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「ダイの大冒険」のハドラーについて

 「ダイの大冒険」がすごく好きで、中でもハドラーがすごく好きなので、その話を書きます。ちなみに僕が生まれて初めて自分のお金で買った漫画はダイの大冒険の4巻です。

 ダイの大冒険ドラゴンクエストの世界観をベースにした漫画で、主人公は勇者のダイ、そして裏の主人公はヘタレな魔法使いから頼れる大魔道士になるポップと言われたりなんかしています。そして、僕が思うにこの漫画の影の主人公はハドラーなのではないかと思うのです。まあ、主人公というには、ラスボスである大魔王バーンとの最後の戦いの前に散ってしまいはしますが。

 

 さて、微妙にネタバレをしたところで、ここから先はガッツリネタバレを含めた話をしてしまうので、未読の人は読んでから帰ってきてくれることを推奨いたします。なぜなら漫画は漫画で読んだ方が絶対に面白いからです。

 

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 なぜ、僕がハドラーを主人公のひとりであると思うかというと、それは成長の振り幅が大きいからです。物語が進むにつれて、主人公がどんどん強くなってしまうというのは漫画、特に少年漫画の常ですが、この漫画でもそうであり、序盤の強くて強くてたまらない存在であったクロコダインのおっさんは中盤では既に盾としての役割しか認められず、終盤では盾にすらしてもらえず戦力外通告されてしまいます。一方、前時代の魔王であったハドラーもまた最初期から登場したと思いきや、負けを重ね続け、同様に相対的に弱くなってしまうのです。しかし、自分の弱さを自覚したはハドラーはそこからの盛り返し、肉体的にも精神的にも主人公ダイに並ぶほどの成長を遂げます。その振り幅こそが感動的だと思うのでした。

 

 ダイの大冒険の世界は、勇者アバンが魔王ハドラーを倒してから幾年かが過ぎ、一見平和になった世界に大魔王バーンが現れることから物語が始まります。平和な世界で温和な心を手にしていたモンスターたちは、大魔王の影響で再び凶悪になり、ハドラーはバーンの手下として全軍を束ねる魔軍司令という称号を与えられて復活します。ダイはアバン先生の手ほどきのもと、1週間で勇者になるためのスペシャルハードなトレーニングをしているのですが(ちなみに前述のポップはアバンの押しかけ弟子)。そこに現れるのが魔軍司令ハドラー、この時点でハドラーは強敵です。なにせ、かつての魔王であり大魔王の軍を束ねる存在なのですから。ハドラーを倒すため、アバン先生は自己犠牲呪文メガンテを使い、その命を引き換えとすることになります。しかし、それでもハドラーにトドメを刺すには至りませんでした。ハドラーはダイに覚醒した竜の騎士の力で撃退されることになります。

 

 その後のハドラーはしばらくいいとこなしです。あれだけ強そうに登場したにもかかわらず、アバンの一番弟子であるヒュンケルと戦っては負け、組織上の部下であるはずのバランには舐められ、あげくに、勇者一行の寝こみを襲おうとしても負けてしまいます。バーンの魔力によって何度でも甦ることができるハドラーは、それゆえに負けても復活し、また負けてしまうのです。かつては魔王として、世界を支配しようとすらした男が、今では無能の中間管理職、自分より強い配下に取って代わられることに怯え、バーン失敗を責められて、冷や汗を流しながらガクガク震えるような無様さです。格好が悪く、どん底です。これはある種、主人公では描けないことです。特に少年誌では、主人公があまりに悲惨になるような展開は難しいからです。

 この点ではポップもまた同じで、意気地なしで臆病者で、何かあると真っ先に逃げ出すような男が、勇気を出して自分より強い敵に立ち向かうからこそ感動的なのです。勝てない敵に立ち向かうことは、端的に言えば馬鹿です。なぜなら勝てないと分かっている勝負だからです。しかし、それでも立ち向かうことに意味があるのです。なぜなら、そこには負けられない理由があるからでしょう。自分が酷い目にあったとしても、それでも守りたいものがあるというところに、その人の強い信念が見て取れるからです。格好悪い人間が必死で格好良くあろうとすることはとても格好良いことだと思います。

 

 そんな格好の悪いハドラーは、負け続けた果てに、部下であり卑怯者でありハドラーを本質的には見下しているであろうザボエラを脅迫して、自分をザボエラの研究する超魔生物に作り替えるということをもちかけます。超魔生物とは生物兵器です。そして、その弱点を完璧に補うために、ハドラーはもう二度と魔族に戻れない怪物になるという選択すらします。魔族として生まれた誇りも捨て、ただの戦闘兵器となり、死ねば骨すら残らずただ灰になると知って、地位も名誉も捨て、ただ強くなるために、ただダイたちと対等に戦うためだけにハドラーは戻れない道を歩むことになるのです。

 怪物と化したハドラーは再びダイたちの前に立ちふさがります。「己の立場を可愛がっている男に真の勝利などない」、かつて弟子を守るために命を賭した宿敵アバンを思い出し、ハドラーはそう語ります。そして、遂にダイを圧倒してのけるのです。ダイが使うために作られた最強の剣「ダイの剣」を前にして、同じくオリハルコンで作られた覇者の剣を手に、その強さを見せつけるのです。そこにはもうあの無様な元魔王の姿はありません。不退転の決意とともに、強さと引き換えに何もかもを捨てた男がいるのです。ハドラーはオリハルコンのチェス駒を使い禁呪を用いて新たなる部下たちを生み出しました。かつて同じく禁呪で生み出したフレイザードは我欲の塊のような存在でした。それはそのときのハドラーの心の写し鏡です。今度の部下たちは、生みの親のハドラーのために涙を流して忠誠を誓う、ハドラーの心の成長をそのまま示すような存在でした。

 成長したハドラーは、たったひとりで、バランとダイという最強のコンビを喜んで相手に迎えます。バランの実力に怯えた弱いハドラーはもういません。ダイの寝込みを襲うとした卑怯なハドラーももういません。2人を前に、対等に戦ってみせるのです。ハドラーは確かにそのつもりだったのです。

 しかし、しかしですよ、大魔王バーンはそんなハドラーの心を踏みにじるのです。バーンはハドラーの体の中に「黒の核晶(コア)」という爆弾を埋め込んでいたのです。黒の核晶は刺激してしまうと大陸がひとつ吹き飛ぶほどの威力を持っています。それに気づいたバランとダイは全力を出すことができません。バランが全力をもってしても、出来るのはその爆発の威力を食い止めることぐらいです。なんということでしょう。ハドラーが全身全霊をもってした挑んだ戦いは、なんら対等な戦いではなかったのです。ハドラーの決意も、ハドラーのプライドも、ハドラーの賭けた全てが、侮辱され、汚されてしまいました。バランは黒の核晶を抑え込むことで命を落とし、にもかかわらず、ハドラーはおめおめと生き残る結果となってしまうのです。

 

 なんという酷い裏切りでしょう。

 

 ハドラーはついには大魔王バーンに叛旗を翻します。「オレをなめるな、大魔王」、そう叫んだハドラーは、ダイたちを追い詰める大魔王バーンの前に立ちはだかり、完全な状態ではないとはいえバーンを圧倒して、ダイたちを逃がします。しかし、肉体の一部と化していた黒の核晶を引きちぎられたハドラーには、もうほんのわずかな時間しか残されていませんでした。そんなハドラーが最後の最後に望んだことは、ダイとの本気の勝負だったのです。ハドラーとその部下たちは大魔王の城で、ダイたち一行が再びやってくるのを待ちます。放っておいてもじきに尽きる命です。ならば戦って死ぬのです。それを自らが生きた証とするのです。ハドラーは、ダイと対等に戦うためにあらゆるものを捨て強くなったのですから。

 きっともはや勝敗は関係なかったのでしょう。ハドラーは全力でダイと戦い、ダイは全力をもってしてハドラーを倒します。それはハドラーにとって満足のいくものであったようです。

 

 そして、そんな満足のいく敗北がまたしても汚されるのです。バーンの配下のキルバーンによって仕掛けられたトラップは、ハドラーもろとも逃れられぬ炎となってダイを包みます。そこに一瞬早く助けに現れたのはポップです。氷の呪文を使い、迫りくる炎を食い止めます。しかし、炎の勢いは強く食い止めるので精一杯、逃げ出すには隙がありません。炎に押され限界を迎えようとしているポップに「最後の最後まで絶望しない強い心こそがアバンの使徒の最大の武器ではなかったのか」、そう投げかけたのはなんとハドラーです。既に全身が崩壊しつつあり、朽ちていきつつあるハドラーがそこで再び立ち上がるのです。全身が砕けながらも炎を支え、ポップのためにダイと逃げるための時間を作るのです。ポップは炎の中に道を開き、ダイを逃がすことに成功します。しかし、一瞬遅れた自分は再び炎に包まれてしまうのでした。

 ポップは何故遅れてしまったのでしょうか?それは、逃げ出す瞬間、かろうじて形を保っていたハドラーの体が砕けてしまうのを見てしまったからです。そんなハドラーの姿に、自分たちと同じ姿を見てしまったからです。ポップはハドラーに手をさしのべようとしてしまったのです。どうしても見捨てることができなかったからです。ハドラーはポップにとっても師であるアバンの命を奪った憎い敵であったはずです。それでもポップはハドラーに自分たちと同じものを見出しました。自分たちの誇りをかけて、仲間と助け合い、努力して強くなり、正々堂々と戦うハドラーの姿は自分たちとどれほど違うのかと。同じじゃないのかと。

 流した涙さえ一瞬で蒸発する灼熱の中、ただ燃え尽きるのを待つばかりとなったポップとハドラー、そこでハドラーは生まれて初めて神に祈るのです。魔族のハドラーが涙を流し、人間の神に祈るのです。「この素晴らしい男だけは生かしてくれと」と。「オレのような悪魔のためにこの男を死なせないでくれ」と。

 

 ポップはハドラーを助けたいと願い、ハドラーはポップを助けたいと願いました。全く逆の立場でお互いの命を奪い合おうとしていたような二人が、遂には互いを助けたいと願うのです。願い、祈るということは無力ということです。そのために何か出来ることが残っていれば、祈っている暇はありません。願う暇があれば動くべきです。何もできないからこそ祈るしかないのです。祈りとは希望を求める行為であり、そして、祈るしかないということは絶望と紙一重です。我欲を追求し、人々を蹂躙し、世界を征服しようとしたかつての魔王は、誰かと対等になるために全てを捨てて、ただ強くなることを選ぶ男になりました。仲間と助け合い、正々堂々と戦う男になりました。そして、たった一人の人間が生きることを、祈るような男になりました。

 そんなハドラーの変化に呼応するように、この物語には救いが訪れます。それはかつてハドラーがダイやポップから奪った存在、アバン先生という男の形をしています。自己犠牲呪文によって命を落としたと思われていたアバン先生は、奇跡的に生きていたのです。そして、再び弟子たちの前に現れたのです。それは同時に、かつての宿敵であった魔王の前でもありました。アバンは成長した弟子たちだけでなく、同じく成長した宿敵の姿にも驚きます。かつて知っていた男とはレベルの違う存在であると。

 ハドラーはかつて自分が奪った存在を、ポップとダイに返すことができました。ハドラーの最後の一撃は、そんな奇跡的な場面ですら汚そうとするキルバーンに向けられます。ハドラーはアバンを守り、跡形も残らない灰と化します。ハドラーの最期の死に場所はアバンの腕の中なのでした。それは満足する死だったのです。

 どうですか?こんなに格好いい男がいますか?物語の序盤、一度は恐怖で逃げ出したポップはアバン先生の言葉を思い出します、「修行で得た力というものは他人のために使うものだと私は思います」。この言葉はハドラーを助けようとしたポップのことであり、そしてまたポップを助けようとしたハドラーのことではないでしょうか?敵対する間柄でありながら、ハドラーは何度もアバンと対峙し、そして、いつしかアバンの教えを体現するような存在となっていたのです。灰となって消え行くハドラーを見てポップは思いました。「ハドラー、最後の瞬間あんたはまぎれもねぇ、仲間だったぜ、おれたちのな」と。

 

 この後、その灰の力がアバンを守ったり、部下であるヒムにその面影が受け継がれたりなどはあるわけですが、これがハドラーの物語です。

 今回書いた文章は、ただのあらすじですが、僕にとっては反芻です。これを書くことは、僕の中であの漫画を読んだときの感動的な気持ちを、自分の中で再確認しながら味わうことができました。おかげさまで書きながら思い出して涙ぐんできてしまいましたし、もう一回ちゃんと漫画読み直そうという気持ちが盛り上がってきたので、読み返そうかと思うので、まあこの辺で。