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「おさなづま」について

 この前、なんとなく読み返したら面白くて最後まで読んでしまったので原作:森高夕次、画:あきやまひできの「おさなづま」について書きます。

 

 「おさなづま」というのはアクションで連載されていた漫画で、親の経営する鉄工所に融資を受ける代わりとして、ロリコンの中年男性、旗一男のと結婚することになった、16歳の旗一子の物語です。このおさなづまがお金を目当てに描き始めた漫画がヒットして、ヒットして、ヒットしまくるというのがこの漫画のストーリーです。

 

(まいどごとくネタバレが入ります)

 

 この漫画は、当該おさなづまが描く「めぐみのピアノ」という漫画が、雑誌を牽引し、単行本が売れに売れ、高畑勲に似た監督によってアニメ化され大ヒット、スピルバーグに似たような監督によって映画も大ヒット、総理大臣が訪問、アメリカ大統領からの引き合い、そして、中国の国家元首もファンであり、この作品を正式に輸入するためだけに、貿易協定への参加を決定したりします。

 とにかく、考えうる限りの大ヒットを遂げるということのハチャメチャさが面白く、「めぐみのピアノ」が実際はどんな漫画であるかは、断片的にしか見せられることがありませんが、何の取り柄もなさそうであった、おさなづまの描く漫画が、人の心を揺さぶり続けるという意外な光景を延々と目の当たりにすることになります。

 

 この漫画の連載が始まったのは、90年代の最後ぐらいで僕は高校生ぐらいだったわけですが、当時の記憶によると、その頃から少年漫画の傾向が、パワーバトルから、特殊能力を使ったトリックバトルへの移行をしていたような時期で、よりパワーの強い敵が出て来るような漫画はインフレだインフレだと言われていて批判の的であったように覚えているのですが、そんな感じに少年バトル漫画がインフレ率を控えていた時代に、それを物ともせず、インフレすることこそが正義であったような漫画であったので、よりいっそう、次は一体どんなすごいことが起こるんだ??という気持ちで読んでいました。

 パワーがインフレする漫画にはメリットとデメリットがあると思うんですけど、デメリットの一つは、倍々で強さが高まっていくと、遠からずそれ以上に強くすることができなくなるという点があるのではないかと思います。

 例えば「ドラゴンボール」では、強さの絶対的表現として、フリーザの「この星を消す!」や、セルの「太陽系を吹き飛ばすほどの気力が溜まっているぞ!」をやっていましたが、残念ながら、もはやそれ以上の分かりやすい破壊表現を作るのは厳しいと思います。なぜならば、人間の認知の範囲で最大のものが太陽系という規模だと思うからです(まだ銀河とかはありますが)。そこで、魔人ブウ編では強さが相対評価となり、魔人ブウがこちらの強い味方を吸収することで、プラスアルファで強いという表現に移行しますし、強さの指標ではおそらく作中最大であったベジットも、悟空とベジータが合体するから相対的に強いのであり、さらには、合体が解けて強さが下がった状態で決着を迎えることとなります。おそらくあのままドラゴンボールが続いていたとしても、さらにそこから強くなったという表現を、読者が納得する形で生み出すことはおそらく厳しく、その路線が求められていたのだとすれば終わるより他がなかったのでないでしょうか。

 

 その点、「おさなづま」では、長く続けるというよりは、走れるところまで拡大して走りきって、それでもう終わってしまおうという気概のようなものを読みながら感じ取っていましたし、このペースですごさが拡大しては、もし、ここから先を描くのだとすると、もう宇宙人を感動させるとかでもするしかない領域まで単純に突っ走ることになります。

 

 さて、目に付く表現としては倍々ですごくなっていく作中漫画の「めぐみのピアノ」なのですが、これはギャグとして捉えることができる一方、それを裏から支える上の表現として、「漫画を読んで感動する」という作中の登場人物たちの心情がしっかりと描かれています。僕はいい歳してずっと漫画を読んでいますし、この先も読むつもりですが、それが何故かと言えば、ずっと漫画で感動してきたからです。今まで読んできた色んな漫画に、胸を躍らせ、次の発売を心待ちにしてきたり、生活の中で色んなことがあるときも、家で好きな漫画を読み返しているときに癒されるような経験も多々あります。「めぐみのピアノ」がどんな漫画かは分かりませんが、それを読んでいる作中の読者の気持ちは、強く共感するべきところが多くあり、だからこそ、なんだか分からないが、「めぐみのピアノ」はすごい漫画なんだなあと思うことができます。

 

 そして、この漫画は、借金のカタに無理矢理結婚した嫁の漫画に全く興味を示さず、ただそれが生み出す金にしか興味がなかった最低の旦那が、ついにその漫画を読み、心が動かされるということによって終わるのでした。

 それはもしかすると、世界が動いた!というような記号的な拡大表現よりもずっと、描くのが難しいことなのかもしれません。一人の人間の考え方を全く変えてしまうような読書体験というものは、あることを知ってはいますが希有です。でもあるんです。なぜなら僕は何度も経験したからです。

 

 この漫画は、ハッタリの効いた漫画が大ヒットし、そのおかげで色んなことが巻き起こるという部分が愉快痛快で、また漫画を読むということが人に影響を与えるという部分に寄り添ってくれるような物語展開をしているが、読んでいてとても良いなあと思ったという話でした。