漫画皇国

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評価軸の持ち方について

 僕が人間の行動について感じているのは、

  1. 何かを行動する
  2. 行動を評価する
  3. 評価が上がるように行動する

というのを繰り返すものなんじゃないかということです。

 

 でも、ここにはもう一つの隠れた要素があって、それは「評価軸を決める」というものです。ある行動が評価が高いか低いかは、何をもとにして評価するかによってきまります。例えば大食い選手権に出る人であれば沢山食べることは「良い」と考えられるかもしれませんが、ダイエット中の人であれば沢山たべることは「悪い」と評価されます。このように同じ行動をとったとしても評価軸が異なれば全然違う評価をされてしまいますから、人間の行動の方向性を定めるものが評価であるとするならば、どういう評価軸を選ぶかということはとても重要です。

 評価にはざっくりと二種類ある感じがしていて、自己評価と他者評価です。自己評価の中には、意味的に分割するならば、自分が属しているとても近しい存在の評価も含めていいかもしれません。一方、他者評価は多様な世間様による厳しい目線の評価です。前者は概ね自分を肯定してくれがちで、後者は少なからず否定的なものを含みます。

 

 これはどちらが良いかと言えば、どちらとも言えません。ここにもどのような評価軸を設定すべきか?という問題があります。自分自身で納得したいとか近しい仲間内で肯定されたいと考えていれば、前者に寄り添うのが幸せですし、自分が世間に受け入れられたいと思っていれば後者を目指すのが幸せなのだと思います。そして、普通はそれは時と場合によって入り混じるものであるように思います。

 自分の持っている評価軸のみを使い続けていると、その評価軸が良いと判断する要素が強調され、悪いと判断する要素が消失していくものだと思います。喩えるなら、写真にプリクラのような目が大きくするフィルタを何度もかけると、そのうち異様な大きさの目玉になってしまうみたいな話です。つまり、単一の評価軸を使い続けると、異なる評価軸から見ればとても独特に見える方向に変化をしていくことになりますし、僕はこれが個性なんだと思います。反面他者の多様な評価軸にさらされ続けると、それらが打ち消しあうことで平均的なところに落ち着くと思います。それは、無個性ですが、だからこそ受け入れられやすく思います。

 

 まとめると、社会生活を送っている人間はそれぞれ頻度に差はありつつも、自己評価と他者評価を混ぜて使っていて、その結果が個性や無個性と表れてくるのではないかということです。この考えで言うと、日本のオタク文化が個性的に見られるのは、身内ウケの文化だからでは?ということになります。他者の冷静な目線が入らないからこそ生まれてきたものということです。ただし、身内ウケの文化であるからこそ、その身内の外ではある他者から見れば珍奇に見えますし、そこが魅力であると同時に、それゆえに商業的に成功するのは難しくなってしまいそうな感じがしますね。

 商業出版なんかでは自己満足的な作品を持っていくと怒られたりしますけど、それは商業が他者評価によって収益を生み出すものだからです。なので、もっと大きく創作という意味では自己満足的な作品を作ることは決して否定されるようなものではないと思いますし、そういうものほど個性が強くてその個性に合致する(おそらくは)少数の人にとってみれば素晴らしいものだと思えるかもしれません。だから、同人誌とかを作る人がいるのだと思います。みんなにウケたければそれなりにみんなの評価軸に合わせるしかなく、自分にウケたければ自分の評価軸に反さないようにするしかないのです。

 

 DJかなんかの人の言葉で「知らない曲はつまらないが、知っている曲はダサい」みたいなのがあって、自己評価だけでも他者評価だけでも何かしら不都合があることは多い感じですから、その塩梅がどの程度なら自分にとって都合が良いのかを探ることが人生の満足度には重要なのかもしれませんね。