漫画皇国

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中間業者の役割と変数の扱い方の話

 漫画でも音楽でもいいのですが、出版社やレコード会社、あるいは著作権管理業者のような、「作者とお客さんの中間に入る人たち」を排除すれば、作者が金銭的により潤うはず、みたいな考え方があるんじゃないかと思います。僕は前から、この考え方は正しいのだろうか?むしろ、間違っているんじゃないか?と思っているのですが、それについて一回まとめて書いておこうと思ったので書きます。

 何か(例:マージンetc)を変えると別の何か(例:作者の収入etc)が変わる、みたいなことを考えるときに、話をシンプルにするために、取り扱う変数をひとつに絞ることが多いんじゃないかと思います。

 そもそも、何かの物を作って値段をつけて売るということには、「どのような値段で」「どのような人数に」「どれだけの量が売れ」「それを作って届けるためには、どれぐらいの費用がかかるか」というように、沢山の変数が存在します。ここでいう変数をひとつに絞る考え方というのは、あるひとつの変数に代入される値は変えてみるものの、他の変数に入る値は現状のままで固定しておくことを前提とするということです。

 つまり、より高い値段で、同じ人数に、同じだけの量が売れ、それを作って届けるのに同じ費用がかかるとしたら、他の条件は同じで値段だけが高くなるので、儲けは当然大きくなります。しかし、当たり前ですが実際はこんなにシンプルではありません。なぜならば値段が高くなれば、それに伴って買う人数や買う量も変わる可能性が高いからです。今300円の牛丼を600円で売れば、売り上げはきっと倍になるはず!と雑に考える牛丼屋があった場合、その店はきっとすぐに潰れてしまうでしょう。

 このように実際は変数同士がまた別の計算式で繋がっていることは多いです。値段を上げれば売れる量は下がるかもしれませんし、作る量を増やせば原価は下がるかもしれません。このように様々な要素が絡みあった中で、儲けを最大化しようと考えることがお商売だと思います。

 漫画やら音楽やら、ゲームや映画や色んなものがありますが、それらは文化であるかもしれませんし、芸術であるかもしれません。そして、同時にお金を儲けるお商売であったりもするのだと思っています。

 さて、何かの作品を商売として届ける際に「中間に入る数多くの業者を排除できれば、作者が儲かるはず」という考え方は、前述の変数を「コンテンツの価格におけるマージン」に限定した考え方だと思います。つまり、1本のコンテンツが売れる度に、その価格の10%が作者に入る場合と70%が作者に入る場合では、後者の方が7倍になるという考え方です。しかし、そこでは別の変数、「価格が同じであること」「同じ量売れるということ」「費用が同じであること」を前提として固定してしまっています。さて、それらは本当にそうでしょうか?

 この問いについては、明確な答えはありません。ケースバイケースだからです。本で言えば、出版社を通さずに電子書籍などで個人で出版した方が儲かるケースもあるでしょうし、そうでないケースもあると思います。

 この問題は、昔はもっと分かりやすい世界でした。なぜならば、個人が出版し流通させお金を貰うということは、かつては比較的困難なことだったからです。なので、出版社を通す方が明確に儲かる選択であることがほとんどでした。しかし、コンピュータとインターネットの発達によって、複製費用が限りなくゼロになり、物理媒体でない電子版であれば世界中への流通が容易になり、様々なサービスによる決済手段を得ることができます。これにより、以前と比べて格段に、個人出版が従来の出版社を通したやり方に比べて儲かる可能性が生まれました。これが電子書籍ブーム、より正確に言えば、電子書籍出版煽りブームのきっかけになったことだと思います。

 話の流れをあっちこっちに飛び火させないために、ここでは、漫画の出版に限った話にしてみます(なぜなら漫画皇国というブログ名だから)。電子書籍による個人出版において、作者にとって出版社を通した場合と比較し、確定的によくなる部分は「マージンが増える」ということだと思います(金銭面以外では、作品の取り扱いについて作者の自由に意思決定できるとかもあります)。しかし、ここにもいくつかの関門があります。そのひとつは「決済と流通を担うプラットフォーム」という新しい存在が登場するということです。これは例えばKindleAmazonです。

 このような「プラットフォーム」は従来の出版で言えば、取次を含めた流通と小売り、そして、出版社の一部の機能を代替してくれる存在です。ここで、このプラットフォームに支払う利用料が、従来の紙の出版流通と比較してどれだけ安くなるかが儲けるための鍵になります。悲しいことに、出版社を通さなかったとしても、結局、販売と流通と決済を担う別の存在を利用しなければいけないのであれば、売り上げを全て自分の懐に入れることは叶わないわけです。しかし、それでも、従来よりは何倍もののマージンを得ることが可能です(さらに、例えばKindle専売などにすればよりマージンがアップしますね)。

 ここで、出版社を通した場合と比較して、書籍の価格が下がらず、同数売れれば収入が増えるのは確実なのです。しかしながら、現状の電子出版では基本的に価格は下がる傾向があり、そして、売れる数は紙よりも少なくなる傾向があります。

 価格には常に下方圧力が存在します。なぜならば、買う側からすれば安い方が得だからです。個人による電子出版になった場合、在庫を持たなくていいことや、関わる人数が減った分だけ、価格を下げることが可能です。1冊あたりの作者の得る額を下げてでも価格を下げれば、その分多くの人が買ってくれる可能性が高まるからです。しかし、価格というものは一度下げると上げることが難しい。下げられるということで下がってしまい、上げることが難しいとすると、長期的に見て1冊あたりの価格は下がっていく可能性が高いと考えられます。また、「紙と言う物理媒体が介在しない以上、値段は安くなってしかるべき」という声も存在します。安くできる根拠がある以上、安くするべきであるという考え方を持つ人は多いのではないでしょうか?


 そして、その分、量が売れるのかと言えばこれも難しいところです。なぜならば、関わる人が少なくなる個人出版は、自分の利益のためにその本の売ろうとしてくれる人数が減るからです。作者のファンであり、ボランティアでやる人はいるかもしれません。アフィリエイト目的で本を紹介する人もいるかもしれません。しかし、それは、旧来の出版流通において、出版、広告、流通、小売などの様々な場所で拡販しようとする人たちがいる状況からすれば、現時点の電子出版では人数が少なくなるはずです。

 僕の個人的な認識では、商品とは「売れる」ものではなく、明確な意志を持って「売る」ものだと思っています。つまり、「良い商品が作れた」ということと、「それが売れた」ということには大きな距離があると思っているということです。その間を埋めるという仕事を、ひとりの力で継続することはとても難しいことだと思います。

 また、漫画の場合、雑誌連載という場所がなくなれば、目に触れる機会もまた減ってしまいます。雑誌連載はしつつ、電子書籍を個人で出すという契約ができればいいですが(そういう交渉をしている人も存在していますが)、雑誌は赤字でも出し、単行本で採算をとるという漫画出版ではこの交渉が成功する可能性は特に有力な漫画家でもない限り低いと思われます。

 個人による電子書籍の出版で儲けるということは、つまりは、従来は他人に頼んでいたようなこと、編集や広告や拡販のようなことを作者が自分自身でやることができれば、その分の仕事の分だけ自分の収入が増えるということです。しかしながら、ネットのおかげでそのハードルは低くなったとはいえ、それらの仕事を自分自身で完璧に出来る人はそう多くはないのではないでしょうか?そして、それを担ってくれる常勤の人を一人雇うことにすれば、どんなに安くても年間数百万円は必要ですし、専門的な技能を持つ人であればすぐに一千万円以上はかかってしまいます。この費用感が、出版社を通した場合と比較し、どちらがお得かという話になるでしょう。そして、さらに流通と決済は依然として外部を利用するしかないのです。

 僕が思うに、おそらく電子書籍出版が今よりもより一般的になる未来には、中間業者としての電子出版会社がいることが当たり前になるのではないかと思います。ただし、その電子出版社が今ある出版社と同じ会社であるとは限りませんが。そして、作者は漫画を描くことに集中し、電子出版社が管理と広告と拡販の部分を担い、流通決済のプラットフォームとの交渉を代行したり、あるいは、プラットフォーム自身となるかもしれません。要するに、結局今とあまり変わらない構造が存在する未来を想像しています。

 僕が今までの経験で見てきた範囲では、中間業者は必要だと考えています。それはそれらの業者が「必要悪」などではなく、「いることでより効率的になる存在である」と考えているからです。例えば、中間業者が入ることで、その商売における恒常性や持続可能性が高まるものだと僕は思っています。なぜならば、なにより当たる当たらないを制御できない商売では、複数の売り物のラインを持っていることがリスクヘッジに有効ということ、また、関わる人間が増えれば増えるほどに、その商売を成り立たせようとし続ける人間が増えるからです。ひとりの人間のやる気うんぬんでは止まれない状況になることで、その商売の持続可能性が向上しますし、過度の価格競争の抑止にもなる可能性があります。

 僕が考えるところでは、コンテンツを商売として成り立たせ続ける主体は実は作者ではなく、中間業者であり、それはつまり、その市場で食べていく人間の多さと関係していると思うのです。ちなみに、商売として成り立たなくてもコンテンツは製作され続けるとも思います。

 僕は未来を完璧には見通せませんが、漫画を描くということとそれで商売をして儲けるということの間には、その漫画の方向性を考えること、多くの人に知らしめること、知った人に届けること、価格を十分高く保つこと、お金を受け取ること、などの多くの仕事が存在します。それをひとりでできる人が大多数であれば、中間業者がいない方が効率がよいかもしれませんが、僕はそれができない人の方がずっと多いと考えているために、そんな未来は想像でき難いです。なので、電子出版が隆盛したとしても、作者が単純に金銭的に潤うということはレアケースではないかと思いますし、多分、中間業者はいなくはならないと思っています。

 音楽とか映画とかゲームとかでも、基本的には同じ考え方です。中間業者の入らない業界は、持続的に商売にし続ける人が排除されるため、ヒットの多くは偶然に頼むことになります。いや、業者がいたところでヒットの大半は偶然性を伴うものですが、そこに再分配が生まれているということが見過ごせないと思います。つまり、中間業者による再分配が行われない場合、ごくまれな大成功者と、無数のそれだけでは食ってはいけない人たちでその分野が構成されることになります。そして、それをよいと考えるかどうかだと思います。そういう山っ気のあるものを好む人もいるでしょうし、そうでない人もいるでしょう。

 さて、何かを考えるとき、変数をひとつだけ変えて、他は今と同じままと仮定するのは都合がよい論法です。計算が簡単で、分かりやすい結論が導きだせますから、人を説得したいときには便利な道具です。しかし、実際には考慮すべき変数同士が密接に絡み合い、ひとつの変数をいじれば、別の変数に影響があります。だからこそ、そう簡単に結論は出せないのです。

 なので、そういう内容のプレゼンとかを見ると、そんな簡単な計算に騙されない方がいいですよ!と僕は思いますが、僕が上で挙げた例なども、今の状態に固定されているものが多数存在し(販売の形態や利ざやを稼ぐ方法など)、これもまた人を騙そうとしている文章なので、気を付けなはれや!という感じです。未来を完全に見通せる人はいませんし、未来は分かりません。だから、何が正しいと信じて賭けるかは個々人が自分の責任でやって、成功したり、しなかったりするものだと思います。

 なんでもそうですが、「簡単な解決方法がある」と思ってしまうのは、考慮すべき要素を少なくし過ぎているから、そう思い込んでいるというだけではないでしょうか?

 

 何が言いたいのかいまいち自分でもよくわからなくなってきたので、この辺で切り上げます。