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「月光条例」の月打について

 「月光条例」という漫画は、この世にある数々のおとぎばなしが、何十年かに一度、青い月の力で「月打(ムーンストラック)」されることで、そのおとぎばなしのキャラクターたちが狂ってしまい、物語が壊れてしまう、という物語です。その狂ってしまった物語の狂ってしまったキャラクターたちは、主人公の岩崎月光に「月光条例」を執行されることで元のように正しく修正されます。

 

 「青き月光でねじれた『おとぎばなし』は、猛き月光で正されねばならない。」

 

 先日完結したこの月光条例はとても面白い漫画でありますが、ここでいう「月打」というものは、実際現実の世の中でも類似したことが起こっていることではないかと思います。なぜならば、おとぎばなしというものは長い時間の中で変化するものだからです。口伝で伝えられてきたような昔々のおとぎばなしは特にそうで、語り手による脚色や省略が施されるため、無数の物語異文(ヴァリアント)が存在します。また、現代でも子供向けの物語には理解力に合わせた省略が行われることが常ですし、残酷な描写は省かれ、ハッピーエンドが付け足されることもよくあります。

 例えば、カチカチ山における「お婆さんを鍋にしてお爺さんに食べさせる」という描写はカットされることが多く、また、その罪を犯したタヌキをウサギが「殺す」という描写は、こらしめられたタヌキが「反省した」という描写に置き換わったりします。こういったことについて、物語の内容や結末を変更するのはまかりならんという意見もあるようですが、僕の考えとしては違っていて、別にあってもよいことでないかと思います。なぜならば、昔の物語自体もなくなったわけではないからであり、新しいヴァリアントが生まれただけでしかないように思うからです。そして、ヴァリアントが生まれること自体を否定してしまうと、実は自分が最初に知ったその物語自体も実はそれ以前の物語を改変したヴァリアントであったりするので、遡り続けて最初に語られた何かに戻らなくてはならないように思うからです。

 僕が思うに、今の物語というものは、それが最初は過去に作られたものであったにせよ、過去を舞台にしたものにせよ、今に向けて語られるものなんじゃないかと思います。つまり、現代に新しいヴァリアントが生まれるということは、現代の価値観に合わせて語り直されるということであり、それはその物語が現代という時代により寄り添ったものになるということです。かつての残酷な展開による教訓を必要としていた時代に語られたその物語は、その教訓を必要としない時代にはある意義が狭まります。それは普通に考えれば、必要とされていないがゆえに忘れられ消えていくはずですが、語り直されることで寿命が延びることになるのではないかと考えるのです。

 

 例えば、三国志という物語は、元になった歴史書である三国志正史を元に、羅漢中三国志演義が書かれ、それを元にして吉川英治三国志が書かれ、さらにそれを元にして横山光輝三国志が描かれています。それ以外にも三国志の時代を舞台にした、無数の民話や説話が取り込まれ、光栄のゲームの三國志があり、その流れに三國無双シリーズなんかもあります。その中には、各作品のオリジナルな要素があり、それらが互いに影響し合ったり、取捨選択をされつつ、今の沢山の三国志ファンがいるという状態があります。世の中にもし、三国志正史しかなかったとするならば、この状況は起こりえず、語り直されるがゆえに今も形を変えて生き延びていると言えると思います。

 

 なので、作者が存命であったり、著作権が残っていたりするような状況で、作者界隈の生活に不利な影響があるなどという理由がなければ、物語というものが改変されて語り直されること自体を否定することは、今残っている数々の物語自体を否定することに繋がってしまうんじゃないかと思いますし、であるならばそれらの物語群を愛している自分としては、否定すると不利になるために、否定できない感じなのです。

 

 つまり、物語・おとぎばなしは常に「月打」され、常に狂い続けていて、作中のキャラクターたちには、最初に規定された筋以外の無数の選択肢が与えられ続けているのだと思います。僕たちが見ているそれは、長く長く語り継がれるそれのほんの少しの期間を切り取っているがゆえに、狂っていないと判断しているにすぎないのではないかと思いました。

 

 「青き月光でねじれた『おとぎばなし』は、猛き月光で正されねばならない。」

 

 月光条例の中ではこう語られますが、一方、そんな月光条例には意図を持ってねじれさせたおとぎばなしが山ほど出てきます。規定された物語のキャラクターであるがゆえに、避けられない不幸への一本道を歩まなければいけないという運命について、優しく強くNoを突きつけてあげたりします。この物語は、彼ら彼女らにとっての救いとなる物語のヴァリアントを、新たに生み出す存在でもあるのだと思います。

 

 今、完結に合わせて最終巻が出るまでの間にぼちぼち最初から読み返している最中なのですが、僕がこの漫画を読んでいて、一番心に浮かぶ感情は「この報われないキャラクターが、なんとかして報われてほしい」というものでした。そして、この物語は、それにしっかりと寄り添ってくれているので、それは強くて優しくて素晴らしいなあと思ったりしているところなのです。