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「アナと雪の女王」について

 ディズニー映画の「アナと雪の女王」を、公開直後に見たんですけど、今更感想を書こうかと思います。個人的な整理として。

 

 音楽も映像も、ストーリーも素晴らしかったです。特にストーリーは丁寧で分かりやすいほどに分かりやすかった(雪だるまのオラフが解説してくれる)ことがストレートに響いてきた感じでした。僕の感想ではこれはエルサの物語でした。

 

 以下、がっつりネタバレ入ります。

 

 ある国のお姫様であるエルサには氷の魔法の才能がありました。幼い妹のアナにせがまれて、雪を氷を自由に操ります。しかし、それが暴走してアナを傷つける結果となってしまったのでした。トロルは、アナを治療する代わりに氷の魔法の記憶を抜き、エルサにその力への警告を行います。これが悲劇の始まりです。

 エルサは部屋に閉じこもります。もう二度とアナを傷つけることがないように。ここにあるのは、自分が誰かを傷つけてしまったことに対する恐怖、そして、もう二度と妹を傷つけることがないようにという愛情だと思いました。父親と母親も、それを推奨します。「Conceal, Don't Feel」、エルサの持つ氷の魔法に対して、それを隠すように指示した彼らは、不幸な事故でなくなってしまいました。そして、エルサにかかった言葉の呪いは消えることが亡くなってしまったのです。城は閉じられ、エルサは閉じこもり続けます。

 一方、アナも不幸です。自分のためにエルサが閉じこもっているということを忘れさせてしまわれているからです。「Do you wanna build the snow man?」、物語の冒頭に姉に向かって問いかけた言葉は、今度は拒絶されてしまいます。理由を知らされない拒絶のため、孤独にお城の中で過ごします。そして、エルサの戴冠の式の日がきました。

 アナはお城の扉が開くことを心待ちにし、エルサは扉が開くこと、それにより、自分の氷の魔法が発覚してしまうことを恐れます。そして、その危惧の通り、エルサの氷の魔法の存在はみんなにバレてしまうのでした。エルサは化け物と罵られます。

 

 これはマイノリティのお話だと思いました。自分の才能を遺憾なく発揮することと、社会の規範に齟齬があるということです。自分の生まれ持った才能を発揮すればするほど、社会では拒絶されてしまうとき人はどう生きれば良いのでしょうか。その才能を隠し、周囲と上手くやっていくのが普通です。発覚することを恐れ、人付き合いを避けるようになるかもしれません。

 例えば、お酒が飲めないという才能を持つ人が、飲み会を良しとする集団の中にいたとき、我慢して少しだけ飲むかもしれませんし、飲み会の誘いを断るかもしれません。周囲のみんなが飲み会が大好きでも、自分はそれを楽しいと思うことができないのです。自分の基準と、世の中の基準が完全に一致すれば、人は自由に振る舞えるのかもしれませんが、普通はそうではなく、存在する少しのずれをごまかしながら生きていくのだと思います。でも、それが無視出来ないほどに大きなずれであったのならどうでしょうか。その世の中で生きていくことはとても辛い日々かもしれません。

 

 国を追われたエルサは、「Let It Go」の歌をうたいます。YouTubeでも公開されているあのシーンです。エルサは一人になってしまいました。でも、一人であれば、世の中とのずれを気にする必要がありません。普通ではないエルサが、自由に振る舞う方法は彼女を異常と判断する世の中から去り、たった一人の王国を作ることだったのです。抑圧から解放された彼女はとても自由です。それは、孤独と表裏一体の自由です。その歌はとても生き生きと力強く、そして悲しく感じました。

 そんな自由で孤独な王国ですら、彼女は奪われてしまいます。なぜならば、彼女の力は強大すぎて、その外にすら冬をもたらしてしまったからです。そして、さらに悲劇的なことに、その際にまたしても妹のアナをその氷の魔法で傷つけてしまう結果になったのでした。今度は以前のように頭ではなく、心を。それは命に届きます。これはとても悲しい話です。

 

 エルサは傷つき、自分の力を恐れ、社会を逃れ、そうして、ようやく自分を肯定でき、しかしそれも上手くいきません。そんな、エルサは自身の分身のような二人の存在を生み出しました。ひょうきんな雪だるまのオラフと、暴力的な雪の巨人マシュマロウです。オラフは雪だるまなのに夏に憧れます。夏は自分を否定する季節なのに、夏を迎えれば自分は溶けてなくなってしまうのに。これは、ありのままの自分で世の中に受け入れられたいというエルサの願いが反映されたものだったのではないでしょうか。そして、それは叶わぬ夢なのです。マシュマロウは暴れ、人々を拒絶します。これは、彼女の世の中を拒絶する心の反映されたものだったのではないでしょうか。彼らによって、姉という立場ゆえに、まず我慢することを覚えたエルサの心の中が垣間見えたような気がしました。

 

 こんなエルサを助けるのはアナです。姉が自分に負い目を持つ理由さえ奪われたアナは、親や姉が望む通りに、そんな悲劇をなかったことにして、自分の幸せを追求します。ようやく開いたお城の扉の先で出会った王子、雪山の中で徐々に仲を深めた青年、彼女は愛を求めます。そんな中、悲しいことに、姉の魔法によって凍りつつある自分の心を溶かすには「真実の愛の行為」が必要だということが分かります。アナにとっての真実の愛とは何でしょうか。王子でしょうか、青年でしょうか、真実の愛とは、誰かに与えられるものでしょうか。彼女の真実の愛の行為とは、今処刑されんとしている姉を守ることでした。与えられるものではなく、与えるものであるということです。見返りを求めない自己犠牲こそが真実の愛の行為であったということです。アナはアナ自身の愛の力で、心の氷を溶かし、自分への負い目を持ったエルサを解放してあげることができます。

 そして、幼い頃からのエルサの行為もまた、アナのためを思った自己犠牲の真実の愛の行為であったのでした。

 

 この映画自体には他にも沢山の要素と沢山の楽しみ方があると思うのですが、僕の心に響いたのはこういうお話で、自分に自由に生きれば角が立つような存在が、それでも自由に生きるには、孤独になるしかないという諦めの描かれ方、そして、それを集団に呼び戻してあげるのは、誰かがそれを思いやってあげるということの描かれ方なのでした。なんのことはない、僕は自分を重ねていて、それを僕が望んでいるので、望んでいるお話は素晴らしく感じます。

 

 真実の愛の力によって、エルサは自分の能力を制御することができるようになります。夏を迎えたオラフには、彼だけの雪雲を与えて、他には迷惑を描けない範囲で身体を溶かさないようにすることができるようになりました。それは要は、加減を覚えて周囲と上手くやるということです。孤独の王国に残ったマシュマロウにも、エルサが捨てた王冠が与えられました。このお話には救いがあります。

 だから、僕はこれはとても良い話だなあと思ったのでした。

 

 さて、余談なのですが、amazarashiの「爆弾の作り方」という曲がこの映画と似たテーマを取り扱っているような気がするので紹介します。

 この歌は、歌を作っても誰にも聞かれない男が、自分の歌を爆弾に喩えて一人で作るという歌なのですが、

 

 「分からないものは分からないし

  やりたくないものはやらないし

  そういってら落伍者扱い、立派な社会不適合者

  やり続けることの情熱も、今じゃ余計な不穏分子

  純粋でいることの代償は、つまり居場所がないってことだ」

 

 と、自分がやりたいようにやることで世間からは鼻つまみ者として扱われ、自分に正直でいようとすればするほど、居場所がなくなってしまうという悲しみをうたっています。そんな人は部屋にこもって一人爆弾を作るわけなのですが、彼にとっての爆弾がたまたま歌なだけで、そうでない人はどうなんだろうとうたわれます。

 

 「街には危険がいっぱいだから、誰にも会わず自分を守る

  僕らは常に武器を探してる、それがナイフじゃないことを祈る」

 

 この曲は多分、そういった社会と自分の間の軋轢に辛さを持つ人に響くように作られていて、タイトルの「爆弾の作り方」というのも、爆弾の作り方を調べてしまうような人の目にとまるようにつけられたのかなあと想像したりしています。iTunesを確認したところ300回以上再生していたので、この曲は自分に響くし、同様のものを見いだした「アナと雪の女王」も自分に響く感じだなあと思ったのでした。