の珍たるものなれば青春男女諸君は速かに一組を注文して永久の家宝とせられるべし(特に密封して送品します)

良さしかありません(「特に密封して送品します」のカッコ書きが最高ですね)。大正2年の本ですが、現代の広告と通じるところがあり、変わらないなあということが感じられます。

 あとコマ番号36の下段の「花の如き美人を印度人のような真黒の顔の美人に変ぜしむ法」という何が目的か分からない薬品の広告もポイントが高いですね。金十四銭を送れば製法を教えてもらえるそうです。チェケラ。

国立国会図書館デジタルコレクション - 実行自在千里眼独習 : 一名・誰にも出来る千里眼

 

おわりに

 上記、紹介した10+1冊は現代的価値観から過去を振り返る際に分かりやすく面白く、そして比較的読みやすいのではないかと思うものとして、僕の読書履歴の中から選びました(なので関連するテーマの本が多いです)。

 しかし、僕が思うに、紹介したところでどうせほとんどの人は読まないでしょう。仮に最初ちょっと読んだところで、最後まで読み通す人は非常にまれではないかと想像します。なぜなら、他にやることがあるからだと思います。その時点で自分が興味を持っていない本に関して積極的に読もうとするには、他にも読みたい本、観たい映画、遊びたいゲーム、喋りたい人、とにかく寝たいなどなど、他にもっとやりたいことが沢山あるはずです。

 冒頭にも書きましたが、本が「死蔵」されるとしたら、そのような他のやりたいことに勝つだけの読みたい理由を、多くの人が過去の本に対しては持たないということが主たる原因となると思います。それに比べれば法律などは些末なことです。

 そして読みたい理由を持たないのは、そりゃそうだと思います。過去の本は過去の人々に向けて過去の常識の元に書かれており、現代の本は現代の人々に向けて現代の常識の元に書かれています。なので、現代の本を読んだ方がずっと読みやすく、内容も分かりやすく、そして心に響きやすいはずです。古い本に記載された情報は、古いので基本的には役に立たないということもあります。古い本を読まないことは普通です。

 

 さて、この長々と書いた文章で僕が言いたかったことは、少なくとも読者という立場でいる以上は、著作権保護期間が50年でも70年でも実は大差ないんじゃないのかな?ということです。超有名人の本は、少々のお金を出せば現代でも手に入りますし、有名でない人の本はインターネットで無料でも読まれません。そして、それらを保存して公開するのは、読者ではなく、ごく限られた人々が公共の仕事、あるいは善意のボランティア活動としてやってくれていることです。

 保護期間が20年延長されたところで、インターネットに繋がりさえすれば、読んだことのない本が既に無数に目の前に広がっています。ならば、それを読むということをしましょう。あるいは、それ以外の本を読んだり、映画やアニメやドラマを観たり、ゲームを遊んだり、人と喋ったり、寝たりしましょう。

  

 2016年 1月3日 新年の挨拶に代えて。