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「逆流主婦ワイフ」と居場所の話

 先々月ぐらいに1巻が出たイシデ電の「逆流主婦ワイフ」の話を書きます。「逆流主婦ワイフ」は最近僕が連載を楽しみにしている漫画のひとつで、連載雑誌はコミックビームです。

 逆流主婦ワイフは何の漫画かと説明しようとすると少し困ってしまいます。最初うっかり、「主婦をテーマにしたオムニバス漫画」などと書こうとしてしまいましたが、よく考えてみると、この漫画の各話の主人公は、主婦のときもあれば、既婚女性(ワイフ)ではあるものの主婦ではないときもあり、独身女性のこともあり、主婦になることに憧れる男性であることもあります。結婚や、結婚後の生活や、離婚や死別などの夫婦の関係性について取り上げている話もあれば、家事にのみ焦点を当てているものもあって、一概にこれがテーマだ!とは言いにくいものの、でも、それぞれのお話の背後には共通するものがあるようにも思います。この漫画は「主婦がテーマの漫画」とは言い切れませんが、主婦からそう遠くはないあたりにある色々なものに関連する漫画で、なんというか「主婦っぽいものをテーマにした漫画」ではないかと思いました。どうでもいいかもしれませんが。

 

 さて、この漫画は第一話の内容が衝撃的なのですが、何が衝撃的かは漫画を読んでもらうとして、そこで描かれる、ふんわりとした表面で覆い隠されているものの、それを抜けた底に溜まっているコールタールのようなどろりとした感情に、読んでいておそれおののいてしまったのです。その感情に気づいたことのショックと、その感情の粘性の濃さに、何がこの人をこのような状況にここまで追い込んでいるのかという疑問が生まれます。ということを書きながら考えていて、この本に収録されている複数の物語には、表面上見せている顔と、その裏に抱えているもののギャップのようなものが描かれていることが多いように思いました。

 それは変なことかと言えば、普通のことです。もし、心の中で思っていることをあらゆる人に対して全て表面に出している人がいたとしたら、その人は狂人と呼ばれるのではないでしょうか。ギャップがあるのが普通だと思います。では、なぜ、そう表面と裏に乖離があるように振る舞ってしまうのかというと、きっと、「自分がこう思っている」ということと「自分がこう思われたい」ということの間にギャップがあるからではないかと思います。そして、自分もそのギャップを持っているくせに、他人も同じく持つそのギャップに気づいてしまったとき、人はぎょっとしてしまうのではないでしょうか?

 素敵な奥さんの手の込んだ料理の裏側にある感情や、気弱な夫の気弱な行動の裏側にある感情、エキセントリックな若妻のエキセントリックな行動の裏側にある感情、などなど、色んな人が色んな感情を抱えていて、そして、それを出したり出さなかったりします。僕が思うには「表面上の人格はカリソメで、その裏側に隠れているのが本性である」というのは違うんじゃないかと思っていて、表面上は他人にそのように見せたいと思っていることを含めてのその人なんじゃないかと思います。なので、普段見せている顔だけでは足りず、裏側に見せる顔だけでも足りず、その両方を見たときに、そのキャラクターが理解できたような気がして面白く感じます。

 

 「夫婦」というのは不思議な関係だと思います。結婚するということは、色んな在り方がありますが、少なくとも一般的にはその時点では、「一生一緒に暮らす」と思ってのことでしょう?赤の他人であったはずの二人がそう思うようになるということはなんだかすごくて素晴らしいことだなあと思います。でも、そこにも前述のような表面と裏側の二面性のギャップは残るものだと思います。むしろ、そんな近い距離で長く続けるはずの関係であるからこそ、相手に見せる顔と相手に見せない顔を上手く使わないと、破綻してしまうこともあるのではないでしょうか?

 全てをあけすけに見せられるかというと、それが出来る間柄もあるかもしれませんが、出来ないことも多いんじゃないかと思います。ただ、表面を取り繕うことは、その人と一緒に居続けるという目的のためのことだと思うので、それは価値のあることなんじゃないかと思いますし、そのギャップが耐えられないほどに大きくなり過ぎると離婚したりするんじゃないでしょうか。

 また、世の中には、そんなギャップが互いに大きくなり、互いにしんどいにも関わらず、お金や子供の問題から離婚せずに一緒に生活をし続ける家庭もあり、そんな家庭の中で生活する子供がすごく嫌な思いをすることもあります。というか実際、僕は昔がそんな環境で生活していましたが、そんなぴりぴりした家でも、その状態のままでも何十年も生活をしていれば、一般的な夫婦関係とはまた異なるだろうある種の信頼関係が生まれたりするようで、互いに上手くやれるようになったりもすることもあり、やっぱり夫婦というのは不思議なものだなと思います。

 

 何が言いたいかというと、繰り返しになりますが、夫婦という関係は「赤の他人であった二人が一生一緒に暮らすということを決めて婚姻という契約で互いを縛ったもの」であるということです。そのような濃い人間関係であるとともに、人のよって多種多様な在り方があるので、なんだか面白いものなんだろうなということです。嫌になったらといって即解消するのも難しく、かといって、親兄弟のように仮に縁を切ったとしても何かしらしがらみが付きまとうようなものでもない、一個人が自分の意志で選ぶ関係性です。なので、たぶんその周辺には色々なものが渦巻きやすいような気がします。そして、それが面白いような感じがします。

 

 話が脱線していますが、もっと脱線させるとして、とりわけ「主婦」というのは社会的に特殊な立場だと思っています。ただ、例えば「主婦と会社員は何が違うか?」と考えてみた場合、実は本質的にはあまり違いがないんじゃないかと思います。つまり、他人のために働いて、それによって生活をしています。では、何が大きく違うかというと、組織の規模ではないでしょうか。主婦の属する組織は「家族」であり、会社員の属する組織は「会社」です。一般的には会社の方が家族より大きいものです。組織が大きくなるとどういうことになるかというと、もはや「仕組み」がないと運営できなくなってしまいます。仕組みとは例えば「人の労働を管理する仕組み」や「人の仕事を評価する仕組み」などです。そして、主婦業にはそれがないことが大半ではないかと思います。なぜなら小さい組織なので、なくてもなんとかなったりするからです。

 さて、仕組みがないとどうなるかというと、手を抜こうと思えば際限なく手を抜くことができ、凝ろうと思えば際限なく手をかけることができるということです。そして、それらが適切に評価されるかどうかに基準がなく、それゆえ保証がないということです。ということは、夫婦間の関係性によって良し悪しの分散が非常に大きくなってしまうのではないでしょうか。労働基準法のような一般的なルールがあるような賃労働ですら、良い場所と悪い場所の差が大きいので、ルールを自分たちで設定しなければならない関係ではそういう人間と人間の関係性が、その「主婦」という仕事の価値を判断する上で非常に色濃く出てしまうということです。

 また、前述のように僕は家事をすることと会社で働くことの二つに本質的には大きな違いがあるとは思っていないですが、それ以外の部分で、大きく異なるのは「お金が介在するかどうか」ということです。「お金」というものが何かというと、僕が思うに「他の何かに換えられるもの」です。つまり、自分が属していない別の組織と関係を持つ上での通行券のような役割を果たします。お金がなくても組織の中の関係は成り立ちますが、組織の外との関係を成り立たせるのは難しいです。例えば、家庭の中で「自分は今日の洗い物をしたから明日は貴方がして?」と言うことはできると思います。会社の中で「今回は自分が会議の設営を行うので、次回は貴方がして?」ということもできます。しかし、家庭の中にいない人に洗い物を頼んだり、会社の外にいる人に会議の設営を頼むとしたら、そこにはきっとお金が必要です。

 主婦というのは一般的に賃労働ではありませんから、お金を得ようとすると、夫の収入をあてにしなければなりません。そしてお金がないと、外の世界と関わることが難しくなります。ということで、夫との関係性が金銭面でも非常に重要になるということです。この辺は家庭によって異なりますが、夫の得た収入を完全に管理する主婦の人もいますし、夫から月々の生活費として一定額を出してもらっている主婦の人も、家計に必要なお金を必要に応じて夫にお願いしなければいけないようなめんどくさい環境の主婦の人もいます(僕の知り合いの範囲で)。今挙げた例では、後になるほどに、お金を自由にできる手段が限定的になるため、夫との関係性を重視しないと、追い込まれてしまったり、ご機嫌をとらなければいけなくなったりしてしまうことも、見聞きします。

 なので、人間関係を上手く構築する力がないといけないように見えて、そういうものがどうにも欠けている僕なんかは、知り合いを見ながら大変そうだなあと思ったりします。

 

 話しを戻しますが、逆流主婦ワイフの第一話の主人公である主婦の人は、主婦であるがゆえにこのような小さな組織(家族)という場所を、「妻」という立場で、ナワバリとして維持管理しなければならないという強迫的な業を背負った人のように思えました(彼女の背景に関しては二巻に収録されるであろうお話に詳しく描かれます)。それゆえ、夫に接触する浮気相手に対して、あのような接し方をすることになったのではないかと。自分が生きるために自分の正しい居場所を確保するということは、それを阻む者を全力で排除することに繋がると思います。

 また、一巻の最後に収録されているお話もすごく好きなのですが、そのお話の主人公は、早く家を出るために、その時点で力のある男性を夫として選びます。自分の今の居場所を捨て、新しい居場所を確保するための方法が、結婚をして家を出ることだったのです。ただ、彼女は不器用で、その試みは上手くいったようには見えません。

 

 一巻の最初と最後で描かれるこの2人は合わせ鏡のような存在だと思います。前者は見た感じ「素敵な奥さん」で、後者はそれと真逆です。しかし、この2人は2人とも過干渉な祖母に育てられ、母親はそんな祖母の元を去っています。前者は、そんな母を軽蔑し、祖母を軽蔑し、後者は、そんな母と同じ道を、祖母と同じ道を歩んでしまいます。そして2人とも幸福とは言いがたい結婚生活を送っているのです。望んだような居場所を手に入れられていません。

 この2人にとって結婚とは落ち着くべき居場所を求める行為だったように思いますが、決して結婚生活はそのような波風のない水面ではありませんでした。逆流です。逆流の中で同じ場所に居続けるには、前に進もうとしなければなりません。今いる場所と、行きたい先と、戻される力の引っ張り合うあたりに、これらのお話の面白みがあるように感じます。こうありたいのに、そうなれない。そして、自分がそうで、自分以外の人もそうであることに気づいたりします。

 

 この漫画はオムニバスですが、ある話の主人公が別の話の脇役で出てきたり、ある話の脇役が別の話の主人公になったりします。色んな話があって色んなことになりますが、それで終わりではなく、続いているのです。なので、この人たちは逆流に逆らって歩きながらどうなるんだろうなあ?と思いながら、毎月楽しみに読んでいる感じなのでした。まとまりませんが、ダラダラ書いていたら長くなったので、とりあえず今日のところは終わりにします。

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