漫画皇国

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学校の勉強について

 「ヤンキー塾へ行く」というヤングマガジンで連載されていた、ヤンキーが塾へ行く漫画があったんですけど、それが今は改題して仕切りなおされ「塾生☆碇石くん」として、ヤンキー要素よりも塾要素の方が強くなって連載が続いています。主人公の碇石くんは寡黙なヤンキーなんですけど、「宇宙飛行士になりたい」という夢を持って勉強をしており、こつこつ勉強を続けた結果、既にそこそこ頭が良い感じになっています。そんな碇石くんが自分が通う塾で、代理で講師を請け負うことになり、年下の子供に勉強を教えたり、あとは勉強ができなくて留年している女子高生に勉強を教えたりもしているというのが最近のお話です。その女子高生は勉強ができませんから、勉強をするという土俵に乗ると馬鹿にされてしまいますし、勉強から逃げようとしたりしなかったりしています。

 こういうお話を読んでいて、僕はあんまり学校の勉強ができなかったという思い出が非常にあるので、なんだか過去の思い出がくすぐられるような感じがありました。勉強ができないということはなんだかとても辛いなあということです。それは、それをするということを投げ出したくなるぐらいにです。でも、今ではそれでも勉強することは大事だなあとか思ったりもしています。

 

 以下は自分語りかつ長いです。

 

 僕がなんで勉強ができなかったかというと、当たり前の話で、勉強をせずに遊んでばかりいたからです。自宅ではひとりで桃太郎電鉄を99年プレイするということを延々繰り返したり、休みの日は自転車で遠出をして、朝から晩まで県内の図書館とブックオフを巡ったりしていました。学校の成績も良くなかったですし、宿題をしなければ、授業も聞いていなかったので、成績評価はめちゃくちゃな感じでした。かろうじて高校の進学クラスみたいな100人ぐらいいるところにはいたんですけど、苦手な科目(国語とか)では平気で200位とかの順位もとっていて、先生にすごい怒られたりして、屁理屈で反論したりして、結局、態度は改善せぬまま、放課後はゲーセンに行って、お金持ちの友達から200円ぐらい恵んでもらって、古くて安いゲームを延々プレイしたりという記憶があります。

 

 この頃は、とにかく色んな人に怒られていましたし、先生からもろくな人間にならないとか、社会で通用しないみたいなことを沢山言われた覚えがあります。あと、親にも似たようなことを言われて、本を捨てられたり、ゲームを取り上げられたりもしました。この辺は大変つらかったのですが、心の防御反応で、どんどん目をそらす感じになっており、目をそらすからこそ悪化するみたいな感じでした。

 

 とはいえ、大学は県外のところをなんでか受かってしまった感じでした(前期は落ちて、後期で受かったのですが)。何が良かったかというと大きくは「運が良かった」のと、色々見かねて通わされることになった「塾が良かった」ように思います。何をやっていたかというと、延々問題を解いていました。とにかく塾の先生が問題をくれるので、高3のときぐらいは延々と問題を解いていたんですけど、問題を解いていたら、テストでも問題が解けるようになったので、テストの点が上がりました。このとき思ったのは、ゲームの説明書や攻略本を読みこんでもさほどゲームが上手くならないように、授業だけを一生懸命聞いていてもなんとなくわかったような気持ちになるだけで、別にテストの点は上がらないということです。テストの点を上げるにはテストの問題を沢山解けば、似たような問題は解けるようになりますし、そういう小さい成功体験みたいなのをぼんやり重ねていくと、いつの間にかテストの点が上がるみたいな感じでした。

 

 テストの点は上がりましたし、受験も乗り越えましたが、僕はきっと「頭が良い」というのとは全然違っていて、受験のテクニック的なものを習得しただけであり、学校の授業をちゃんと聞いて理解して、その結果としてテストの点が良い頭の良い人とは決定的に違うんだろうなあと思ったりしました。そして、それは大学に入ってから、かなり明確に露呈します。なぜならば、そこにはこなせば点が上がる親切な練習問題があまり提供されていないからです。そんな中、なんとか先輩からもぎ取った過去問を解いてみることで、ギリギリ及第点はとるような感じで毎回過ごしていて、「優」なんてもってのほか、「可」が連続するような感じでした。この頃も、ああ、なんて自分は勉強ができないのだろうかとすごく思っていた感じがありました。

 

 高校の勉強とか大学の学部時代の勉強というのは、その先に待ち受ける、こう、なんというか「科学的なもの」に取り組むための基本的な道具を教えて貰っている感じがあるので、実際、運よく受験の問題が自分の得意な分野で大学に潜り込めたとしても、その道具の精度が平均的な合格者よりも低い状態では、とても苦労するというような感じを当時は強く思いました。僕は求められているレベルの能力に足りないということで、大変辛い思いをしていたのですが、実家にお金がないなか大阪まで出てきて大学に通っており、留年できるような余裕もなかったので、なんとかどうにか食らいつくので必死で、可能性を上げるために申請できる講義は全部とって、結果、テストが集中し過ぎて試験勉強の時間が足らず、それぞれヤバくなるみたいな感じもあって、沢山単位を落としつつも、なんとか進級はもぎ取った感じでした。

 

 僕はとにかく勉強に苦手意識がありましたし、実際に苦手だったと思いますし、なんでこんなことをやっているんだろうという気持ちが9割以上だったような気がします。ただ、その後に転機もくる感じでした。

 

 研究室に配属が決まって、研究を始めるわけなんですが、僕が学部の頃にやっていたのは、先生が書いたシミュレーション評価の論文を元に、それを実際に作って動かしてみても、シミュレーション通りの結果を得られるかを確かめてみるみたいな感じのものでした。言うのは簡単ですが、正解があるわけでもないものなので、何の材料を用意して、どうやってプログラミングをして、どういうデータを採って、どういう評価をするかというのが空白です(もちろん先生と相談はしますが)。勉強するために有用な適切な練習問題なんてもちろん存在もしていません。僕はある特殊なハードウェアを使うことになったわけなのですが、マニュアルもろくに整備されておらず、サンプルコードを見まくって、プログラム方法を習得し、海外の開発者らとフォーラムで英語でやりとりをしてデバッグするような毎日でした。

 英語のフォーラムに参加せざるをえないという状況は今思えば非常に勉強になって、質問を投げかけるだけのつもりが、こちらにも次々に質問が来たりします。自分のように困っている人が世界のどこかにも存在して、自分が解決の望みをかけて質問をするように、その人も僕に質問をしてきます。そういうやりとりをせざるを得なかったというのがとても重要で、それが上手く行かなければ卒業論文が書けませんから、卒業ができませんし、卒業できないのは困りますから、とにかく必死であった感じでした。

 そういう頑張りによって、一部の組み込みの機械が上手く動かせたりはしたのですが、まだ全体のシステムが上手く動くとも限りません。それが何故動かないかという原因を探る上で、ようやく過去に勉強した様々なことが手掛かりとして必要となるわけでした。幸い教科書は全部持っていましたから、勉強をしなおし、ギリギリであったとはいえ、一度は勉強したことなので割と難しくなく頭に入ってきます。ここで、ああそうか、今まで勉強してきたことはこのような困難にであったときに解決する方法を得るためだったのだなと思いました。当時22歳ぐらいですから、このときになってようやく今まで勉強してきたことが何であるかという使い方が分かった感じです。データを評価するためには統計学が必要ですし、実装するアルゴリズムにも色々と数学的な技法が必要でした。物理特性を検討する上では物理学の知識が必要ですし、第三者が読んで分かる論文を書く上では日本語力、情報を調べるためには英語力が必要です。

 おかげさまで、ああ、今まで勉強してきたことが意味があったということをようやく思うわけなのですが、実際、このタイミングは遅すぎる感じはしていて、これが分かっていたら、もっと昔からちゃんと勉強していたのにという、先に立たないから後悔というのだなあというありがちなことを思ったりしました。碇石くんには「宇宙飛行士」という目標がありますから、そこに到達するために勉強しなければいけないことが分かりやすくなると思います。僕には特にやりたいこともなく流されるように生きていましたから、目の前に困難が生じて初めて必要な手段が分かった感じでした。そして、幸いなことに学校のカリキュラムがそれを覆うように作られていたのが素晴らしく感じました。

 学校の勉強というものは僕のように別段やりたいこともない人間が、後回しにし続けていた乗り越えないといけないものをようやく見つけたときに、役立つように最大公約数的なものを提供してくれている感じでしたし、もし目標が明確ならば、より効率よく勉強できますから、だから(目標としての)夢を持てとか大人は子供に言うのだろうかと思った感じです。

 

 さて、僕が「学校の勉強する」ということについて、意味があるとか肯定的な捉え方をするとかそういう風になっているのは、自分の人生にたまたまこういう時期があったからという風に思っています。もし、なかったら、「あれはひたすらしんどかったが役に立たなかった」と今でも思っていると思います。

 

 その後、大学院に進学して、論文を書いて外国に何度も発表に行ったり、その後に役に立つ経験を色々させて貰えましたので、大学という場所は思えば費用対効果が良く大変感謝しています。書いた論文で賞を貰ったり、企業との共同研究をしたり、技術交流なんかを通じて得たコネなんかも使って、今働いている会社にすんなり入社した(上京して偉い人と半日雑談したら、次の週には内々定の連絡が来た)感じですから、よく分からないままにでも勉強をしていた生活の延長線上に、今ご飯が食べられている生活がある感じがあって、全て繋がっているので、遡ってみたら勉強をしていて良かった感じがします。ただ、これは結果論です。

 

 一般論として「学校の勉強は役に立つか?」という問いに対して、僕は回答を持ちませんが、ただ、自分の人生に対していまのところ「学校の勉強を嫌々やっていた経験が役に立っている」ということだけは今のところ正しそうな気がします。もし、途中で勉強を止めていたら、勉強した経験が必要であったはずの今まで遭遇した岐路のどこかで挫折していて、少なくとも今のような生活はしていないだろうと思うからです。ただ、そっちの方がもっと幸せである可能性もあるので、そこはなんとも言えませんが。

 

 勉強ができないのは辛いけれど、それでもやってて良かったと僕は思ったという経験があったという事例をただ書きたかったのです。この二行で終わるような話を引き延ばした長い文章を、ここまで読んだ人は忍耐力がありますし、偉いしすごいですから、だからあげるよ、15ポイント。