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「シュガー・ラッシュ」が良かった話

 ビデオをネットでレンタルできるチケットみたいなのの期限が迫っていたので、ビデオゲームの映画なんでしたっけ?という雑な情報しか持っていなかった「シュガー・ラッシュ」を観たんですけど、めっちゃ面白かったです。

 面白く思った理由にはゲームネタの面白さと、キャラの動きの面白さと、人生的な面白さの3点がありましたので、それぞれ書きます。

 

(1)ゲームネタの面白さ

 この映画は、ゲームセンターのゲーム内のキャラクターたちが実はそれぞれ意志を持っていて、一生懸命プレイヤーを面白がらせるために動いたり、ゲームが遊ばれてないときにはそれぞれの人生があったりする感じです。主人公のラルフは「フィックスイット、フェリックス」という映画オリジナルの8bitなゲームの悪役です。「フィックスイット、フェリックス」は、ドンキーコングなどと若干似たようなゲームで、ビルの屋上で暴れて窓をぶっ壊すラルフの元を、フェリックスが壊れた窓を直しながら登って行くみたいな感じのものです。

 この映画には様々な実在のゲームの小ネタが出てきていて、知っている人ならばにやりとできますし、実はゲーセンの裏側では、これらのキャラクターたちが意志をもって動いていて、電源コードの中を移動しながら一同に会したり、不平不満を言っていたり、お互い励ましあったりなんかしているんだよという、様子がとても楽しいです。夜におもちゃが動き出すみたいな物語は、トイストーリーの以前からも、歌があるぐらいにずっと昔からありますが、それぞれのゲームのキャラクター自体に思い入れがあるために、より愛おしく感じてしまいます。

 ちなみにこの映画の原題は「レックイット、ラルフ」で、ラルフが登場するゲーム名と対になっていますし、この「ぶっ壊せ、ラルフ」というのは、物語のクライマックスとも関係している感じです。

 

(2)キャラの動きの面白さ

 僕が3Dのアニメをそんなに見慣れてないというのもあるんでしょうけど、キャラクターの表情豊かさがすごく面白かったです。日米の違いなのかもしれないですけど、日本のアニメとかでは、口の動きが強調されることが少ない気がします。「目は口ほどに物を言う」という慣用句があるくらいなので、日本では目の演技を強調することが中心の文化なのかなと思いますし、それは言わなくても察するみたいな文化と通底している感じがします。であるならば、アメリカでは口にしなければいけないという文化的な記号があるのかもしれませんし、口を中心にした表情による感情の伝え方に特化しているのと関係しているのかもしれません。

 ともかく、キャラクターの表情がころころ変わって動き回る様が単純に面白かったのです。言葉で明文化されたものだけでなく、目で口で顔面で、そして動き全体で何かを伝えようとする情報量の多さが単純に楽しく、圧倒されてしまう感じがありました。

 

(3)人生的な面白さ

 ラルフが持つ不満は自分が悪役(Bad Guy)であるということでした。だから、同じゲームの仲間に受け入れられないと思ったのです。だから、ヒーロー(Good Guy)になりたいと思い、ゲームを抜け出して、ヒーローの称号であるメダルを手に入れようと思い立つのです。

 

 (ネタバレが入ります)

 

 でも、ラルフが最終的に行う選択は自分が悪役であるということを受け入れるということです。ヒーローになることよりも、大切な友達を守ることの方がよほど重要だということに気づくということです。そもそもなぜ彼はヒーローになりたかったのか、それは悪役であるがゆえに同じゲームの仲間たちに受け入れてもらえなかったということからです。みんなの人気者であるヒーローが羨ましかったのです。であるならば、彼の本当の望みはヒーローになることではなく、大切な仲間を得ることです。それに自分で気づき、そして心に空いた穴を埋めて満たされるということです。それは、ああ、良かったなあと思う話でした。

 ただ、これを物語全体としてみた場合、身分や階級の物語として見ることもできると思います。上記のような構成である場合、彼らは生まれ持った役割ゆえに恵まれていて、自分は生まれ持った役割ゆえに恵まれていないという状況があった場合、あなたが不幸せなのは、その役割だからではないから、その役割のままで幸せになることが重要だよという答えが示されています。これはうがった見方をすると、身分や階級のようなものを解消する必要はないと取られてしまうかもしれません。そう考えてしまうと、果たしてそれでいいのかという疑問も生まれてしまいます。

 この物語が上手いと思うのは、ラルフひとりの物語ではなくしていることです。それはラルフの友人となるヴァネロペの存在です。彼女は、ゲーム本来の役割としてはシュガーラッシュというレースゲーム内のお姫様なのですが、他のゲームの悪い主人公にコードを書き換えられ、バグを伴ったイレギュラーな存在に落とされてしまっています(それは物語の最後で発覚します)。ラルフとヴァネロペというふたりの、喪失を伴ったキャラクターが最初の確執から徐々に友情を育み、最後にお互いを助け合って困難に立ち向かうというのがこの物語のクライマックスです。

 エンディングにて、実はお姫様であることが発覚したのがヴァネロペであり、それは悪役からヒーローになりたいと思っていたラルフとは真逆の、ヒロインから端役に落とされていたということなのですが、ヴァネロペはお姫様であることを拒否します。そして、端役であったときの自由さの素晴らしさを自慢げに語ります。

 ヴァネロペがいることで、この物語は、生まれ持った役割のままに幸せになることの肝要さを説く物語から、役割なんてさほど重要ではなく、自分の不幸せを役割のせいにせず、どのよな立場であっても自分が幸せになることが重要だという物語として完成してる感じだなと思いました。

 まっことポリティカリーにコレクトな感じであり、さすがはアメリカ様であるなあと思ったりしたのですが、こういうことを書いているものの、観ている間には別段嫌味に感じることもなく素直に良い物語であった!と思えた感じです。

 

 最後に、スタッフロールのエンディングが8bit的なノスタルジックなものと、現代的なものが見事に融合している感じで、これもとても良かったので複数回観てしまいました。

 

 ということで「シュガー・ラッシュ」が良かったという話は終わりです。