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「累」について

 今日何となく「累」を最初から読み返したので、それについて書きます。

 

 「累」は、美人女優の母親を持つ醜い娘、淵累(ふち かさね)が母親の遺した一本の口紅を使うことで他人と顔を交換することができるようになり、その類いまれなる演技力により、美人の顔を使って女優となる感じのお話です。

 僕がこの漫画を読んでいて落ち着かない気持ちになるのは(ポジティブな意味です)、累の対人恐怖症的な側面に共感するからではないかと思いました。累は容姿が醜いですから、他人は第一にその容姿の印象から、蔑みや拒絶の意志を持って接してきます。人間は周囲の環境に合わせて行動してしまう生き物と思いますから、それによって、累は自分は他人に拒絶される存在であるということを幼少期から植え付けられ、他人との接し方に不器用さというか、ある種の呪いのようなものをかけられてしまっています。コミュニケーションをとるということは、基本的に他人から悪感情をぶつけられることに近いこととなり、素直に他人と接することができません。

 そんな累が、誰からも好かれるような他人の顔を手に入れてしまうということが、大変蠱惑的に描かれています。他人が自分を見る目線が、今までのような蔑みではなく、憧れに変化するのです。最初の接され方がポジティブになるのです。どんなに演技が上手くても、その醜い容姿ゆえに女優など叶わなかった今までとは違い、不思議な口紅によって美しい顔を手に入れることで、それは可能になりました。

 累は卑屈です。そんな累にすら気持ちよく接してくれる人に、彼女は容姿によって蔑まれることの無かった人生ゆえに、真っすぐに育つことができたという、自分とは決定的に違うものを見いだし、そんな美しい人をイジメざるを得なかった、美しくない人の方に感情移入をしてしまいます。

 

 他人による拒絶を植え付けられた人と、そうでない人というのは、多分決定的に違います。自分で自分を肯定できるまでの道のりは、他人に自分を肯定してもらってこれたかかどうかで全然異なるものになるように思うからです。あるがままに振る舞うだけで肯定してもらえた人と、周囲に肯定されるように意図的に振る舞う必要があった人では、素直さが異なるはずです。僕は自分は後者だと思っていますし、多くの人は後者の要素が強いのではないかと思ったりします。このように振る舞わねば受け入れられないという呪いは、人付き合いを億劫にさせますし、結果、それは僕を一人で本を読んだりする行為に自然に誘導するわけなのですが、それはそれで大変楽しいので、どちらが良いとか悪いとかではないのではないかというのが最近の感覚なのですが。

 

 しかし、そう思うのが何故かというと、現実では自分の容姿を美人と取り替えるなんていうことがなかなかできないからです。もし、それを一度体験してしまったとしたら、もう元には戻れないかもしれません。整形をした人の中に、どんどん色んな部分を直したくなる人がいるというのも、そういうことなのかもしれません。整形をすることで他人の反応が今までとは全く変わってしまうのであれば、それを維持し、さらにはもっと良くしたいと思ってしまうのはきっと仕方のないことでしょう。でもそれは、自分が忌避した価値観そのものではないでしょうか。というのが、「累」を読んでいる際に感じる落ち着かなさです。しかも、累は他人の容姿を借りているだけ。維持するにはそれなりの努力が必要で、また、その容姿もどこまでいっても借り物、自分自身ではないのです。

 

 最近、ディズニー映画の「シュガーラッシュ」を見返していて、また「アナと雪の女王」でもそうなのですが、これらの映画の主人公たちには生まれ持った不幸な要素があり、なおかつ、それは最後まで解消はされないのです。「シュガーラッシュ」の主人公ラルフはゲームの世界の悪役であること、「アナと雪の女王」のエルサは氷の魔法の能力があること、それらは最初から最後まであり続けるのでした。ただし、その捉え方が分かること、折り合いの付け方を得ることによって、それぞれの悩みは解消されます。シュガーラッシュでは、ゲームの悪役だけが集ったセラピーで「I'm bad, and that's good. I will never be good, and that's not bad」というお題目が掲げられます。この言葉を、ラルフは当初、ただのお題目として唱えますが、物語の終盤で心からの言葉として言うことになります。生まれ持ったものは変えられない、変えようとしてもしかたがない、その上でどう生きるかが重要なのだということです。これはとても現実的なお話です。

 

 一方、「累」では、累は魔法的な力によって、生まれ持ったコンプレックスを解消できる力を手に入れてしまっているのでした。しかしながら、累が口紅の力で女優として成功すればするほどに、醜い自分というものを否定する結果になるのではないかと思いました。他人が自分を否定した価値観を、自分がその価値観の中でのし上がることで、結果的に肯定してしまうという居心地の悪さが、この漫画の魅力だなあと思ってしまいます。

 この物語に幸福な結末はあるのか?それにハラハラしながら、続きを心待ちにするような感じなのでした。