漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

本は一度に一冊しか読めない

 僕の家には数をかぞえるのはもうやめたのでよく分からないですけど、何千冊かの本があって大半は漫画なのです。それで、それはそうと、とんでもない事実に気づいてしまったんです。それはなんと、何千冊とか漫画があっても一度に一冊しか読めない。

 

 仮に4000冊としますと、今読んでいる1冊を除いた3999冊は読まれもせずにただあるだけなのです。はっきりいって邪魔なだけです。

 

 僕は割と持っている漫画を何度も読み返すので、前に頑張ってマイクロソフトのエクセルという便利なアプリケーションを使って管理をしてみたところ、毎日平均すると5冊ぐらいは持っている漫画を読んでいて、一周するのに800日ぐらいかかるということが分かりました。ということは、ある漫画が僕の家にある意味は2年に1回ぐらいのペースでしかなくて、そのほとんどの時間はただそこにあるというだけになっているのだなあと思ったりしました。

 

 じゃあ、手放すのかといえばそうでもないです。なぜならば、一度手放すとまた手に入れるのが面倒な漫画が色々あるからです。次読みたいと思ったときに、すぐに手にとれるという「状況」をただ維持するためだけに、いつ呼ばれるとも知らない舞台袖で延々と待機させられているというのが僕の家の漫画たちなのです。そして僕は、それらの漫画の存在する場所を確保するコストを家賃の一部として毎月払っています。

 

 僕は紙の漫画の手触りとか温かみみたいなのとか、あと匂いとか、めくりやすさとかそういうのにそれなりに価値は感じているんですけど、正直、電子書籍としてデジタル化されましたと言われたら、はあそうですかと思ってそれで満足するぐらいのいい加減な柔軟性がある感じがしています。なんで手元に漫画を置いているかというと、ただただ、次に読みたいと思ったときに手に入れるのが面倒だと腹が立つと思っているだけなので、つまりは、すぐに手に入る「状況」さえ整うなら、別に紙の本を手放しても良いような感じもしています。

 

 しかしながら、電子書籍の色々なストアの品揃えがまだ全然満足がいく感じではないので、その状況はまだ整わないし、だからそうしていない感じです。多分、何年もしたらそうなるんじゃないかと勝手に思っているのですが、そうならなかったら、本を収納するためにより大きな家に引っ越さないといけない感じがしますね。

 

 読んでないときの本は邪魔でしかありません。でも、別に本以外でもそうです。洗濯機だって回してないときにはある意味がありません。見てないときのテレビも邪魔なだけです。履いてない靴や着ていない服だって場所を占有する割に普通は一度に一つしか着れないですし、重ね着を頑張っても数着が限度です。人が泊まりに来るときの布団とかも一人でいるときは邪魔です。敷布団を二枚重ねにしても別に快適にはなりませんので無駄です。

 

 本質的な話をするならば、何もかも所有する必要なんてなくて、それを使うときに手元にありさえば良いのだと思います。でも、そういう便利な時代が来ないから、僕は仕方なく所有するしかありません。

 

 だから、仕方ないなあと思いました。