漫画皇国

Yes!!漫画皇国!!!

仕事で英語を使うはめになるおじさんの気持ち関連

 何年ぶりかにTOEICを受けてきました。社での立場的に現場仕事ばかりしているわけにもいかなくなってきたので、そろそろ観念して正式にマネージャーになるかと思ったら、昇格のためには点数の報告が必要だと言われたのが理由です。

 

 何点ぐらいとれればいいんですか?って聞いたら、最近の新入社員は900点以上の人たちも多いので、彼らの上司になった場合に恥ずかしく点数を取ってくださいとのことでしたが、僕がTOEICでとったことのある最高の点数って確か840点弱なので、上回れる可能性ゼロじゃん…って思いました。最近は英語を使う業務をしていないので上達しているはずがないからです。

 とりあえず付け焼き刃もせず、今の自分がどれぐらい取れるのかなと思って受けましたが、手応えとしては、なんというか「英語ができる若者に対して恥ずかしくない」という意味だと、羞恥心を捨て、低い点数でも強気で誇っていくということでもすればいいかなと思う感じでした(ダメじゃん…)。

 

 社の話では、TOEICの点数が高いことは英語ができることは意味しないけれど、英語ができないひとはTOEICで点数がとれないので、足切りで使っているとのこと。足切られたらやばいので、ふるえて結果を待ちます。

 

 日本人といえば英語が苦手でお馴染みですが、僕も日本人として例外ではなく英語が苦手なんですけど、苦手だからといってやらなくていいわけじゃないというか、前の前の仕事場では、国際標準化の仕事とかに放り込まれていたので、英語を使わざるを得なくてめちゃくちゃ弱りました。

 でも、その当時、仕事で年間5、6回海外に出張する生活をしていた中で思ったのは、仕事で英語を使うのは、語学力というよりはコミュニケーションをとるための意志の問題だなと思うところもあって、特に空港でのトラブルとか、タクシーでのトラブルとか、ホテルでのトラブルとかになると、自分、意外と結構英語でガンガン喋るな…と思ったということで、目の前の人とコミュニケーションをとれる可能性の高い手段が拙い英語しかないなら、拙い英語でガンガン話すしかないんですよね。

 日本語でも知らない人とあまり積極的に話したくない僕が、拙くとも英語でガンガン喋っているの、人間は追い込まれるまではやらないことがたくさんあるんだなと思いました。おそらく日本人が英語が苦手なの、英語をわからなくてもなんとかなる状況にいがちだからで、追い込まれるたらといけるんじゃないかなと楽観的に思ったりします。

 

 他に、英語を使う仕事をしていたときに思ったことは、学校で勉強した英語が、英語を聞いたり喋ったりするときにはむしろ邪魔になるということです。これは教え方が悪いのか?というとそうでもなくて、方向性の違いというか、つまり、学校で習った英語は「読む」という要素がとても強かったと思うんですよ。

 とはいえ結局英語を読むということが、一番使うことだったりもしがちなので、役に立ってるんですけど、英語を「読む」ときと「聞く」ときでは大きく違うことがあります。それは、「遡れない」と「繰り返せない」ということです。

 英語を読むときには、文法を用いて文を分解し、構造を把握しながら文章を理解することができます。でも、聞くときには、来た言葉をそのままの順番に処理して意味を理解しなければなりません。つまり、言葉の処理の仕方が根本的に違うのに、読むときのやり方で聞くときも処理しようとしてしまうことが、自分の中で足を引っ張っていて、相手の言葉を聞き終わってから構造的に処理しようとして、間に合わないわ不正確だわで黙ってしまうということがありました。

 

 今は来た言葉をそのままの順序で聞いて理解し、頭の中で日本語にも直さないで喋るようにしています。そうでないとリアルタイムのコミュニケーションには間に合わないからです。一方で、文章でやりとりするのであれば、文法構造で読んだり、書くときも構造から作って、何度も言葉を見直して書けるので、喋るときよりは頭が良さそうにコミュニケーションがとれるかもしれません。

 これは日本語で書く場合でも同じかもしれません。文章は比較的頭良く見えるじゃないですか。それは何回も見直したり、自分で読んでおかしいところを修正してから外に出せるからです。僕は自分が喋っているところを録音して聞くことが結構あるんですけど、本当頭悪そうなんですよね。その場その場でストリーミングで出てくる言葉は、自分の頭の中を上手く表現できていないことが多いです。

 こういうことを思うと、何かの専門分野について喋っていてこの人は自分と同じぐらい分かっていると思った相手は、本当は僕の何倍も分かっている人の可能性があるなと思ったりします。リアルタイムで出てくる言葉が不完全なら、その頭の中には言葉以上にもっとすごいものが詰まっている可能性があるからです。

 

 僕は大人と子供に、純な思考力の差はないんじゃないかと思っていて、違うのは、自分の頭の中を整理するための概念や語彙や表現力が大人の方が豊富なだけなのではないかと思っています。例えば、僕が英語でものを考えようとすると、日本語で考えるときよりもずっと単純なことしか考えることができないことから、そういうことを思うようになりました。英語で考えようとして5年なら、5歳の子供と同レベルのことしか考えられないかもしれません。日本語で考えれば自分はもっと頭がよく振る舞えるのに、英語で喋るとそうできなくなるということにはもどかしさがあります。

 でも、そうであるならば、リアルタイム化はできなくても、日本語で考えた結果を英語に翻訳することとか、どうにか英語の語彙を増やしながら英語で考える経験を増やして英語年齢を重ねていくしかないような気がするんですよね。

 

 そういうことを英語をガンガン使う必要があるときには思っていましたが、最近ないので、完全に英語年齢の加齢がストップしているどころか、退化していることを実感した今日でした。

 とりあえず来月は海外出張もありますし、今後、仕事内容が変わるとまた必要とされる頻度が上がってくる可能性があるので、映画を英語字幕で見るなどして、語彙や表現力を少しは増やしていこうかなあと思っています。